言語の起源 人類の最も偉大な発明

  • 白揚社
3.50
  • (4)
  • (8)
  • (8)
  • (4)
  • (0)
本棚登録 : 288
感想 : 16
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784826902205

作品紹介・あらすじ

『ピダハン』で一大センセーションを巻き起こした著者が、言語の起源の謎に挑む

 人類史上最も偉大な発明である「言語」。その起源をめぐっては、これまで様々な議論が交わされてきた。
 言語はいつ、誰が最初に使いはじめたのか? 人は言語を突然変異によって獲得したのか、それとも漸進的な変化によって身につけたのか? そもそも、他の動物のコミュニケーションと人間の言語は何が違うのか――すなわち、言語とは何か?  
 ノーム・チョムスキーが提唱した生成文法への反証であるとされた「ピダハン語」の研究で一躍有名となった、異端の言語学者ダニエル・L・エヴェレットが、言語学のみならず、人類学、考古学、脳科学などの知見をもとに、上記の問いすべてに答えを出す。著者渾身の一冊。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 【はじめに】
    『ピダハン』の著者であるダニエル・L・エヴェレットは、言語学者としてアマゾンの先住民族ピダハンとの現地での長期滞在を通してピダハン語の研究を行ってきた。その成果をベースとして、言語について考察を行ったのが本書『言語の起源』である。

    ピダハン語は、他のいかなる言語とも似ておらず、比較級に相当する表現がなかったり、色を表す単語がないなど、他の言語からの推定では当然あるだろうと考えていた表現形式が存在しない。また、「すべての」や「それぞれの」や「あらゆる」などの数量詞が存在しないし、物を数えたり、計算をせず、数の概念もどうやらないらしく数を表す言葉もない。「こんにちは」や「さようなら」といった交感的言語使用が見られないし、「ありがとう」や「ごめんなさい」に相当する言葉もない。

    このような他言語と比較して異質なピダハン語の分析と理解を通して、著者は既存のインド-ヨーロッパ語族中心に考えられてきた言語の起源の分析に違和感を覚え、異議を申し立てるのである。

    なお、ピダハン語についての考察は、『ピダハン』の方が深い。彼らの文化や著者の体験などとても面白い本である。

    【概要】
    他の動物のコミュニケーションと比較して、人類の言語だけがシンボルを持っている。このアイコンからシンボルへの飛躍は自然なものではない。シンボルを使えるようになったことが人間の言語と人間自体を他の動物との間に一線を画することとなったと重視する。他の動物との「言語の断絶」と呼ばれるものである。

    一方で言語の起源に関する研究においては、シンボルと文法はどちらが先行したのかが争われている。ここで著者はこの世界での大御所であるチョムスキーの生成文法の理論に対して批判的な態度を隠さない。チョムスキーの理論では、おそらくは単純化して解釈すると、文法は人類に生得的に突然変異によって獲得されたものであり、シンボルに先行すると言う。特に文法の再帰的構造を人間の言語の特徴として、その特性のゆえに言語が柔軟な表現を可能にしていると主張する。いわゆる生成文法の理論である。
    一方、著者は、文法が言語の中心だという考え方を退ける。言語は文法ではないとして、ピダハン語に再帰的表現がないことなどを挙げて反論している。

    著者は、脳の一部と言語との固定化された関係を否定し、生得的であるという概念を否定する。例えば、脳内で言語をつかさどる領野として、ウェルニッケ野やブローカ野があるが、これらは部分的にはフィクションであり、確かにこれらの領野での障害が言語行為に影響を与えることがわかっているが、一方でこの領野が言語だけに割り当てられているわけではないとしている。また、FOXP2遺伝子と呼ばれる遺伝子が言語遺伝子として特定されたかのように言われたこともあったが、それほど単純なものではなく、遺伝に関する言語障害が見当たらないと主張する(※これは本当かどうかはわからない。そういった事例があるといったことを聞いた記憶もある)。そもそも「人間の脳には遺伝的に言語に特化した組織があることを示す証拠はほとんどない」ということらしい。言語は動物のコミュニケーションから進化により発達したことはおそらくは自明であるが、進化によって言語が発展してきたという考え方と生得的な機能から言語が獲得されたとする生成文法の考え方はあまり相性がよくないのである。

    著者の考えは以下の通りである。
    「最善の答えは、脳が高速かつ柔軟な思考に向かって進化した汎用の器官だとすることだ。すると脳には、どんなものにも対応する備えがなければならないことになる。そしてまさにこの理由のために、われわれは他の種よりも、本能をはじめとするあらかじめ定められた認識のいっさいから自由になっている」

    一方で、シンボルが文法の先に進化したという証拠がたくさんあるという。その後、シンボルと文法は手を携えて発展したというのがありそうなシナリオだという。「人間の知能の進化を促した最強の力は、どう見ても、シンボル、文法、音高、ジェスチャーを使って表現される、言語と文化の組み合わせだった」というのが著者の主張だ。文化と自然淘汰には相互作用がありうるとするのがボールドウィン効果を著者は言語の発展をドライブするものと捉えている。

    そもそも言語の第一の目的はコミュニケーションである、というのが著者の考えである。内的思考は言語の副産物であり、思考は言語の目的ではないと明快に解答する。

    「他人も自分と同じように考えていて、こちらが伝えたいことを理解するだろうと信じていればこそ、言語は機能する」というのはある意味で深い。相互理解は、言語が成立するための前提であり、相手が同じように考えているのだろうかという意識の課題は、言語でそう考えているときにはすでに前提になっている条件であるということだ。

    なお、本書は言語学の本らしく、音韻論やそれを可能とする生物学的な発声器官の分析も詳しい。また、ジェスチャーの重要性を強調した説明も厚い。ジェスチャーが言語音声と共進化したとして、言語にとって決定的に重要だったと主張している。

    【まとめ】
    著者の立場は、100万年前のホモ・エレクトゥスから言語は使われており、ネアンデルタール人も言語を操っていたのではないかというものである。そのときから言語は脳というハードウェア上で進化してきたのだろう。言語と文化は手に手を取って共進化を進めてきた。
    「今から六万世代以上も前、ホモ・エレクトゥスはこの世界に言語をもたらした。エレクトゥスの言語は、動物のコミュニケーションのたんなる亜流ではない。それは人類固有の認知能力と情報伝達構造の一般原理に基づいた、進んだ文化的表現だった」

    われわれは言語が誕生した場に立ち会うことはできない。その痕跡や証拠は古代の遺跡にはほとんど含まれない。言語が動物と人類とを分かち、その結果人類に与えたであろう影響を推定することはできる。しかし、実際に言語がどのようにして生まれたのかを知ることはとても難しい。本書はそういった言語の起源に向けて、チョムスキーという権威にも抗して著者の見解を誠実に示したものである。著者の意見を特異なものとしているのは、フィールドワークを通したピダハン語の研究であろう。祖語を共通とする語族を別にして、言語は互いに似ていない、という主張は実は重い。ある範囲では、言語こそが文化を規定し、文化によって言語は進化してきたのである。そのことを如実に語るのが『ピダハン』で記述されたピダハン語とピダハン族の哲学の関係である。我々はもしかしたら想像以上に母語となる言語によって考えを規定されているのかもしれない。

    ぜひとも『ピダハン』とともに読んでほしい。

    ------
    『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』(ダニエル・L・エヴェレット)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4622076535

  • 言語の起源を論じるため、生物学や進化論、考古学を駆使していることもあり、内容は難しい。ただ日本語訳は分かりやすい方なので、理解は出来るし、読み始めると止まらない。

    そもそも「言語」とは何か。Wikiによると以下。
     狭義には「声による記号の体系」

    ただ本書でも論じているように、記号にも、インデックス、アイコン、シンボルという階層がある。
    また体系には文法も含まれるだろう。ただ文法は必須なのか、そうでないのか、議論の余地はある。

    現状の知識、理解度からすると、2~3回は読まないと理解し得ない内容に思える。

  • NDC(10版) 802 : 言語史・事情.言語政策

  • 言語の起源を考察する論考。
    背景となる知識が足りな過ぎ、少々消化不良だった感じもするが、言語は、単に口から発せられるものということだけでなく、しぐさやジェスチャーも含めて捉えられるべきであるという主張には、頷けるものがあった。

  • ●要約すれば、言語は文化から徐々に出現し、文化は脳を利用してコミュニケーションをとった人類によって形成された、というのが本書に主張である。

  • すべての生物の中でなぜ人間だけが言語を使うようになったのか。それはなぜかという問いに言語人類学者のエヴェレットが長年の研究の成果をまとめた本。
    これまでにアマゾンの原住民ピダハンの言葉のフィールドワークを読みおもしろかったので、本作を読んだが、非常に読みにくかった。著者はチョムスキー学派とは反対の立場をとり、ホモサピエンス以前のヒト族も言語のあやつっていたとする。それは道具の使用という文化の痕跡であったり、骨格の形およびそこから推測される筋肉の動きから推測する。
     さらには言語の使用には共通認識や文化的背景が必要であり、言語だけを切り離して考えるのではんく、生活の所作の一部として考えるべきだと主張する。
     著者の考えはどちらかというまっとうな考えであると思われ、そのまっとうな考えを回りくどく説明されるものだから、なかなか読むのに苦労した。
     図書館で3回借りてよんだのだから、読了に6週間近くかかってしまった。自分なら30ページくらいにまとめれるのではないかと思った。

  • 読了。タイトル通りの内容だったんだけど、もっと現代の言語に直接つながるような話を期待したのでちょっと違った。
    ホモ・エレクトゥスの化石のあたりで言語はどう発生したのか、ということがメインで、それ以降の話はあまり出てこなかった。

  • ふむ

  • 企画を担当。

  • なかなか内容を理解するのが難しい。
    何回か読めばわかるようになるのかもしれないが、なんとなく手にとり読んでみたためそこまではしないだろう。

全16件中 1 - 10件を表示

ダニエル・L・エヴェレットの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×