対訳でたのしむ班女

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  • 檜書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (30ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784827910452

感想・レビュー・書評

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  • 素人が学ぶ能シリーズ、ちょっと間が空きましたが、今月は「班女」です。

    班女というのは、主人公のあだ名に当たります。美濃の国野上(のがみ)の宿の遊女で、名を花子(はなご)と言います。なぜ班女と呼ばれているかと言えば、キーになるのは「扇」です。
    班女こと班倢伃(はんしょうよ)は、中国前漢の成帝の側室で、一時は帝の寵愛を得たのですが、後、寵を失い、皇太后に仕えます。この人は詩人でもあり、愛を失い落ち目になることを秋の扇に譬えた詩を作ります(『怨歌行』)。夏の間は重宝されるけれど、秋になったら見向きもされないじゃない、というわけですね。なかなか苦い歌です。
    さて、能「班女」の遊女、花子は、都からやってきた吉田の少将と懇ろになります。野上の宿は、都から東国への往来で、鎌倉時代には随分栄えたところなのだそうです。少将も官用があったものか、ここを通って花子と知り合うのですね。で、帰りにも必ず寄るからといって、その証に扇を交換するわけです。花子は少将が恋しくて、扇を取り出しては少将を想い、他の客の席に出ようとしません。
    扇を眺めてため息ばかりの花子を揶揄して、周囲が「班女」と名付けるわけです。この故事はかなり有名なものだったのでしょうね。なるほど扇つながりと言えばそうなのですが、このあだ名には、「そんな口約束されたけど、どうせ少将は帰ってきやしないよ」というやっかみ半分の意地悪な思いも混じっているようにも思います。なにせ、原典の班倢伃は寵愛を失ったわけですから。
    あだ名をつけられただけならまだしも、遊女として働かない花子は、宿の女主人に追い出されてしまいます。定めなき世の悲しさよ。
    それで花子は少将がいるはずの都を目指します。行く先は下鴨神社です。下鴨神社は、高野川と賀茂川の合流地点でもありますし、ゆかりの植物は葵(旧仮名ではあふひ)ですし、河合神社もありますし、何かと「逢う」に縁のある場所であるわけです。
    花子はここで狂女として舞い踊り、少将の行方を探します。
    能のクルイというのは、心の病というよりは芸能の色が濃いようなのですね。『隅田川』などでもそうですが、人を恋い慕う気持ちを昇華させるような、そんな舞です。
    そこに、やはり花子を探していた少将が通りかかり、2人はめでたく出会い、契の扇を見せ合います。
    艶やかでしっとりしたお話です。

    本作は世阿弥の作と言われています。
    タイトルは、前述のように班倢伃の故事から採られていますが、詞章には、源氏物語を始めとして、和漢朗詠集や長恨歌の一節なども散りばめられており、幾重にも本歌取りしたような凝った作りになっています。源氏物語と扇と言えば、夕顔が源氏との出会いの際に、夕顔の花を扇に乗せ、その扇に和歌をしたためていたり、また本来、家が仇同士のような朧月夜と源氏が密会した際に扇を取り交わしていたり、小道具として大活躍しています。
    世阿弥は観客がこうした故事や原典を知っていることを前提に、これらの物語のエッセンスも取り込み、作品世界に厚みや豊かさをたっぷり加えているわけですね。
    作り手も受け手も十分な教養あってのこと。いや、恐れ入りました。


    *とはいえ、そんなに愛し合っているのなら、扇なんかなくても逢ったらわかるだろ、と思うのですが(^^;)。それは野暮なツッコミというものでしょうかw

    *この班女の後日談に当たるのが、狂言の「花子」(歌舞伎では「身替御前」)らしいです。浮気夫が吉田の少将、花子はもちろん、元遊女の花子です。さらには能の「隅田川」がそのさらに後日談になるようで、こちらは悲しい結末ですね。

    • usalexさん
      昔々、横浜で三宅先生の講義を聞いた者です。懐かしい!
      昔々、横浜で三宅先生の講義を聞いた者です。懐かしい!
      2019/11/19
    • ぽんきちさん
      usalexさん

      なんと! 私は解説の河村晴久先生の公開講座を聞きました(^^)
      usalexさん

      なんと! 私は解説の河村晴久先生の公開講座を聞きました(^^)
      2019/11/19
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著者プロフィール

横浜国立大学名誉教授・奈良大学教授。専門は中世日本文学(特に能楽)、古典教育。
主な著書に『世阿弥は天才である―能と出会うための一種の手引き書』(草思社、1995年)、『歌舞能の確立と展開』(ぺりかん社、2001年)、『歌舞能の系譜―世阿弥から禅竹へ』(ぺりかん社、2019年)などがある。

「2021年 『もう一度読みたい日本の古典文学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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