定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会 2020年前半 (論創ノンフィクション 005)
- 論創社 (2020年9月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784846019518
作品紹介・あらすじ
100年に一度と言われる感染症の蔓延に、日本の社会はどのように対応したのか、また対応しなかったのか。深刻な事態を風化させないために記録しよう、という共通の思いで、森達也のかけ声のもと、論者たちが集結した。
感想・レビュー・書評
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上野センセイが冒頭、「非常時には平時の矛盾や問題点が拡大・増幅してあらわれる」「すでに起きていた変化が、危機によって加速する」という指摘をしていたとおり、書名に「新型コロナウイルスと」とあるものの、実際は「私たちの社会」が抱える課題をそれぞれの立場から論じたもの。
だからこそ、科学信仰やそこから生まれる日本人のリテラシー不足を嘆く論稿があってもよかったが、そこは仕方ないものか。感染症のプロが書こうとすると、また違ったテイストになってしまうのかしら。その点、医療パートは斎藤環ということで、一歩引いて冷静な視点から書かれている気がして読みやすかった。
論者は偏っているのだろうけれど、わたしはその偏りの面々が分かっていながら読んでいるので気にならない。
森達也も斎藤美奈子も武田砂鉄も、いっぺんに読めるのはなかなかおもしろかった。
雨宮処凛パートを読むと、現実を突きつけられて己の無力さにうわぁ…とかなしくなるが、
でもね…じゃあどうしたらいいんだろうね。
宮台真司がいうとおり「絶望から出発しよう」という社会であることは間違いないのだろうが、何十年も変わっていないこの社会はどうしていくべきだったのか。しかも、これは第1弾(第1波の頃)の観測にもかかわらず、第3波現在と何ら変わっていない(いやむしろ問題が顕在化して、さらに絶望がつよくなっている)ことに、背筋が凍る。
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国立女性教育会館 女性教育情報センターOPACへ→https://winet2.nwec.go.jp/bunken/opac_link/bibid/BB11484303
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忘却に抵抗するため、現在の社会を書き残すことを目的に編まれたアンソロジー。
全体的に読みやすさと読み応えが両立している。
特にラストの安田菜津紀さんの論考は、多くの人に広く読まれるべきだと思った。 -
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コロナ禍の中で世の中の変化が加速されている。取り残される人々も出てくるだろうし、人と人との関係も変わってくるだろう。その変化を定点観測しようという試み。集められたのは哲学者、社会学者からブロガーまでさまざまだけど、いわゆる左派に属する人が多い。2020年7月頃に書かれたものが多く、その後の変化を先取りした内容も多い。現在第3波の中で先が見えない閉塞状態だが、半年ごとにまとめるそうなので次作も期待。
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玉石混交のエッセイ集。
ほぼ左派で固められた執筆陣(それ自体に文句は無い)。残念ながら、感染症や公衆衛生やウイルス学が専門の方は含まれていない。その点では、人気エッセイストを選んだという恣意を感じる(ここに文句がつく)。
中身で言うと、斎藤環と松尾匡が一番マトモ。宮台御大の口述筆記がひどい(しかも雑談だらけで頁数をかなり超過してる)。
書籍媒体で定期レポートという案は素晴らしい。
ほとんどの人にはどうでもいいが、[NDC: 498.6]ではなく[301]あたりにカテゴライズするべき。いわゆる“現代社会論”なので。 -
コロナ禍での様々な出来事、事象をテーマ別に同じ執筆陣が1年半にわたり3回に分け論じていくという企画自体が素晴らしい。なるほどそれは戦後ということでは未曾有の長期にわたるインシデンスだからこそできる企画。しかも全く他人事ではなくリアルタイムで自ら関わっていく物語でもある。
しかも戦前では、自己であれ他者であれ何らかの規制とバイアスがかかったものになっていたはずだ。さらに現在のように圧倒的に世界中の情報が瞬時に手に入る環境ではない。
このことから今現在だからこそ出来る企画、やるべき企画、読むべき企画であることは間違いない。
執筆陣に偏りがないとは言えないが(いや、ある筋に言わせれば十分に偏っているだろう)それぞれ情報の正確さ透明さ先見性には、少なくともポジショントークだけは忌避する頑なさがあるという点で信頼がおける。