世界一素敵な学校―サドベリー・バレー物語

  • 緑風出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784846106089

作品紹介・あらすじ

いじめ、落ちこぼれ、学級崩壊等、学校の状況はますます厳しくなっている。子どもに大人の価値観を押し付け、管理するやり方では、この傾向は加速するばかりだ。本書は、カリキュラムも、点数も、卒業証書もない世界一自由な学校と言われる米国サドベリー・バレー校の物語である。人が本来持っている好奇心や自由を追い求める姿勢を育むことこそが教育であるとの理念を貫くまさに、21世紀のための学校だ。

感想・レビュー・書評

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  • 僕たちが普段当たり前に考えているような、近代的な「学校観」(学校というのはこういうものだ、という発想)を根底から覆すような学校の話。
    アメリカ、マサチューセッツ州に作られたその学校には、普通、学校と呼ばれる場所にあるべきものがまったくない。クラスなし、テストなし、学年なし、評価なし、カリキュラムなし、評価なし。「そんなバカな」と思うかもしれないが、これは現実の話。しかも先生すらいない。いるのは「スタッフ」と生徒。それだけ。
    生徒は、古い邸宅と広大な庭で構成されるキャンパスのなかで何をしていても良い(学校を抜け出しても良い)。好きな時間に、好きなことを、好きなだけしていて良い。一日中釣りをしていてもよいし、コンピューターをいじって過ごしても良い。楽器の練習に興じても良い。学びたいことを学べばいいし、学びたくないことは学ばなくても良い。すべて自由。
    学びたいことがある場合には、「スタッフ」に相談して、「何曜日の何時からこれを教えてほしい」といった具合に契約を結ぶことができる。生徒が教師役を務めて、他の生徒に教えることもある。

    学校の運営については、スタッフ・生徒含めた全てのメンバーが決定に関わることができる。一人一票の権利が与えられており、誰もが話し合いについて自由に意見することができる。

    まさに、自由と民主主義の実験室。

    卒業生は、決して一般の学校を卒業した生徒より劣るということもなく、むしろ優れた能力を発揮することが少なくない。

    人間の果てしない可能性について、オプティミズムを感じられるような素晴らしい本だと思う。読み終わる頃には、「学校というのは、軍隊や刑務所のように画一的な人間を生み出す装置である」といた妄想が粉々に砕かれていることだろう。
    日本のような、(無駄な)形式主義に精神を蝕まれた人には、このような学校が現実にありうる、ということは大いなる可能性に満ちたことに思えるだろう。

  • 4歳から18歳、スタッフ12人、こどもの人数は正確には書いていなかったけれど100人以上はいる。

    前にもサドベリーは勉強したことがあったけれど、ここまで詳しいのは初めて。

    近くに住んでいたら私もぜひ通わせたい、と思う、本当に「世界一素敵な学校」


    ただ、日本はアメリカではない。

    日本でこれを可能にするのは難しいかもしれない。物が溢れている時代も。

    日本は日本の文化にあった新しい形の学校ができるといい。

  • 本書は、米国ボストンにある私立学校サドベリー・バレー校の創設
    者が、その哲学や学校運営の実際についてまとめたもので、実に示
    唆に富む教育論・組織論・社会論となっています。

    サドベリーは、カリキュラムのない学校です。授業は一切ありませ
    ん。大人はいますが、教師はいません。何を学ぶかは、完全に子ど
    もの自主性に委ねられています。一日中ゲームをしていようが、釣
    りをしていようが、お構いなし。カリキュラムがないので、当然、
    テストも、成績表もなし。「学校」的な要素は徹底して排除されて
    います。

    生徒は、とにかく自分の興味を追っていればいいのです。「人間は
    生まれつき好奇心を持つ」(アリストテレス)のだから、自らに備
    わった傾向に従い、自分のしたいことをしていけば、自然に学んで
    いくはずだ、という信念が、サドベリーの教育哲学を支えています。

    逆に言えば、「したいこと」が見つからないうちは、人は、本当の
    意味では学ばない、ということです。だから、この学校で最も重要
    なのは、「自分は何をしたいのか」を見つけること。何歳で入って
    も、入った瞬間から、そのことが問われ続けるのです。誰のもので
    もない、自分自身の人生を、自分自身で決めることが求められるの
    です。

    これはある意味きついことですよね。「自分自身の主人公になる」
    と言えば聞こえはいいですが、正解のない世界で、自らの道を切り
    拓いていかないといくことを小さいうちから求められるのですから。
    路頭に迷う子が出てくる可能性も高い。「好きにしていい」と突き
    放すだけでは、ダメなのです。

    自主性に委ねながら、路頭に迷わせないために、どうするか。サド
    ベリーでは、「話し合い」を学校運営の中に組み込むことで、この
    問題を解決しているようです。その日一日の過ごし方、学校の規則、
    生徒間のいざこざ、自分の学習や人生についての計画等々、とにか
    く、この学校では、何をやるにも、皆で、話し合うのです。そして、
    そうやって話し合い、試行錯誤する中で、子ども達は、自分自身の
    人生をつかんでゆく。

    ここにあるのは、徹底した自主性と民主制です。自主性と民主制こ
    そが、人を育て、組織を育て、社会を育てるのだということを、サ
    ドベリーの実践は教えてくれます。

    人が自分自身の主人公になるために、何が必要かを教えてくれる一
    冊です。是非、読んでみて下さい。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    この学校に入るやいなや、年齢に関係なく、子どもたちは自分自身
    の主人公となるのです。自分自身に責任をもたされるのです。誰の
    ものでもない自分の人生のコースを左右する決断を自分で下してゆ
    くのです。

    わたしたちが住む、このアメリカ東部・ニューイングランドの地に
    おいて、これまで三百年以上も続いてきたタウンミーティングのよ
    うな民衆デモクラシーこそ、頑丈で有効な自治の機構なのです。わ
    たしたちが心に思い描いていた学校とは、このタウンミーティング
    をモデルにしたものでした。そこでは、置いてきぼりになる人は、
    だれひとりとしていません。

    学びの技術、進み具合がバラバラなとき、愉快なことが起きます。
    子ども同士が助け合うのです。

    「年齢ミックス」は、子どもたちの感情を豊かにしてくれます。
    (…)いつも近くに大きな子がいて、自分はいつも守られている、
    という安心感と深い信頼。こういう感情に浸れることが大切なこと
    なのです。

    サドベリー・バレー校では、子どもたちのプライベートな時間のリ
    ズムに敬意を払っています。そして、それは冒すべからざるもので
    す。そんな時間の保障のなかで、子どもたちは皆、遅かれ早かれ
    「内なる自己」に気づき、我が物とするのです。

    子どもたちは自分が学ぶべきものを学ぶのです。学びたいとき、学
    びたい方法で学ぶのです。

    サドベリー・バレー校の教育の核心になるのは、子どもたちを格付
    けしないという、わたしたちのポリシーです。子どもたちを比べた
    り、設定した基準に照らして評価したりしません。わたしたちにと
    って、そんな行為は、子どもたちのプライバシーと自己決定権の侵
    害でしかありません。

    自分の道を歩むことを学び、自分で立てた基準や目標を達成するの
    がサドベリー・バレー校なのです。成績や格付けのないことによる
    ボーナスとして、わたしたちは子ども同士の競争や、大人の承認を
    得ようとして子ども同士が戦うことのない自由な雰囲気を手にして
    いるのです。
    この学校では、いつも皆、互いに助け合っています。助け合わない
    理由がないからです。

    一方に、子どもたちのために何かしてあげたい、知識はもちろん人
    生経験から学んだ知恵を子どもたちに授けたい、と思う気持ちがあ
    ります。そして、他方、子どもたちは自分の力、自分のペースで学
    ぶのが一番、という真実がある。

    この学校で困難に直面するのは、むしろ「優等生」たちの方です。
    教師に気に入られようとばかりしているので、この学校に来たその
    日から途方に暮れてしまうのです。

    社会の犠牲者とは「問題児」ではなく、実はこうした「優等生」な
    のです。何年もの間、外部の権威に寄り掛かってばかりいたので、
    自分自身がなくなってしまったのです。目から光が、心の奥からは
    笑いが消えてしまっている。破壊的な行動は起こさなくとも、自分
    で建設するということを知らないのです。

    最も有効な薬は、「退屈」の大量投与です。

    サドベリー・バレーの出身者は、ほかの大学進学者が持たないもの
    をすでに身につけています。自分の力を信じていて、自分自身の動
    機を持っている。もともと、自分ひとりで学んできたからです。自
    分が立てた目標に向かって、自分を駆り立てることができる。教え
    てもらうとか、援助してもらうとか、待ちの姿勢をとってこなかっ
    たからです。

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    ●[2]編集後記

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    先日、娘のボーイスカウトのキャンプを手伝ってきたのですが、キ
    ャンプファイアーでの出し物を決めるための子ども達の話し合いの
    様子が実に興味深かったです。

    とにかく話し合えないんですね。誰かが何かやりたいと言うと、そ
    れに対して意見を言うとかはなくて、すぐに多数決をとろうとする。
    「多数決とる前に、それぞれの案がどうなのか、話し合おうよ、そ
    ういう中で他の案も出てくるかもよ」と提案しても、そうはならな
    い。少数の声の大きい子が自分の案に固執し、後は多数決で意思表
    示するだけ。

    まあ、小4以下の子ども達だからしょうがないかと思いつつも、何
    の疑問もなく、すぐに多数決とる子達を見ていて、なるほどなーと
    思いました。

    後で小2の娘に聞いたら、案の定、学校では多数決とるのが当り前
    になっているとのこと。でも、娘は多数決は嫌いだと言います。何
    故?と聞くと、「多数決は可哀想だから」との答え。どうやら、少
    数の声の大きい子の前で、声を出せない子達の、声なき声が押しつ
    ぶされていく、ということが、娘の感性には合わないようです。娘
    以外にも、「多数決は嫌だ」と思いながら、しぶしぶ多数決に従っ
    ている子もいっぱいいるはず。

    確かに、多数決は便利ですが、その便利さに頼ってばかりでは、話
    し合う作法はいつまでたっても身に付きません。話し合わないまま、
    大人になり、大人になると、今度は、空気を読めと言われて、ます
    ます話し合えなくなっていく。

    どうも義務教育が話し合うことのできない日本人を大量生産してい
    る気がしてならないのですが、どうなんでしょうか??

  • 教育に関わる人達の必読の書。エピソード形式であるが、そこに流れている教育観は深い。「共に食べる」「異年齢集団」「民主主義のシステム」「優等生と問題児」。圧巻は卒業生を追跡調査したまとめのアフターワード。教育の本道がここにある。

  • 読むだけで、ワクワクして目を輝かせている自分に気がつきます。
    たまに、国内のサドベリースクールに行きますが、言えることは、とにかくみんなが素敵なのです!
    「学校」にあるようなイライラや陰湿さがかけらもなくて、お互いがお互いを認め合っている。

    私自身としては、やっぱり教養を知りうんちくを垂れるのが趣味なので、大学や競争も喜びなのですが(笑)

  • 星5つ!
    自由と責任が学べる学校ですね。
    そして楽しそう!

  • デモクラティックスクール(民主的)と呼ばれるようになった
    ボストン郊外にあるサドベリーバレースクール学校
    大学で物理学の教師だった著者が一代発起して取り掛かった教育体制
    個性を殺して社会に沿わせるために施す教育でなく
    放任かつ自主性を待って対等観に基づくシステム教育である
    それは全員が無条件で投票権を持つと言う数の論理に従う民主主義である

    全員の合意がない状態で多数決の結果に同意できない個人に対しても
    責任と義務だけ押し付けた上に
    参加した上でのことだと言う負い目を追わせて
    個人を鵜呑みにしてしまう怖さを持っていると思う

    それにしても現状の脅迫的競争教育と比べ物にならない
    民主制を持っていると言えるだろう
    著者は大変なエネルギィーを注ぎ込み
    依存的な恐怖心保持者からの抵抗に説得し続け世界中に賛同者を増やしてる

    この学校のコンセプトは組織優先でなく
    子供も大人も本来持って生まれた好奇心をつぶすことなく
    自力で育て合える場の提供だと思う

    しかしこれだけ対等性と個々の個性と今の好奇心を大事にしたいと言う一方で
    この本の言葉の端はしで出る「完璧な答え」を想定し「ごーる」を描き
    「達成感」や「やりがい」を求め「自由」を与えると言ってしまう
    物欲的先入観を消せずにいる

    大きな変化を求めて演じる彼も夢と現実の狭間で全貌が見えずに揺れているのだろう
    未だに社会的価値観に挑戦しなければならない当事者として
    抜けきれない矛盾に気付けずに溺れているようだ

    中身の暮らし自体よりも社会的成果である希望大学への進学率とか
    目指す職人への成功例の報告を楽しんでいるようだけれど
    ここでの大事な情報発信は子供の心の成長であり
    紆余曲折を経ながら自己決断を繰り返し
    仲間との切磋琢磨によって洗練されていくプロセスなのだと思う
    むしろそこを大切にしようとするのが彼の夢見る学校ではないのだろうか

    この学校では好奇心が湧くと自力で学び始め
    行き詰まると~がわからないから教えてほしいとなり
    それに対して~を約束すると言う契約を通してクラスが誕生する
    つまりルーティン的な決まり事はなく
    その都度発生する新たな作用に対して受けて立つ反作用が始まる

    これが学校組織と言う限界であり家族間の関係と違う所なのだろう
    金銭的取引を伴う中で学び合うと言う別の重複する条件を目的にするために
    対等性が歪んでしまうのである

    民主制を高めるために
    次の段階ではこの二重取りとなる二つの矛盾する目的を整理する必要が在るだろう
    さらには民主を制度でなく心に持つモラルにまで咀嚼する仕事が待っている

    保守的社会における権威やブランドによる免許と言う実務的評価に対して
    個人と個人の出会いによる実態から得る人間的な感覚を通して評価するべきだと
    説得し続けることとは別に
    日々の暮らしの中で既存の社会と折り合いを付けながら固まらずに
    時には反面教師として学んでいければと思う

  • こういう学校が近くにあれば良いのに。

  • 日本人に決定的に足りないスキルは、「民主主義」です。

    既存の学校に通う限り、絶対に身につけることのできない素養です。

    「子どもの仕事は学校に行くことだ」なんてバカなことを子どもが言い始める前に、サドベリースクールを選択することを、真剣に考えた方が良い時期にさしかかっています。

  • 可能性を大いに秘めた学校だと思います。私も入りたかった!ここで育った子供たちの未来に期待大です。卒業後、日本の大学で満足できるとは思えないのが難。子供たちが進んでいく以上に、大人の私たちも新しい社会へと進化していかなくちゃって思う。

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著者プロフィール

 1934年生まれ。
 米ニューヨーク・コロンビア大学で博士号(Ph.d. 理論物理学)を取得、そのまま同大学で物理学、科学史を教えたあと、1968年、マサチューセッツ州のフラミンガムの地に「サドベリー・バレー校」を創設。1999年春、サドベリー・バレー校の共同創設者であるハンナ夫人とともに初来日し、東京をはじめ各地で講演した。
 著書は、本書の原著である Free at Last をはじめ、Kingdom of Childhood, A Clearer View, など多数。各国語に訳されている。
 ダニエル・グリーンバーグ氏が理論面・実践面において主導するサドベリー・バレー校をモデルにした学校づくりは、米国内はもとより、オーストラリア、ドイツ、オランダなど世界各地で進んでいる。

「2019年 『世界一素敵な学校 改訂新版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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