守りの名将・上杉景勝の戦歴 (新書y 215)

著者 :
  • 洋泉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862483621

作品紹介・あらすじ

上杉家を守り抜いた名将・上杉景勝の実像に迫る。上杉謙信、直江兼続といった存在の影に埋もれがちだが、景勝こそは多くの家臣の信望を集めた名将だった!上杉家の誇りをかけて、天下人との争いも辞さず、転封にも耐えぬいた武将の生き方に迫る。家康による「会津攻め」で「北の関ヶ原論」とも呼ばれる、全面対決を想定していたという見方が有力だが、著者は遺構をつぶさに踏査することでこの論を排し、防御に徹した名将の戦術を明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • 景勝以外の記述はだいたい従来の通説に則っている感。関ヶ原前後の毛利輝元の行動が光成準治研究に拠ってるところが目にとまるぐらい(決戦に目を注ぐのではなく、大阪城に入って以降、西国支配に意欲を燃やし始めた)。景虎との跡目争いを勝ち抜き(景勝の扱いは臣下の第一人者だったが、景虎は常に謙信のそばに置かれ優遇されていたのでは、という指摘)、信長による包囲網で滅亡寸前に追い込まれながらも本能寺の変で息を吹き返し。紆余曲折を経て、天正14年の上洛で秀吉に従属する一大名に。1598年、越後91万石から、会津92、佐渡14、出羽庄内14の計120万石となった(とあるが、以前は、越後、佐渡、信州川中島だったような。)。会津への移封は国人領主を束ねる立場から近世大名に脱皮する契機でもあった。神指城は、敵を迎え撃つ意識が弱い、領国経営の中心となる意識が感じられ、それを謀反と称されるのは片腹痛かっただろう、と。上杉家への侮辱は、謙信への侮辱、この屈辱を晴らすため、傷つけられた誇りを取り戻すため、家康相手に上杉家の存続をかけても戦わねばならなかった。この「誇り」がこの本を貫くキーワード。革籠原で大規模な一戦を想定したと言う「北の関ヶ原論」には疑義。景勝が兼続に「武名の衰運今においては驚くべきに非ず」と語り、幸福。戦後は「律儀」を評価され、将軍家の深い信頼を得るまでに。「偉大な謙信の正統な後継者として、景勝はその誇りのままに最後の最後まで戦人として戦い抜いてきた。そこには己の生き方を貫いたという満足はあっても、少しの後悔もなかったはずである」

  • 本書は戦国武将上杉景勝の生涯を記した本である。上杉景勝は地味な燻し銀のような武将であるが、大河ドラマ効果で多数の関連本が出版されている。本書を読めば謙信なきあとの上杉がどのような道をたどったのかがわかります。

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著者プロフィール

歴史作家。戦国期の歴史の現場を精力的に踏査し、現場からの視点で歴史の定説を見直す作業をすすめている。主な著書に「真説・川中島合戦」「真説・千房の一族真田三代」など

「2017年 『天秀尼の生涯 豊臣家最後の姫』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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