明智光秀の生涯 (知的生きかた文庫 と 25-1)

著者 :
  • 三笠書房
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感想 : 2
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784837986270

作品紹介・あらすじ

【2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』主役は明智光秀!】
◆「天下の謀反人」か「類稀なる知将」か?
 謎多き戦国武将・明智光秀の実像に迫る!著者渾身の意欲作◆
明智光秀は生涯で、さまざまな苦境に見舞われてきたが、そのたびに知略をめぐらし、
窮地を「逆転」するべく大きな決断を重ねてきた。本書では、光秀の「苦境」と「逆転」を軸に展開。
「文化・教養人」「築城のプロ」「鉄砲のプロ」「交渉のプロ」など、多彩な顔をもち、
信長に最も信頼された男「光秀」の波乱の生涯を追う!
●なぜ、光秀の前半生は謎が多いのか?
●故郷を追われ、浪人となった光秀は、どうやって歴史の表舞台に出てきたのか?
●なぜ、足利義昭と織田信長の二重雇用状態を続けたのか?
●なぜ、光秀は織田家臣の中で、異例の出世を遂げることができたのか?
●戦国史最大のミステリー、「本能寺の変」はなぜ起きたのか?

感想・レビュー・書評

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  • 『何かと話題の』今年の大河ドラマの主人公の明智光秀に関する本。

    一応、学校で日本史は学んでいた訳ですが、この本の様に時系列に出来事をまとめてもらえると、理解が深まります。

    そもそも、明智光秀は、その前半生が不明であるので、どういう人物かと言う事については推測しなければならないところが多く、結局のところ、何故光秀が信長を討ったのかと言うことはわかりません。でも、時の状況を見てみると、何があっても不思議では無かった様ですね。

  • 明智光秀は昔から興味を持っている人物です、いまだになぜ「本能寺の変」を起こしたのか、私の中ではしっくりしていないものがあります。

    明智光秀の子孫が書かれた本も面白かったのですが、最近では最新の歴史研究をベースに、多くの歴史書を読みこなし、そしてそこに書かれている真偽を多くの観点から考察したうえでの結果が、今回読んだ本のようにまとめていただけるので、読者としては大変に助かります。つくづく良い時代にいるなと思うこの頃です。

    この本に最後の方に、光秀が指揮した全合戦の成績が載っていました、15勝2敗4分だそうです。2敗のうちの1つは、戦死することとなった「山崎の合戦」です。抜群の成績ですが、それでも最後に命取りとなってしまったのは残念です。このような素晴らしい戦績を残した彼の考え方等をこの本で知ることができて良かったです。

    以下は気になったポイントです。

    ・南北朝動乱において土岐氏は足利氏に属して建てた専功により、美濃守護に任命され、守護として国内を統治した。その過程において、土岐一族は国内各地の領主として配置され、その土地の名前を「姓」とすることになった。多治見氏、妻木氏、肥田氏、小里(おり)氏、石谷氏、徳山氏、高井氏等が代表例である、明智氏もそうである。明智という地名は、現在の恵那市と、可児市の二か所にある(p(p18)

    ・連歌の会は、プレイを楽しみながら蘊蓄を傾け、人間関係を深めるという意味では、アニメ・ゲーム・映画等の特定分野に特化したオタクたちの「オフ会」にたとえると理解しやすい(p27)

    ・光秀は、手や顔をはじめ全身に火傷を負い、死の恐怖と戦いながら、鉄砲の名手としての技術を習得した、その一方で当時の鉄砲は発射に30秒を要し、雨では使えない、20発以上発射すると暴発の危険が生じるなどの欠点があった、これを光秀は知ったうえで、鉄砲の効果的な使い方を考案していく(p42)

    ・朝倉義景は、本国越前のみならず、加賀の一部、若狭・後瀬山城主の武田氏、北近江の浅井氏と攻守同盟を結びながら傘下に加え、その合計は禄高100万石以上、総兵力3万人で「北陸の覇者」であった(p43)

    ・細川幽齋は、御供衆の細川元常の養子となった、御供衆とは将軍の御供をして身辺の護衛をする親衛隊、細川氏・山名氏・畠山氏・一色氏など、有力大名の一族が任じられた(p59)

    ・公家の家格は、上から順に、摂家・清華家・羽林家・名家・半家の5つに区分される(p73)

    ・織田家の先祖は越前・丹生軍織田であり、織田剣神社は織田家縁の古社である。かつて朝倉、織田は斯波氏に仕えていたが、朝倉家の方が格上であった、更に信長の織田家は、守護代織田家の分家筋であるので、隆景は信長に頭を下げる相手と見なしていなかった(p77)

    ・光秀は、秀吉よりも勝家よりも早く、数十万単位の領地の支配を一任された、織田軍団の出世頭であった(p100)

    ・光秀は、本能寺直前には、近江西部・丹波の支配以外に、単語宮津城主の細川幽斎、大和筒井城主の筒井順慶、摂津大阪城主の池田恒興らを与力大名して、支配領域は120万石にも及んでいた(p122)

    ・足利義昭は京都から追放されても公的には征夷大将軍であった、なので亡命先の毛利領の鞆で「鞆幕府」を創出して、信長の「安土幕府」と対抗した(p148)

    ・信長は、畿内一円を安定して統治するため、かつて摂津・和泉・河内を勢力としていた「三好氏」と取り込むべきと判断し、長曾我部元親に占領した三好領の返還、同盟関係の清算、家臣として服属することを強要した(p160)

    ・本能寺の変が起きていなければ、明智勢は山陽道を西へ進み、6月10日には備中方面に到着していた、秀吉が中国大返しに成功したのは、同じルートを信長が逆に行軍する予定だったため、畿内から備中高松城までの、武器・兵糧・草履などが事前に用意されていた(p205)

    ・明智光秀が指揮した全合戦の戦績は、15勝2敗4分け、である(p207)

    2020年1月11日作成

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著者プロフィール

外川 淳(とがわ・じゅん)
歴史アナリスト・作家
1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学部日本史学専修卒。歴史雑誌の編集者を経て歴史アナリストに。戦国から幕末維新までの軍事史を得意分野とし、徹底した史料の調査と、史跡の現地検証によって歴史の真実を再構築しながら、わかりやすく解き明かす手法が歴史ファンの支持を集める。
現在は、歴史ファンとともに城郭・台場・城下町を巡る「歴史探偵倶楽部」を主催するほか、書籍や歴史雑誌を中心に執筆活動を行う。主な著書に『江戸・東京 幕末・維新の「事件現場」』(SBビジュアル新書)、『愛蔵版 地図から読み解く戦国合戦』(ワック)、『早わかり戦国史』『城下町・門前町・宿場町がわかる本』(以上、日本実業出版社)などがある。

「2019年 『明智光秀の生涯』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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