- Amazon.co.jp ・本 (40ページ)
- / ISBN・EAN: 9784834086089
作品紹介・あらすじ
2014年、世界遺産に登録された富岡製糸場は、明治5年以来、115年もの間生糸を作り続けました。生糸は横浜から輸出され、日本の近代化を支えました。繭から糸を繰る技術は自動車など他の産業に生かされ、生糸を運ぶために鉄道網も発達するなど、養蚕・製糸業は現在の生活とも深い関わりがあります。富岡製糸場は単なる建物ではなく、近代日本の姿を見せてくれる博物館のようなものなのです。
感想・レビュー・書評
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明治期、全ては生糸から始まり、生糸が中心として回っていたのです。
その基礎を作ったのがこの富岡製糸場です。
官営の富岡製糸場は、1872年(明治5年)に群馬県富岡に設立された、当時世界最高の設備を誇る日本初の本格的な機械製糸工場です。その詳細を、解りやすく多くの写真で描いたものです。
日本は江戸時代末期に開国した際、生糸が主要な輸出品となっていたが、作れば売れるために、次第に粗悪品の横行によって国際的評価を落としていきました。そのため、官営の器械製糸工場建設が計画されるようになりました。
富岡製糸場は1872年(明治5年)にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。そこに導入された日本の気候にも配慮した器械は後続の製糸工場にも取り入れられ、働いていた工女たちは各地で技術を伝えることに貢献した。
1893年(明治26年)に三井家に払い下げられ、1902年に原合名会社、1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)と経営母体は変わったが、1987年(昭和62年)に操業を停止するまで、第二次世界大戦中も含め、一貫して製糸工場として機能しました。
その富岡製糸場は、日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されています。また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、世界遺産委員会で正式登録されました。
【読後】
江戸時代、繭から生糸を作り着物を作っていた日本の生糸が。江戸時代後期から明治、大正、昭和と世界を席巻して日本の近代化の礎となった生糸が。戦後、中国、韓国などに技術が盗まれ。いまは僅かですが、繭から生糸までが日本で一貫して作られていることに驚きました。
最大の輸出品である生糸の品質向上と近代化のために富岡製糸場を設立し、そこから横浜まで生糸を運ぶために鉄道を引きます。そして富岡製糸場がモデルとなり全国に製糸場が作られ、富岡製糸場の工女が指導に当たります。明治期、全ては生糸から始まり、生糸が中心として回っていたのです。その基礎を作ったのがこの富岡製糸場です。
富岡製糸場を読んで、これは凄いと思い。
ついつい力が入って調べだしたら時間がかかり過ぎました。
富岡製糸場 生糸がつくった近代の日本 (たくさんのふしぎ傑作集)
2021.03発行。字の大きさは…大。2021.11.07~09読了。★★★★☆
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私は、本を登録するときには、著者名と登録した年(2021)で登録しています。たまにシリーズ名でも登録もします。例えば「風烈廻り与力・青柳剣一郎」などです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「2014年、世界遺産に登録された富岡製糸場は、明治5年以来、115年もの間生糸を作り続けました。生糸は横浜から輸出され、日本の近代化を支えました。繭から糸を繰る技術は自動車など他の産業に生かされ、生糸を運ぶために鉄道網も発達するなど、養蚕・製糸業は現在の生活とも深い関わりがあります。富岡製糸場は単なる建物ではなく、近代日本の姿を見せてくれる博物館のようなものなのです。」
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富岡製糸場の歴史や養蚕文化が分かりやすくまとまっている。日本の近代化の大きな要因となった製糸業を、歴史上の観点から学ぶことができる。
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2022.01.03
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製糸場のこと、生糸のこと、それらと絡んだ歴史のことをざっくりまとめてあって、簡潔かつとてもわかりやすかった。詳しい内容ではないけど読んでてワクワクする、導入としてとてもよい本だと感じた。