牧野富太郎【日本植物学の父】 (はじめて読む 科学者の伝記)

著者 :
  • 汐文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (174ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784811327341

作品紹介・あらすじ

子どもたちに身近なテーマですぐれた研究を行った科学者を紹介する児童書伝記シリーズ。
「日本植物学の父」と言われる牧野富太郎の研究にかける情熱と生き方、支えたまわりの人物などを紹介します。
植物のつくりや分類のしくみなど、科学的資料も満載です。

感想・レビュー・書評

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  • 第67回(2021)青少年読書感想文コンクール中学校の部の課題図書。

    植物図鑑で「牧野」という名を冠したものはどこの図書館にもある。
    実家にも「牧野」の植物図鑑があった。

    それだけ有名な植物学者の伝記であるが、日本の全ての植物を集め図鑑にするという牧野の熱意と邁進ぶりが如実に伝わってくる。
    学位がないために不遇の時代も長く、また裕福な家庭で育ったために、金銭感覚がないに等しく借金まみれになるなど、偉業を成した人物なのに、生活面ではかなり困窮していたことも分かる。
    中でも特筆すべきは、妻の壽衛(すゑ)の存在だろう。
    13人の子を産み、そのうち7人は夭折。金銭面では相当な苦労をしたのに、いつでも牧野が研究に没頭できる環境を提供し続けた。
    苦労が祟ったのか、牧野が94歳の大往生だったのに対し、壽衛は50代の初めで亡くなってしまう。
    そのことが、いかにも美談のように語られてしまうのが、なんだか納得できない感じがする(壽衛さん自身は、それで幸せであったようだが)。
    特にジェンダー平等が言われる今の時代に、この本が課題図書というのは、うーむどうなんだろう…と考えてしまうのは私の見方が穿ち過ぎなのだろうか。
    2021.7.10

  • 夏の課題図書(https://www.dokusyokansoubun.jp/)の中学生の課題本のなかの一冊「牧野富太郎」。

    「花はだまっています。それだのに、花はなぜあんなにきれいなのでしょう。なぜあんなに快くにおっているのでしょう」「草木は私の命でありました。草木とはなんの宿縁があったのかもしりませんが、わたしはくさきが好きなことが、わたしの一生を通じてとても幸福であるとかたく信じています」

    蝶ネクタイに丸メガネ、肩から大きなかばんをさげてにっこにこしながら植物採集に出かけていった牧野富太郎。
    「わたしは草木の精かもしれん」というほど植物大好きで、在野で研究を続け「牧野日本植物図鑑」を発行し、「日本の植物学の父」と呼ばれた。


    富太郎の生家は土佐の裕福な商家だった。富太郎は東京で植物研究に人生を捧げたので実家からの仕送りも使い潰し、で生まれた。町人だが名字を持ち帯刀を許されたという名家だった。
    少年時代に明治時代を迎え、東京に出て植物学を極めることにした。
    本来は学生しか使えない東大の植物学教授に研究室出入りを許された。
    ここで知り合った学生たちと作った植物誌は、現在も続いているんだそうです。
    とにかく植物が大好きで大好きな牧野富太郎は、資金も出ないので裕福な実家の資産を使い潰してしまう。
    結婚して生まれた子供は13人だが家族は借金取りに追われる貧乏暮らしで、そのうち7人が亡くなったのだそう。うわあ…。しかし奥さんの すえ さんはとにかく「お父様は立派なことをしているのですから」と、表からも裏からも支え続けていた。
    そして牧野富太郎本人の植物を愛する心、行動力、愛嬌などから、家族も友人も進んで手助けしてくれた。協力してくれた企業の中には、漢方薬の津村(ツムラ)の名前もあった。そうか、私もお世話になるツムラ漢方は牧野先生につながっていたのか。

    これほど牧野富太郎の研究が認められた要因として、植物への知識の素晴らしさもあるけれど、植物の絵は正確だけれどもただ映したのではなく特徴や見分ける部分がしっかりしていて研究に使えるものだ、とうことがあった。
    そしてビンボウだからって植物誌を出すために自ら印刷技術を身に付けて発行続けたというのだから恐れ入る。
    これほど植物を愛したのは、「人々が植物を好きになれば心が豊かになる。植物には薬や食料やいろいろな可能性があり、人々が植物を知ることは新しい発見にもつながる」という気持ちだった。

    中学生向けの伝記なので読みやすいし、植物の学名の付け方の図解などもわかりやすい。

  • 牧野富太郎のお名前も功績も知っていたのに、来歴は知らなかった。
    すごい人だなぁ~良い意味でも悪い意味でも。

  • 2021年中学生課題図書。植物学の父、牧野富太郎。日本中の植物を研究し、標本や本にした人物。なんといっても妻のすえの献身があってこそ。祖母や友人、困難な時にも必ず助けてくれる人がいた。きっと純粋な植物の妖精のような牧野の人柄のなせる技だろう。植物を愛し、知識を出し惜しみせず、人に広めることに命をかけ、愛されて支えられて人生を全うした人だった。今年の中学生課題図書は、なかなかです。

  • 【2021年中学生課題図書】

    これが1番感想文を書きやすいのでは、と思った。
    やりたいことをやり通せる姿が素晴らしい。

  • 幕末、土佐の佐川村の裕福な家に生まれた牧野富太郎は、野山の植物を観察するのが大好きでした。学校の勉強になじめず、小学校2年で小学校をやめ、植物採集や写生、読書に没頭し、西洋の植物学に触れてからは、日本の植物誌を作ることが生涯の目標となりました。夢中になると周りのことなどおかまいなし、生活力ゼロの天才植物学者を家族と友人たちが支えます。学歴なしの天才がその情熱と知識と技術で日本植物学の祖となるまでをわかりやすい文章でまとめた伝記。87歳、臨終の床から奇跡の蘇りをはたすところにはびっくり仰天です。

  • 2021年度の課題図書、中学生向け。

    牧野富太郎。
    土佐(高知)に生まれた少年は、野山を歩き、草木や花を観察するのが好きでした。
    独学で研究を続け、『牧野日本植物図鑑』を作り、「日本の植物学の父」といわれ、植物とともに94年の生涯を歩みました。

    すごいなぁ……。
    「好きこそ物の上手なれ」とは、こういうことを言うのでしょう。
    裕福な実家が研究のお金を用立ててくれたり、お金がないのに人にご馳走してしまうあたりは、恵まれた環境にあったお坊っちゃんなんですね、としか思えません。
    でも、それを差し引いても、牧野富太郎という人に人望と幸運があったんだろうな、と思いました。
    「この人(こと)のためなら」と思わせ、窮地に陥ってもどこかから援助がある。
    「植物図鑑なら牧野」、今度見てみます。

  • 牧野富太郎のことは、日本植物学の父、たくさんの新種を発見、命名した人ということくらいは知っていたのだが、初めて伝記を読んだ。
    他にもたくさんの伝記が出ているので、それらの中でこの本がどうなのかは分からないが、小学校高学年位から読める伝記としてよくまとまっていたし面白かった。
    この人の生涯はドラマになりそう。ただ長生きなので、子役と大人2人で演じるのは難しいかな。

    知らなかったこと
    ・森鴎外と同じ文久二年(1862年)生まれ。漱石より年上なのに、現代の人の感じがするのは長生きしたから。
    ・土佐の裕福な商家で生まれ、幼くして父母も祖父もなくしたが、祖母に愛され、個性を十分に伸ばす教育をしてもらえた。
    ・それまで(江戸時代)は植物学という概念はなく、毒や薬、食用となるかどうかを研究する「本草学」だった。植物を科学として分析する植物学は明治以降西洋から入ってきた。
    ・学校制度ができる前に寺子屋と藩校に通ってかなりの知識を身につけていたが、13歳の頃学校制度が始まり、学校に行くなら小学校から始めなければならなかったため、もの足りず二年でやめた。そのため、富太郎には学歴がなく、ずば抜けた研究者でありながら、今で言う非常勤講師のような仕事を(もちろん薄給)長く続けた。
    ・26歳で10歳年下の菓子屋の娘と結婚し、13人もの子どもをもうけた。
    ・正規の大学教授に業績を妬まれ、大学での研究を止められたり才能故の苦労もあった。
    ・薄給の上に子沢山、研究費には糸目を付けず、後進への面倒見もよく、家計はいつも火の車だった。
    ・体は非常に丈夫で、ハードワークの連続ながら大病はせず、死の2年前まで野山を歩き、死の直前まで歯も揃っていた。

    それにしても、妻の壽衛(すえ)さんは凄い。13人も子どもを産んで(うち7人は死去)、生活費を十分に稼いで来ない富太郎を、待ち合いまで経営して物心両面で支えた。子供たちには父がいかに尊敬できる人物であるか、その仕事が偉大なものかを説き、貧乏でも恥じることはないと言い続けた。
    稼ぎは少なくとも、その研究の価値を信じていたのだろうし、植物学のためなら労を惜しまない根気と努力、そして子供のような純粋な心に惚れていたのだろうとしか思えない。でなければ子どもを置いて逃げ出すよ。
    そんな伴侶に出会えた運命って不思議。こういう妻じゃなくて、かまってちゃんだったり、自分も楽しみたいと思う妻なら、牧野富太郎の業績も半分になっていたかもしれない。
    彼の才能と業績は凄いが、妻がいてくれたからこそ。
    しかし、産児制限できていたら、もう少し人生に余裕があったかもしれない。
    感慨深い。

  • 本草学ではなく植物学として。
    学歴なしが足枷になったのか、学校という鎖に縛られなかったからこそのこの成果なのか。
    一生研究に打ち込むことができたのは、その研究に賛同してくれる協力者がたくさんいたから。
    本人はとにかく研究しているだけだし、誰にでも植物学を広めたいだけだったのだろうけど、それが良い人間関係を作り上げた。
    人間関係が後からついてきた感じなんだろうな。
    凄いことだと思う。
    好きなこと一筋。
    うらやましくもある。

  • ほのぼのしていて良い

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著者プロフィール

出版者勤務後、フリーランスの編集者・ライターとして自然科学関連の児童書を中心に、企画・編集・執筆を幅広く行っている。

「2023年 『日本植物学の父 牧野富太郎 「好き」を追い続けたぼくの話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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