黒い時計の旅

  • ベネッセコーポレーション
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784828840086

作品紹介・あらすじ

『黒い時計の旅』は、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』と並び称される"パラレル・ワールド"テーマの傑作である。1938年のウィーンのある夜、20世紀は一人の怪人物の手によってまっぷたつに引き裂かれる。歴史を切り裂いた怪物の名前は、バニング・ジェーンライト。アドルフ・ヒトラーのためにポルノグラフィーを書く男。そして、2つの世界を旅する男。彼の口から果てしない迷路のような物語が語られる。それは呪われた愛をめぐる"もうひとつの20世紀"の物語であった。平行してロシア系亡命者デーニア親子と謎めいたの物語、デーニアの息子マークの遍歴の物語が織り混ぜて物語られ、2つに切り裂かれた世界はふたたび重ね合わさって行く…。トマス・ピンチョン、ウィリアム・ギブスン等の作家たちから激賞されている現代アメリカ文学の新星、スティーヴ・エリクソンの代表作。

感想・レビュー・書評

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  •  これまでスティーヴ・エリクソンの小説は読んだ事がなかった。今回初めてその作品に触れて、アメリカ文学の奥の深さに衝撃を受けた。

     1930年代、見上げるような大男で言葉を自在に操る作家、バニング・ジェーンライトが歴史に楔を打ち込んだ。彼が綴るのはアドルフ・ヒトラーと彼の想い人を描いたポルノ小説だ。作家は時の権力者を操り、時代は作家の妻子を殺す。怒りにかられた作家は運命に翻弄されるダンサーを犯し続ける。彼が紡ぐ物語は20世紀を引き裂くが、2つの歴史は互いに干渉を始めるのだった。
     ものすごく大雑把にストーリーを要約すればこんな感じになるのだが、エリクソンの筆致は様々な人物の様々な時間を濃密にかつ観念的に描いていくので読者は物語についていくので精一杯だ。端的に言って、わかりにくい。

    <誰にもやがて訪れる、この世には取り返しのつかないものがあるのだという実感>(p200)

     基本的に我々が知っている20世紀と、ヒトラーが死ななかった20世紀の2つの流れが作中に存在するが、作者はあり得たかも知れない2つの歴史を並列では語らず、過去と未来(上流と下流)を行き来しながら複雑に絡み合わせていく。繰り返し出現するイメージ、重層的なメタファー、時空を自由に移動する構成がアメリカとヨーロッパの歴史を変容させていく。
     この手法で物語は驚くべき情報の密度を獲得し、読者の想像を超えたスケールに拡大する。恐らく一度読んだだけでは全体像をつかむことさえ困難だろう。僕は読んでいて「彼」が誰で「彼女」が誰なのかさえあやふやになることがあった。
     だからとりあえず読者はこの驚くべき作家の構成力に身を任せるべきだ。というかそうするしかない。作中の怪人バニング(「追放」を意味する)はどの歴史にも属さず、力技で20世紀を再構成していくのだ。

     作者はSF的手法を駆使しているが、マジックリアリズムの気配もある。また僕は詳しくわからないけど、ラテンアメリカ文学的要素も見いだされているようだ。柴田元幸の訳は正直読み易いものではないが、これでもかなり苦労して訳したのではないかと思う。
     内容を想像しにくいタイトルに平易ではない物語と、とっつきにく過ぎるが、それでも読み終えた後に何らかの不安感を残す不思議な感覚は得難い読書体験である。
     裏表紙の解説文によると<フィリップ・K・ディックの『高い城の男』と並び称される“パラレル・ワールド”テーマの傑作>と紹介されている。
    ※余談だけど「パラレル・ワールド」っていう言葉なんか懐かしいな。最近は「並行世界」にとって変わられた気がする。

     だけど何度も言うように一筋縄ではないので、『高い城』のような娯楽性は求めるべくもない。バニングとヒトラーが少しずつ接近していく過程などスリリングな場面が無いことはないのだが…。ともあれ物語が世界を変える物語は現代アメリカ文学の大きな成果だろう。

    <こんなに素晴らしいものが、それを手にする値打ちなんてまるでない人間に与えられるなんて。この宇宙もまんざら捨てたものじゃないということなのか>(p137)

     そして幻惑的に描き出されるがこの物語で重要な要素として取り上げられるのが男と女の関係性だ。男はいつも身勝手である。作家も独裁者(実は本文中では一度も「ヒトラー」という個人名は言及されない)も自分勝手な欲のために女を利用する。愛と呼ぶには一方的だが、彼らにとってはどうやら愛なのである。
     だから終盤に訪れる衝撃的な展開は女の逆襲なのだろう。その企てが最終的にどんな結末へたどり着くかは読者のみが見届けることができる。
     そもそもバニングは私的ポルノを書き続ける事で歴史を移動していくのである。性行為という男女の根元的な繋がりがいかに奇妙な世界を作り上げているか。バニングの作中作を読者は読むことができないだけに、無闇に絶望的な心持ちにさせられるのである。

     長い長い旅の末に読者は静謐なラストにたどり着く。深読みしようと思えばどの行からも何らかの隠された意味を見いだせそうな濃密な文学の記録は終わりを告げる。結局、エリクソンは何を描こうとしたのか。僕は読み終えてずっと考え続けている。
     でもとりあえずこれだけ強靱な想像力に触れると、何なのかは良くわからないけどある種の衝動が心の中に広がっていく、ような気がする。無理矢理月並な言葉でまとめてしまえば、この心を衝き動かす力が文学の力なのだろう。映像でも音楽でもない、文学の持つ力。圧倒的なイマジネーションで20世紀を引き裂いてみせたエリクソンは、いまどんな視野で21世紀を見つめているんだろう。この作者の近年の作品も読んでみたいな。

    <書き終えたあと何日も、おれは自分自身の黒い時間の中を旅している>(p64)

  • 柴田元幸の翻訳本で、ベストと思う。

  • 2010/7/17購入
    2011/3/20読了

  • 『黒い時計の旅』は、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』と並び称される"パラレル・ワールド"テーマの傑作である。1938年のウィーンのある夜、20世紀は一人の怪人物の手によってまっぷたつに引き裂かれる。歴史を切り裂いた怪物の名前は、バニング・ジェーンライト。アドルフ・ヒトラーのためにポルノグラフィーを書く男。そして、2つの世界を旅する男。彼の口から果てしない迷路のような物語が語られる。それは呪われた愛をめぐる"もうひとつの20世紀"の物語であった。

    平行してロシア系亡命者デーニア親子と謎めいた〈20世紀の見取図〉の物語、デーニアの息子マークの遍歴の物語が織り混ぜて物語られ、2つに切り裂かれた世界はふたたび重ね合わさって行く…。トマス・ピンチョン、ウィリアム・ギブスン等の作家たちから激賞されている現代アメリカ文学の新星、スティーヴ・エリクソンの代表作。

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著者プロフィール

1950年、米国カリフォルニア州生まれ。作家。『彷徨う日々』『ルビコン・ビーチ』『黒い時計の旅』『リープ・イヤー』『Xのアーチ』『アムニジアスコープ』『真夜中に海がやってきた』『エクスタシーの湖』『きみを夢みて』などの邦訳があり、数多の愛読者から熱狂的な支持を受けている。大学で映画論を修め、『LAウィークリー』や『ロサンゼルス・マガジン』で映画評を担当し、映画との関わりは長くて深い。本作は俳優のジェームズ・フランコの監督・主演で映画化が進行している。

「2016年 『ゼロヴィル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

スティーヴ・エリクソンの作品

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