一人の男と二人の女 (福武文庫 レ 201)

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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784828831763

作品紹介・あらすじ

子供は作らないと決めていたジャックとドロシーに思いもかけない赤ん坊が生まれ、理想の夫婦関係に微妙な翳が差し始める。育児疲れでヒステリックになっている妻に手を焼くジャックのもとに、仲の良い友人夫婦の妻ステラが訪れたことから…。表題作はじめ、男と女の関係を4つのヴァリエーションで描き分けた短篇集。本邦初訳。

感想・レビュー・書評

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  •  短編・中編四編が収められたドリス・レッシングの短編集。思い返せば2007年の秋に山形の古書店で偶然入手したのだが、その直後にノーベル文学賞受賞の報があって驚いた思い出の一冊なのであった。だいぶ時間が経ってしまったけどこのほど読了。いずれも男女関係の物語なのだけれど、白状すれば、自分はどうにもこのタイプの小説は好きになれないようだ。

    ・陰の女
    「ある朝ローズの母親は、買い物に出かけ道路を渡ろうとして轢死した。」
    冒頭がこれである。小説史上まれに見るロケットスタートであろう。しかしこの勢いある出だしとは裏腹に、読者は、労働者階級の若い女性ローズの奇妙な、というか理解しがたい行動に長々と付き合わされることになる。時とところは第二次大戦前後のロンドン。日本ほどではないにせよ、女性の人生にはまださまざまな制限があったことは読んで取れる。そこからの脱出の過程と読むことは確かに可能なのだけれど、自分の思惟や行動をきちんと言語化するようなタイプの女性ではないローズの時間を掛けた変容に付き合うのはなかなかに骨が折れた。

    ・我が友ジューディス
     上掲のローズとは正反対に、こちらのジューディスは女性としての生き方に自覚的なインテリである。自分の思考や感情を言語化することについても過剰なぐらいに得意。それがその分だけ自由で闊達に見えるかというと必ずしもそうとは限らないのが面白いところで、最後にひんやりした孤独の感覚が残った。イギリスから見たイタリアというのは一種の南北問題みたいな構図になるんだなあという点はちょっとした発見。

    ・一人の男と二人の女
     人生を謳歌するのが得意なインテリやボヘミアンの生活に揺さぶりをかける最たるものは子どもという理不尽の権化なのだろう。その前には恋の駆け引きだの人生の危機だのといった大人の事情は、逆に、なんとも児戯めいたものにしか感じられないのであった。

    ・あまり愉快でない話
     二組のインテリ夫婦の、必要以上に密接な関係を描いた年代記。不義とか不倫といったものはひとところに置いて目をこらすからこそ味わいが出るもののようで、四半世紀に及ぶ時の流れに置いてしまえばどれもこれもちょっとした思い出になってしまうんじゃないかという印象を持った。これで子どもたちのひとりでもタネ違いみたいなことになっていればもうちょっと痛みを伴う禍根になったのかも知れないけれど。

    2020/3/30読了。

  •  結構長い時間をかけて読んだ気がするので、短編集の最初のほうは、とても記憶があいまいだ。
     「陰の女」は戦争中に女性をクズの男性が保護するのだが、そのクズ男は肝っ玉母さんみたいな嫁(でも離婚している。男は養育費を払わされている)と暮らしていて、男のほうはどうしてもその肝っ玉母さんと別れることができず、グズグズグズグズしている話だったと思う。とにかく男がひどすぎるので、その男から離れて自立を語り合いながら、二人の女が去っていく場面は爽快感がある。でも、女性もみんな「女性の自立」みたいな同じ考えをしているわけではなく、実は自立についても内心拒みながら……とあったり、面白い。男がダメすぎるから、ローズは男から離れることができた。もし狡猾な男だったら……と思うと怖い。「わが友ジューディス」も、ジューディスという人物の書き方が独特で面白かった。人を寄せ付けない気品がありつつ、腹を割って話せない、それでいて自立している、それでいて、そこそこ男性経験もあるし、男性で破滅するわけでもない、むしろリードするか振りまわす。レッシングの理想の女性、なりたい姿を描いたように思えた。あとは「子供」。レッシングにとって子どもとはなんなのだろうか。よくわからないけれども、独特の子どもに対する感情がある。愛らしいとかそういうのではなくて。最後に猫の議論がされていて、子どもを育てる力のない親が子どもを産んだ場合、殺した方がいいのか、養子に出すのか。猫の子を殺す議論で、直観的に嫌な気持ちは絶対に譲らないと書いていて、妙に熱がこもっていて、レッシングの思想みたいなのが見える。「一人の男と二人の女」「あまり愉快でない話」はどちらもスワッピング小説といったところ。夫婦交換ものというか。レッシングの書きたいものが炸裂している。当時、この考えが新しい潮流だったのかどうかわからないけれども、桐島洋子の「淋しいアメリカ人」を思い出した。孤独だから、寂しいから、スワッピングする、みたいな。でも、ここで書かれているのはそこまでドライ?ではなくて、当たり前のようにコトがなされている。
    P227
    【例えば、夫婦交換などに耽っている人種が世の中にいる。そういう人たちは群れをなして、大勢で性行為することなど、何とも思っていないのだ。そうすることによって、結婚の絆は強くなる、と言う人もいる――ひょっとするとそうなのかもしれない。まかり間違って、私とフレデリックが別の夫婦とスワッピングをしたとしたら……誰とするのかしら、ミュアリエルとヘンリーかしら? いえ、そんなの危険すぎるし、あまりにも親しすぎるわ。きっと、そういう人たち――スワッピングなどをする連中――にはあんまり親密なご近所とはそういうことはしないってルールがあるんでしょうね? でも、それは大したことでも何でもないわ。問題は、嘘をついたり、欺いたりすることよ。】
     既にこの時点で、この親友らは関係を成していて、隠れスワッピング状態になっているような感じだったように思うのだが、この「問題は、嘘をついたり、欺いたりすることよ」はポリアモリーの本にも書いてあった結論部だった気がする。しかし、嘘をつく人間がいるわけがない、というか、どんだけ本音を語るところにも嘘はあるので、実質不可能。むしろ、「徹底して信じないこと」が大事だ。そうすると、「自分が信じられる部分」だけで相手を解釈できるので、楽になる。「相手が自分に信じて欲しいところ」が消えるからである。「なあ、信じてくれよ」みたいなきもい訴えかけが全部消えると、楽である。

  • 2010/12/23購入

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