- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784845914418
作品紹介・あらすじ
録音物に録音されているものとは一体何か?「録音物」を否定した音楽家ジョン・ケージの矛盾を起点に、ケージ、デレク・ベイリー、AMM、ヘンリー・フリントら実験音楽の巨匠たちの録音物を考察し、記録と記憶のあいだに耳をすます。「録音することの不可能性」に迫る、エキサイティングな脱・現代音楽論。
感想・レビュー・書評
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2020/9/9
Cageを軸にした音楽の録音(特に加工・編集ができないレコード)についてのスタンスとそれを巡る音楽(主に実験音楽周辺)と音楽環境の変遷について。
実験音楽関係のレコードは少ししか聴いてこなかったが、文中で触れられているCage / Hillerの"HPSCHD"はその数少ない中の一つだった。
確かに本書で紹介されている資料が付いていたが、果たしてそれを実践したリスナーはいるのだろうか…。
どちらにせよこのような議論は、頭の中で「音」を「楽しむ」行為の一つなのかもしれないが、音そのものと聞き手が置き去りにされている感じがする。
表題についても、その「風景」に対する興味の持ち方や視点をどこに置くかといった受け手側のスタンスは様々であるはず。
Baileyのレコード観も触れられていたが、作り手の意志と聴き手の受け止め方は一致しないし、一致する必要もないと思う。
まず音が聴かれることからしか全ては始まらないと思うのだが…。
内容的には終盤のレコードからCD、オンライン化への流れの方が興味深かった。
検索すればネット上で聴くことが可能な音楽ファイルと中古レコード店でやっと探し当てたレコード。
中身が同じ曲だとしても、果たして両者は同じものなのだろうか…
Grubbs自身の音楽家としてのルーツも垣間見える。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「実験的な音楽」、即興的な音楽がレコードになっているという矛盾について、を表題にした現代音楽に関する論考。レコードの話から、オンラインのアーカイブまで話は進む。
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http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784845914418