最新の軍事理論で読み解く「桶狭間の戦い」 - 元陸将が検証する、信長勝利の驚くべき戦略 - (ワニブックスPLUS新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784847060991

感想・レビュー・書評

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  • 少し前までは、歴史の事件に関する解説書を書くのは、歴史学者や小説家が多かったと思います。それが最近では、歴史とは専門外の人達による本を見かけます。税理士や会計士の方が「お金」の流れから解説している本は読んでいて楽しかったです。

    この本は、元自衛隊の上層部(陸将)の方が、現代軍事理論を用いて、私が興味を持ち続けている「桶狭間の戦い」について解説した本です。信長は家督を継ぐまでは、周りの人からは「うつけ」と言われていましたが、この戦いで勝利してから、周りの見る目が変わっていったようです。

    信長にとって、生涯の中で重要な戦いを、いかにして勝利したのか、偶々本隊を見つけたとか、直前に雨が降ってきた等、言われていますが、それらの機会を十分に発揮できるような準備をしていたからなのだと私は思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・鷹狩りは、指揮官たる信長の「模擬戦闘訓練」となって、戦術能力や実兵指揮能力の向上に役立ったことだろう(p24)

    ・天文23(1554)年に雪斎が構想・推進した、甲相駿三国同盟が成立したので、桶狭間の戦い(1560)まで、平和な時代が続き、義元が実戦経験を積む機会がなかった(p35)

    ・信長の私兵を維持する、「銭」と「リクルート」は、いずれも人と金が集まる、熱田(熱田社)と、津島(牛頭天王社)の2つの都市から供給されていた(p49)

    ・信長の桶狭間の戦いは、善照寺砦と、中嶋砦を活用した、機動防御であった、という仮説を提示する(p53)

    ・上杉謙信が永禄2年(1559)に再度上洛して、将軍・足利義輝に拝謁した際に、黄金30枚を献上した。これは1200貫に相当する。これは同じころ、信秀が朝廷に献上した4000貫に比べて、3分の1以下、これが織田の財力を物語る証である(p55)

    ・今川勢4.5万の内訳、親衛隊350、従者(足軽等)8400、下級奉公人15000、陣夫7000、野党・浪人14250、非戦闘員は2万2000であり、全体の半分を占める(p57)

    ・ナポレオンの演説に含まれていた3要素、1)褒めて自信を持たせる、2)敵愾心をあおる、3)魅力的な褒章を提示、である(p59)

    ・桶狭間の戦いは、太陽暦では6月22日、まさに梅雨期であった。長距離を徒歩行進する兵士たちは、全身雨にさらされ、寝食も劣悪な状況であったに違いない(p64)

    ・バルチック艦隊は十分な無煙炭を確保できなかったので、スピードの低下と、もうもうと煙突が吐く黒煙によって艦隊の位置を知られた(p71)

    ・米軍は兵士獲得のために、様々な優遇措置を講じていった。軍に三年間勤務すれば、その間は、月額250ドルの奨学金に加えて、5万ドルの融資が受けられた。ベトナム戦争で、黒人と白人が同じ戦場で同等の立場で戦うようになり、黒人の軍務が公民権を得た(p75)

    ・信長は、夜明け方、丸根砦と鷲津砦から、攻撃を受けていると報告を受けるや否や、単騎先駆け(小姓5人だけ追随)したが、残余の将兵(約2000)も、追従してきたのが凄い(p76)

    ・日本の戦国時代においては、騎馬集団だけによるスピーディな機動力を生かした作戦・戦闘が行われた記録は知らない。槍と刀を持った、徒歩兵による戦闘が基本(p99)

    ・不断の闘争を続けてゆくために必要なのは、1)理性(内的な光を投げかけ、真相のいずれにあるかを発きだす)、2)勇気(内的な光に頼ってあえて行動を起こすもの)(p161)

    ・信長が、陣頭指揮ができた理由は、信長軍の中核となる精鋭部隊が700-800という直接指揮できる最大規模で、常備雇用兵として日ごろから手塩にかけて訓練、相互に心が通い合っていたから(p165)

    ・隘路の西側出口を戦場にすることにより、敵対する今川の大軍の戦力発揮を制限して、いわば一騎打ちの戦いに持ち込んだことが勝因である(p218)

    ・強者は、ランチェスター第二法則、弱者は、第一法則に適合するように工夫して戦うのが良い。強者は、総合戦・物量戦・広域戦・遠隔戦・確率戦・正面突破、弱者は、ゲリラ戦・一点集中・局地戦・接近戦・一騎射ち戦・陽動作戦が良い、企業活動も同じ(p234)

    ・今川軍先鋒部隊でも、戦闘のプロである給人(中小部隊指揮官)はほんの一握りで、大多数は、従者・下級奉公人・野党であった(p257)

    2016(皇紀2676)年11月27日作成

  • 内容は表題の通り。現代軍事理論の入門書としても読める部分もあって、意外と楽しめた。本書で提示された”新説”が、歴史書の内容などと比較して、どれほど妥当なものかわからないが、それなりの説得力を感じた。

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著者プロフィール

福山隆 ふくやまたかし
一九四七年長崎県生まれ。防衛大学卒業後、陸上自衛隊幹部候補生として入隊。九〇年外務省に出向、大韓民国駐在武官として朝鮮半島情勢のインテリジェンスに関わる。九三年、連隊長として地下鉄サリン事件の除染作戦を指揮。陸将補、西部方面総監部幕僚長、陸将を歴任し、二〇〇五年退官。ハーバード大学アジア上級客員研究員を経て、現在、広洋産業株式会社顧問。

「2022年 『ロシア・中国・北朝鮮が攻めてくる日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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