河野裕子 (シリーズ牧水賞の歌人たち) (シリーズ牧水賞の歌人たち Vol. 7)
- 青磁社 (2010年9月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861981616
感想・レビュー・書評
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2010年の夏に亡くなった歌人、河野裕子についての本。
ほとばしりでることばをおしとどめないこと、を考える。
代表歌を三百首とりあげてあるが、あるひとりのひとの、若くある頃から、親となる頃、そして病を得る頃、死が近づく頃までを一気にさらえてしまう気持ちになり、さらに巻末に収められた絶筆十一首を読んでしまえば涙が止まらなくなる。
しかし自分のような人間はのうのうと生きており適当に感動し涙など流し、しばらくすればそんなこと忘れてしまうのであろう、と誰かに思われているのではないか(それは河野裕子でもあるはずだ)、そう思ってびくびくしているうちは、自分自身を生ききれていないのだろう。生ききれる日は来るのか。考える。 -
捨てばちになりてしまへず 眸のしづかな耳のよい木がわが庭にあり
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夫婦と子ども2人がすべて歌人という、歌人一家の永田・河野家のことを知ったのは、ずいぶんと前、新聞に連載されていた父・永田和宏と娘・永田紅の往復書簡の時だったと思う。そのとき、「ああ、こういう風につながっている家族もあるのか」と思った覚えがあるが、ここには母・河野裕子の姿があったわけではない。
その後、何となく毎週の新聞の歌壇を眺めてはいたが、河野裕子について強い印象を受けたのは、亡くなった後だ。夫・永田が歌壇の選者であったこともあるのだろう、新聞に何度か河野の追悼記事が載った。中で触れられた絶筆の一首「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」の胸に迫る力に打たれた。肉声も知らない女流歌人の切れ切れの声までもが聞こえてきそうな、悲しさ・淋しさ・諦め・愛おしさ、様々な思いが混じり合ったような絶唱。
この歌がずっと脳裏に残っていて、借りてみた本。発行人は息子、永田淳。
河野裕子の代表作あり、いろんな人の河野裕子論あり、河野裕子による短歌論あり、年譜あり、と幕の内弁当みたいな1冊。
短歌に詳しいわけでもないので、以下、雑感。
・この人の作は生きることの生々しさを感じさせるものが多い気がする。
・短歌というのは、他に仕事があっても詠める(永田和宏も本業は細胞生物学者)、ある意味、兼業向きのものなのかもしれない。だからこそいろんな人が作歌に取り組み、歌壇が賑わうのだろう。
・それにしても、作風のせいもあるのだろうが、こんなに私生活を露わにしなくても別の方向性もありそうだよなぁ・・・。
・西行論がおもしろかった。意識の所在って突き詰めて考えると怖いのだけれど、西行の詠む「身」と「こころ」の解離って、そんなこととも関係があるのかなぁ。ちょっと西行に興味がわいた。これは宿題。
・青空に怖さを感じる、狂気すれすれの繊細さと、子どもを叱り倒す豪快さと。何か一色でないところがこの人の魅力なのかもしれない。
その涙は何に起因したのでしょうか。確かに
死は遺された家...
その涙は何に起因したのでしょうか。確かに
死は遺された家族には認めたくないほど辛く悲しい事実であるから嘆き悲しむのですが、
私の涙は、死とそれを心底悲しむその家族の姿に感動したことによるのだと想う。
涙するときは、ここまで意識的じゃなく、まったく自然であったと記憶してます。