僕はかぐや姫

著者 :
  • ベネッセコーポレーション
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本棚登録 : 196
感想 : 24
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  • Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784828823829

作品紹介・あらすじ

「性」以前の澄明な精神を求めて、自らをと称する女子高生徒。17歳のうつろいやすい魂とジェンダーのうっとうしさを描いて、時代の皮膚を垂直に刺す第9回「海燕」新人文学賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • こうやってまた手に取ってしまう、そんな一冊。
    読み終わるたびにいつもすっと何かが洗われて、再び何かで満たされるような、このひとからはいつもそんなものを感じる。
    どこかへ消えてしまいたい。どこまでも歩いていこうと、このどうしようもない自分からは離れられない。何ひとつ思うままに生きることさえできず、飼いならせない衝動を抱えて。
    そうまでしてなんで生きているんだろうか。何も持たずに生まれてきたはずなのに、なぜそのまま終わりを迎えることができないのか。
    そんな無力感。絶望といったひともいる。ならば、死んでしまえばいいのか。死んでしまえば生きなくてすむ。だが、それさえもできない。そんなことさえ考えられないくらい、なにもかもがどうでもいいのだ。死んだら終わりだなんて、どう考えても詐欺だ。
    そうやって迷いながら歩いてる途中で、時に「僕」ということばにすがったり、誰かに「保険」をかけてそうやって生きていくんでしょう。
    先なんて見通せるはずない。それが当然である。じゃあいっそすべてを今に委ねて今だけを生きればいいのか。そうではない。そんなこと不可能であるし、何よりこの「自分」が許さない。
    この「自分」こそが、なんのことはないずっとここにいたのだ。そのことを知ったとき、力が満たされる。とりあえず一歩、踏み出す力が湧いてくる。

  • 息が 詰まる

  • 自意識過剰の女子高生のマウンティング合戦…という感じもしないではない。ライ麦畑に似た感じもしますが、最後に自分を受け入れて、静謐な状態を手に入れた。

  • 国語の講習で使われたプリントで知った
    なんというかとても脆くて尊い話
    浄化されるようなもやもやするような透明感
    17歳という年齢の儚さが増した
    裕生というどっちつかずな名前がいいよね
    今年わたしは17歳になるんだと思うとつらい
    けどまた読みたい大事な一冊

  • 欠けている、永遠ではないと何処かでわかっているからこそことさら大事に掻き懐く──十七歳のわだかまりを濃縮した青草の香り燻る文章もこのテーマにこそふさわしい。愛おしく立て続けに二度読む。併録の中編は対象的に退屈だった。

  • 表題作と「人魚の保険」の2編収録。
    「人魚の~」の方が面白かったかな。
    TOKYOに仕事で来たオーストラリア人男性が主人公の話。

  • 死にたくなる。死んでもう一回人生やり直したくなる。全く他人事じゃない。

  • ★5をあげたい。

    性と移ろいやすい若い精神をめぐって17歳の少女が悩み苦しむ様子を美しい文体で表現した小説(芥川賞受賞)。

    たしかに、17歳と18歳との間には断絶があると思う。しかしそれは感覚的にそうだといえるだけで説明するのは難しい。まさに、ガラスのような小説である。

  • 思春期”僕”の心の成長を描く。

  • 透明できらきらした思春期の悩みと、ちょっとどろどろした複雑な恋愛の話が一緒に本になってるってのがすごいと思います。どっちの話もすきです。

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著者プロフィール

1990年『僕はかぐや姫』で海燕新人文学賞。92年『至高聖所(アバトーン)』で芥川賞。他に自身の茶道体験を綴った『ひよっこ茶人、茶会へまいる。』、武家茶道を軸にした青春小説『雨にもまけず粗茶一服』『風にもまけず粗茶一服』『花のお江戸で粗茶一服』、古典を繙く『京都で読む徒然草』などがある。

「2019年 『夢幻にあそぶ 能楽ことはじめ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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