図書館を育てた人々 イギリス篇 (JLA図書館実践シリーズ 8)

  • 日本図書館協会
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  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784820407171

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  • 2013 11/8パワー・ブラウジング。同志社大学今出川図書館で借りた。
    図書・図書館史授業用。
    そういえばイギリス編だけ未読だったな・・・とりあえず、イギリス公立図書館成立史関連人物部分だけ授業用に読んだ。
    以下、メモ。

    ・伝記/図書館発展史的には面白い  ⇔時代背景とのかねあい等は人物史なので当然だがあまりない

    ・5. パニッツィ
     ・ユーワート/エドワード・エドワーズらによる公立図書館設置の動きに明確に対立(その役割は大英博物館図書館でもできる+エドワーズと対立していたので)
     ・初期図書館界は有能で理想にあふれる偉大な人物、だけど、喧嘩はやくて地位を利用して気に食わないヤツを痛めつけるろくでなしの多い業界であることを再確認

    ・6. ウィリアム・ユーワート
     ・下院議員/公共図書館法の生みの親
     ・活動初期には博物館も支援・・・民衆教育/国民教育の文脈
     ・1850年:公共図書館法・・・これも民衆教育の必須施設ではある
      ・エドワード・エドワーズとタッグを組む
      ・地方自治体が納税者の税金1ポンドごとに2分の1ペンスを図書館設立に使うことを認める法律。この割合を「ペニー・レイト」と呼ぶ

    ・7. エドワード・エドワーズ
     ・すげえ悲惨な人生を送ったことはわかったが、授業に参考になる記述は・・・まあネタにはなるか?

    ・ジョン・ピンク
     ・p.70 ケンブリッジ公共図書館での小説排除の例に言及有り
     ・両ブロンテ、ルソー、ゲーテ等が排除される
     ・図書館があっても労働者は全然教育されないで、ろくでなしのままじゃないかという批判も
    ・英国・・・労働者のself helpの施設としての側面が強い/公共図書館の利用者は専ら労働者と考えられている⇔しかし実態は??

  • 図書館を育てた人々イギリス篇

    司書(ライブラリアン)に決して尋ねてはならない質問がある。
    というのは、そう質問する我々が期待するものは、現実にはもはやあり得な
    い答えであるからだ。

    その質問とはこうである。
    「この図書館にある本を全部読んだのですか?」
    そして、その答えとはこうだ。
    「仕事ですから」

    自分の図書館の本をすべて知っている司書はもはやいない。
    一人の人間がそのすべてを知ることができた図書館の時代は(本当にあった
    のだろうか?)とうに過ぎてしまった。
    図書館はもう個人の手には負えないものになってしまった。

    200年前、1810年度の大英博物館図書館の蔵書はたった2000冊だった。
    今の感覚では、全学年合わせて1クラスしかない小学校の図書館にも満たな
    い蔵書量だが(なんだ、うちの方が多いぞという人も少なくないだろう)、そ
    の10年前に開設したアメリカ合衆国議会図書館の蔵書は1000冊に満たなかっ
    た。
    これらはもちろんしょぼい例なのだが、19世紀はこうした図書館の蔵書が爆
    発的に増えていく時期にあたっていた。
    大英博物館図書館についていえば、それはナポレオンとの戦争に勝利した後
    の1810年代にはじまった。アレクサンドリア条約の結果,ナポレオンの兵士が
    発見したロゼッタ・ストーンをはじめとする多くのエジプト彫刻が、それから
    パルテノンからは彫刻群(エルギン・マーブルズ)がやってきた。蔵書も1825年
    には23000冊を越えた。1828年にはジョージ3世文庫8万冊が寄贈され、1831年
    には3万冊のフランス革命関係コレクションが加わった。
    この年、イタリアのモデナ公国出身のアントニオ・パニッツィという男が大
    英博物館図書館に加わった。フランス革命の熱を帯びた思想を抱いて秘密組織
    に参加し逮捕されたが、どうにか国を離れ、亡命同然でイギリスにまで落ちの
    びてきたこの男に、本人不在の法廷は死刑の判決を下していた。
    パニッツィが頭角を現したのは、件のフランス革命関係コレクションの目録
    作成だった。驚くべき速さでそれを完成させ、理事会の注目を集めた。理事た
    ちを前に、パニッツィはこう吠えた。
    「まったく、この図書館がつくってきた目録ときたら間違いだらけだ」
    上司や同僚たちは激高した。しかし、これがこの男のやり方だった。
    1835年、怠業を理由に解雇された図書館員たちが、一部の議員のところに泣
    きつき、議会で大英博物館図書館の管理問題が取り上げられた。パニッツィも
    証人として議会に立った。今度はこうぶち上げた。
    「ナポレオンですら、予算を増やし、館長に自由に蔵書を蒐集させた。それが
    どうだ? この国最大の図書館とやらの蔵書はまったくお寒い限りだ」
    またも人々を激高させたが、同時に議員たちの愛国心にも火をつけた。
    こうしてパニッツィはPrint Book部門の責任者となった。相変わらず敵を作
    るやり方だったが、大規模な寄贈ばかりでなく、少なくともこの国で刊行され
    るすべての本を集めるべく、次々に手を打った。スタッフを増強して徹底的な
    収集を行わせ、さらに出版社に納本を義務づけるよう法律の改正まで要求した。
    さらに全世界のあらゆる書物をあつめるべく、国外書籍についても手抜かりな
    く、各言語の専門の担当者を置いて収集体制を強化した。パニッツィがこのポ
    ストにいた1837年から1856年の間に、大英博物館図書館の蔵書は100万冊増
    加した。1857年、理事会はパニッツィを大英博物館館長に就任させた。
    パニッツィはPrint Book部門を引き受けた翌年、リチャード・ガーネットと
    いう男を大英博物館図書館に引き入れていた。ロマンス諸語に通じていたパニッ
    ツィだったが、ほぼ独学でヨーロッパの言語と文学すべてに通じ、加えて完璧
    な古代ギリシア語、ラテン語、さらにヘブライ語を使いこなす男の力が必要だっ
    た。温厚なガーネットは、やり手で強引なパニッツィのやり方に必ずしも同意
    していなかったが、対照的な性格のせいか、1850年にガーネットが死ぬまで、
    二人はうまくやっていくことができた。ガーネット家には子供がたくさんいた。
    経済的に困った一家を助けるために、パニッツィは16歳だった長男を雇うこと
    にした。父の才能を受け継いだ少年には、学費の面倒はみるからオックスフォー
    ドに進んではどうかという親類からの申し出があったが、少年は父親と同じく
    独学の方を選んだ。少年、二代目のリチャード・ガーネットは、一番安い給料
    の職員として博物館図書館に入った。
    最初は目録づくりの手伝いに本のタイトルを記入するといった簡単な仕事し
    かさせてもらえなかったが、ほどなくしてパニッツィはこの少年の才能に気付
    いた。少年は書籍の出し入れの担当になった。簡単な仕事に思えるが、この時、
    パニッツィの下で爆発的に蔵書が増え続けていたこと、書架は700以上の分
    類に分けられそれぞれ別の目録が作られて、どれもあまり信用のおけるもので
    なかったことを忘れてはならない。ガーネットは20年間この仕事をした。この
    間に彼が読み学んだのは、本のタイトルとその保管場所だけではなかった。図
    書館にある、あらゆる本のすみずみまで読み尽くした。図書館のすべての本を
    知る最後の司書はこうして育った。
    さてパニッツィの野心は、蔵書を増やすだけにとどまらなかった。パニッツィ
    は、これら蔵書を人々が利用できるようにしなければならないと考えた。増え
    続ける蔵書が、博物館のすべての空間を圧迫していた。新館の建築が必要なこ
    とは誰の目にも明らかだった。のちにルイ・ナポレオンやガリバルディやマル
    クスが訪れることになる円形の図書館閲覧室Reading roomが作られ、既存の建
    物と閲覧室の間のスペースに書庫も増築された。直径42mの円形閲覧室の壁面に
    つくられた書架には2万冊の参考図書※が並び、そして閲覧室中央の丸いカウ
    ンターの中にレファレンスワーク(参考業務)を行う司書が常駐した。

    ※British Museum. Dept. of Printed Books. (1871). A List of the Books
    of Reference, in the Reading Room of the British Museum.
    http://books.google.co.jp/books?id=yJAtAAAAYAAJ&dq=A%20List%20of%20the
    %20Books%20of%20Reference%2C%20in%20the%20Reading%20Room%20of%20the%20
    British%20Museum&pg=PR3#v=onepage&q&f=false

    20年間の書庫係の仕事を終えて、ここでガーネットは新しい仕事をするこ
    とになった。
    ひかえめだが親切なガーネットは、閲覧者のどんな質問や資料要求にもこた
    えようとした。そして彼にはそうできるだけの知識があった。教皇からダービー
    馬まで、あるいはマイナー雑誌に何年も前に載った論文からキノコの名前まで、
    とにかく何を聞いてもよどみなく答え、出典をページ数まで言うことができた。
    この時期、閲覧室を訪れた多くの学者や作家たちがその著作の中で、ガーネッ
    トに謝辞を述べている。ある者(Bishop Creighton)はガーネットをthe
    ideal librarianと呼んだ。
    やがてガーネットは閲覧室を離れ、ある仕事に専念することになる。パニッ
    ツィがぶち上げたが未だに完成を見ない、大英博物館図書館の統一図書目録の
    作成がそれだった。
    19世紀が終わり、博覧強記の時代が終わり、目録に基づく管理の時代がやっ
    て来ようとしていた。

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