疑似科学と科学の哲学

著者 :
  • 名古屋大学出版会
3.75
  • (25)
  • (33)
  • (46)
  • (0)
  • (2)
本棚登録 : 521
感想 : 38
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784815804534

作品紹介・あらすじ

占星術、超能力研究、東洋医学、創造科学……これらはなぜ「疑似科学」と言われるのだろうか。はたして疑似科学と科学の間に線は引けるのだろうか。科学のようで科学でない疑似科学を考察することを通して、「科学とは何か」を解き明かしてゆくユニークで真っ当な科学哲学入門。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  科学哲学の論点には様々なものがあるが、中でも重要なのが「科学とは何か」という問いだろう。科学が、主張する内容そのものというよりは、寧ろその方法論のために支持されているというのは、誰しもが認めるところだと思う(例えば、「時空は伸び縮みする」という主張が、明らかに私たちの直感に反するにもかかわらず広く信じられているのは、それが相対性理論という科学理論から導かれるものだからだろう)。では、科学の方法論とはどういったものか。また、科学ならば即ち善で、そうでなければ悪なのか……
     さて、先の問いはあまりに漠然としているが、「科学と科学でないものの違いは?」と言い換えると少し考えやすい。本書は、「疑似化学」と「科学」を比較することを通じて科学を科学たらしめているものの本質に迫ろうという趣向で書かれた、科学哲学の入門書である。

     第1章の議論を少し見てみよう。トピックとなっているのは、生命の起源の謎だ。「科学」からの解答は、ダーウィンが唱えた進化論であり、共通先祖説と自然選択説を2本の柱とする。一方、「疑似科学」とされる説が創造科学で、キリスト教の聖書に基づく創造説をなるべく宗教的用語を持ち出さずに科学理論として整えたものである。
     オーストリア出身の哲学者カール・ポパーは、科学であるか否かの基準として理論に反証可能性を要求する、「反証主義」を提案した(有名な話なので聞いたことがある方もいるかもしれない)。ここで、反証とは、簡単に言えば仮説から導かれる予測と観察が食い違うことで、このとき仮説は間違っていることになる。逆に予測と観察が一致しても、反証主義ではその仮説がより確からしくなったとはしない。極端に言えば、“予測と観察が一致することには何らの価値もなく、むしろ予測と観測が一致しないことにこそ価値がある(p.37)”のである。
     理論の反証可能性には序列がある。例えば、林檎が木から落ちるという現象に対して、「人の目には決して見えない妖精がそうしているから」という説明はほとんど反証可能性を持たない(批判に対して何とでも言い抜けられる)が、「任意の2物体の間には、それぞれの質量に比例し、距離の2乗に反比例した引力が働くため」という説明は高い反証可能性を持つ、すなわち大胆な(=外れやすい)予測をおこなうだろう。そして、反証主義は、高い反証可能性を持つ理論こそが良い科学理論であると考える。これはかなり妥当な基準であるように思えるし、何よりシンプルで分かりやすい。
     それでは、この反証主義の立場から、進化論と創造科学の間に線を引くことは出来るのか? 結論を先に述べると、それは厳しい。まず創造科学だが、実際に進化論側から“反証となる証拠が提示されているからには、仮説そのものは反証可能だと言わざるをえない(p.48)”。一方の進化論も、反証可能性があるとは言い切りにくい。仮に進化論に否定的な証拠が見つかったとしても、進化論者は進化論を捨てずにあくまで進化論と整合する説明を追求し続けるのではないかと予想されるからだ(但し、ここでは「反証可能性」を支持者の態度に関するものまで広げて考えている(方法論的反証主義))。
     さらに、反証主義には原理的な問題点も指摘されている。というのは、推論には普通、暗黙の内に前提としている多数の「補助仮説」が存在するからである。すると、仮に予測と観察が異なっていても仮説を放棄する必要はなく、補助仮説に適当に変更を加えることで仮説と観察の辻褄を合わせることが出来てしまうかもしれない(「過小決定」の問題)。この考えを押し進めると、“どんな観察結果が出ようが、補助仮説群に手を加え続けることによってテストされる仮説を救い続けることができるかもしれない(p.54)”。これを信じるなら、反証のプロセスは完全に無効化されてしまうことになる。

     以上で紹介したのは本書での議論の一部だが、科学と疑似科学を明確な基準で分けるというのは直観的に思う以上に困難で、そして奥が深いことが分かる。もちろん反証主義の他にも現在までに様々な試みがなされているが、興味深かったのが「ベイズ主義」(第5章)である。そこでは仮説の信憑性の度合いというものを考え、観察や証拠に対して「ベイズの定理」(高校で習う条件付き確率の式と大体同じ)に従って逐次更新していく。オール・オア・ナッシング式の考え方ではなかなかうまくいかなかったので、仮説の受け入れを「程度」の問題として理解しようとするのである。統計学の分野で、ベイズ統計が最近注目されているというのは聞いたことがあったが、科学哲学にも応用できるとは驚いた。とはいえ、素人目には仮説の信憑性の度合いの具体的な値を求めるのは難しそうに思えるが、2つの仮説の信憑性の度合いの大小関係ぐらいは導けそうだし、本書での議論を見ると色々な問題に対して確かに有用そうである。

     本書全体を通して、決して結論ありきではなく、「疑似科学」と「科学」をできるだけ公平に扱おうと注意して記述しているなぁという印象を受けた。さらに、上で見た「進化論vs.創造科学」のように、常に具体例を出発点として考えているのでとっつきやすく、読んでいて退屈しない。

     現代の社会は、科学抜きでは到底成り立たない。しかし、なんとなく科学っぽければ良いのか、また科学であるだけで何でも許されるのか。「科学」に無批判でいないためには、いざとなれば根本に立ち帰り点検するための準備が必要だろう。…とまぁ、そんな堅苦しいことを言わなくとも、純粋に読んでいてとても面白いので、オススメの一冊。


    序章
    1 科学の正しいやり方とは?ー創造科学論争を通して
    2 科学は昔から科学だったのか?ー占星術と天文学
    3 目に見えないものも存在するのか?ー超能力研究から
    4 科学と疑似科学と社会ー代替医療を題材に
    5 「程度」の問題ー信じやすさの心理学から確率・統計的思考法へ
    終章

    ↓著者が公開している科学哲学のブックリスト
    http://tiseda.sakura.ne.jp/PofSbookguide.html#3-2-2
    (「科学哲学日本語ブックガイド」と検索してもヒットします。)

  • *****
    「科学的」とは何かを哲学的に考える、その探索の過程として「疑似科学」と呼ばれるものを問う。
    統計学という探索手法によって担保する、ということがいかに科学のカバー領域を広げることに貢献したかが突き刺さった一冊。
    *****

  • これは面白い。「科学と擬似科学の間に明確な線引きは可能だろうか?」という問いを中心に置きながら、20世紀における科学哲学の論点を整理していくことで科学的なものの在り方がどの様に変遷していったのかを理解する事ができる。また各章の冒頭に創造科学や占星術、代替医療といった疑似科学を例に挙げられているためか、常に具体例との対比で考えさせる構成になっているためか教科書的な退屈さは全く感じられなかった。あとがきで述べられている「健全な懐疑主義」、まっとうに疑う姿勢とその技術の必要性については心の底から同意したい。

  • 著者、いちいち人間臭い書き方が持ち味か。

    p.149 (原理的なレベルで意見が食い違ってしまっている場合に)「哲学というのはそういう場面で議論を整理してなにがしかのことを言う能力と責任のある学問」

    ポパーの方法論的反証主義

    補助仮説の後付けad hocの変更。

    クワイン「どんな仮説でもどんな観察からも支持される」

    決定実験の不可能性。過小決定。underdetermination

    観察の理論負荷性。通約不可能性。パラダイム。通常科学。アノマリー。パズル解決。異常科学。科学革命。
    「ある科学者集団が共有しているものがパラダイムである」クーン
    専門母体disciplinary matrix 世界観や問題設定などいくつかの要素を含んだ広い意味でのパラダイム
    見本例exemplar パラダイムの核心となる模範となる回答例

    「パズル解決によるアノマリーの解消」という「通常科学」の営みがなければ科学ではない。クーン

    ラカトシュのリサーチ・プログラム論。固い核。防御帯。新奇な予言、新しい現象の予測。前進的プログラム:防御帯の変更がどんどん新しい予言につながり、それを成功させていくプログラム。

    観察と実験

    成熟した科学の理論は近似的に真である。

    オッカムの剃刀って切れ味がよすぎるんじゃないの? ベッカムの髭剃りくらいでいいと思う。

    日本の科学哲学者は原発、放射能、低線量被曝について語ってるのかな?何を語れるのか興味ある。

    工学的設計は科学理論ほど抽象度が高くないので、ひとつの人工物のなかに異なるパラダイムを混在させることも可能だろう。疎結合なサブシステム群として。

    ロバート・マートン、コロンビア学派。
    科学知識社会学。

    標本サイズが大きいと、弱い相関でも有意な結果が出やすい。バイアスの疑いも高まる。

    線引き問題で、成功した科学、近代科学(≠機械論的世界観)に分類するかどうかを問題にしている。再現性・操作性の高さにより特徴づけられる。

    線引き問題って植民地の「被支配者の屈折した同一化欲望」と「支配者による疎外」の綱引きみたいな問題に似てるなーと思った。

    「進歩主義的な結論にするためにはポパーやヒュームを否定して帰納主義を採用する必要があった」という印象の議論。「近代科学の成功は、知的価値において前進してるから成功なのだ」というのが、知的価値=善という補助命題(前提)を置いていて、ぼくから見るとトートロジーな感じもする。

    「疑似科学」(あんなやつら)を「科学」の仲間にしたら、科学が「前進」(進歩)してないことになってしまう。だから仲間に入れてやんない。といってるように見える。

  • ferminさん (http://booklog.jp/users/fermin) にこの本を教えてもらったのはもう2年前。やっと読んだ。

    とても面白かった。普通に科学を勉強しているだけだと、考えもしない切り口がいっぱい。考えるための武器もいっぱい与えてくれるけど、その武器は僕には重く、使い方も複雑だ。この本を読んだからといって、僕の「科学」と「疑似科学」に対する態度はなんら変わらなかったかもしれない。でも、考えることは大切で。。。

    第3章くらいまでは楽しく読めたんだけど、第4章くらいから頭がおっつかねー。でも、第5章のベイズ統計の話は専門の本を読むよりも分かりやすいんじゃないだろうか。読んだことないけど。で、最終的にベイズ主義によって「線を引かずに線引き問題を解決」するというのが結論としてあるので、意外なところに着地した感じ。


    ちなみにタイトルは、『「疑似科学と科学」の哲学』ですね。『「疑似科学」と「科学の哲学」』ではないと気づいたのは読み終わって改めて表紙を見てからだ。

    文章はとても読みやすい。ジョーク交じりで楽しい。

    この本の中ではたくさんの本が紹介されていて、読みたいと思ったものも多かったけど、その中でもいくつかだけメモ。
    谷岡一郎『社会調査のウソ』
    金森修『サイエンス・ウォーズ』
    ロイ・ウォリス編『排除される知』
    西村肇 他『水俣病の科学』
    チャルディーニ『影響力の武器』
    内井惣七『科学哲学入門』


    (2011.11.29)

  •  代替医療については,昔読んだこの本で「えー,こんなのあるんだ!」とびっくりしたのを覚えている。この本は擬似科学について哲学的に面白く学べておすすめ。代替医療以外にもいろいろな擬似科学が紹介されている。

  • 2023-04-25
    大変刺激的で面白かった。ぼんやりと考えていた「科学とはなにか」という問いに関する論考がこれでもかと詰まっている。
    結局明確な答えは出ていないが、明確な答えが出ないという感覚も腑に落ちた。
    特に疑似科学系に吸い寄せられる人、反射的に拒絶する人、必読。

  • 疑似科学を避けるためには、哲学の疑う技術が必要

  • うむ。難しい。

全38件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1968年生まれ
1999年 京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学
2001年 メリーランド大学よりPh.D.(philosophy)取得
    名古屋大学大学院情報科学研究科准教授等を経て
現 在 京都大学大学院文学研究科教授

著書:
『動物からの倫理学入門』(2008年、名古屋大学出版会)
『科学技術をよく考える』(共編、2013年、名古屋大学出版会)
『宇宙倫理学』(共編、2018年、昭和堂)他

「2022年 『宇宙開発をみんなで議論しよう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

伊勢田哲治の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×