雅子さま論争 (新書y 226)

  • 洋泉社
3.06
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862484109

作品紹介・あらすじ

「雅子さま問題」はどこから来てどこへ行く?メディアの過剰なバッシング、アンチ派のネットでの暴走、雇用機会均等法第一世代からの強い共感と世代によって温度差がある皇室への思い入れ、皇太子一家vs.秋篠宮一家という対立構図、長引く療養期間に投げかけられる疑問…。雅子さまをめぐる言説はとどまるところを知らない。近代家族のモデルとして機能した美智子妃の時代とは対照的に共通の夢や希望を語れなくなった現代、私たちは雅子さまを通じて、そこに何を見るのか。

感想・レビュー・書評

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  • 彼女がブックオフに売ろうとしていた本の中から拾い上げた本。

    特に感想なし。

  • 論争でなく過剰なメディア・バッシングに対する分析、擁護?
    七人の著者が雅子さまを巡る言説について語っています。ガチにアンチ派を標榜する著者はいません。メディアが皇室・雅子さま問題をさかん取り上げるのはそれで数字が取れるからなんでしょう。小田嶋隆はその語られ方(文体)について書いています。敬語のこちらと向こう側、自主規制という抑圧装置、そこに表れるすかしやおべっか、慇懃無礼、信奉など、さまざまに入り乱れた言説にネットではありとあらゆる人々が食いついて、これが本音とばかりに吐き出す。思えば美智子妃の時代は良かった。高度経済成長と近代家族の形成がリンクし、国民の多くが美智子妃を応援、賞賛したわけだ。しかし「雅子さまと、この列島に住む『私たち』が生きる社会。それは、もはや共通の夢や希望を語れなくなった世の中なのだ」(森暢平)
    雅子妃自身、その華々しいキャリアの延長と考えたであろう皇室入りが実はその終りであったという現実に戸惑い、体調を崩し療養と公務の欠席を余儀なくされた。その病名については適応障害ではなく、ディスチミア親和型うつ病だという診断に香山リカは態度を保留するが、なるほど私たちがみな「プチ雅子さま」(白河桃子)であるとすれば、こういった「都合のよいときだけうつ」という新しいうつが雅子さまよりむしろ下の世代に見られ、それを批判するのがまさに働く同世代女性という屈折が、日本社会を映し出す鏡としての皇室の濁り具合を示しています。
    『バブル世代女性は強化プリンセス・マサコの夢を見るか』(水無田気流)というより、皇室自体が宮内庁の夢見る天皇制という負荷に皇族疲労を起こしているのかも。僕自身は未だに好青年っぽさの抜けきらない皇太子浩宮とヤンキー気質でない(湯山玲子)雅子さんにシンパシーを感じています。

  • むろん、小田嶋ファンとしてコレクションしただけである。他の著者の文章はほとんどクズ。

  • 多くの人は雅子様を語ることで自分語りをしている、というメインライターの森暢平の指摘が面白い。雅子様を語る人は自己の何を雅子様に投影しているのか、どんな物語を期待しているのか、雅子様について一言いいたいという人の欲望はどこにあるのか? 目的を自問し始めた現代の皇室の問題として、機会均等法一期生の代表者として、新型うつに苦しむ人として、妻・母・個人として生きることの不可能性を体現している女性として・・・ちまたの雅子様論から逆に語り手である現代の日本人や日本の社会の姿が見えてくる。

  • 雅子さまが皇室に入ったのは1993年、私が会社に入って2年目の年だ。私たちの年代だって会社に勤め続けるには道険しだったので、雅子さま世代はもっとだろう。仕事、結婚、子供、このセットを手に入れることの難しさ。ましてやその狭間でもがかれている(ように見える)雅子さまを見て、自分自身の迷いを投影してしまうのは私だけだろうか?

  • 日本人も結構皇室のゴシップが好きなんだな。
    もはや誰であっても、国民の統合の象徴になるのは難しいのだから、雅子様のバッシングはやめた方がよい。
    宮内庁も官僚組織で前衛的な組織らしいから雅子様も救われないだろう。

  • 「小田嶋隆は書きたくないなら書かなきゃいいじゃん」が最初に浮かぶ感想。彼の章はこういうテーマが苦手で書きたくない、ということの言い訳に終始していて読むだけムダ。
    あとは、まあだいたい想像できるような内容。女性が自身を雅子さんという記号に投影しているとか、そんな話。

  • 201002/日本国憲法には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると書いてある。憲法制定議会で、ジャーナリストで貴族院議員の長谷川如是閑は、前半の「日本国の象徴」というのは、政治組織体としての日本国を象徴するという意味であり、それとの対比で、後半の「日本国民統合の象徴」とは、日本人たちの共同体、ゲマインシャフトの中に生きる一人ひとりの人間を単位にした社会を象徴する、と説いた/憲法制定時、例えば、平和への誓いとか、国家の再建とか、民主主義の実現など共通の目標があった。そうした国民国家全体の一般意思があり、私たちという全体の利益にも合致していたからこそ、天皇が国民統合の象徴たりえた/たった一人の相手を、恋愛初期の超新星爆発のごとき熱烈な愛情をもって、生涯愛しぬける稀有な才能をもった人間が、いったいどれだけいるだろうか?だが、この異常事態を、平然と家族形成の「前提」にしてしまったのが近代社会であり、近代家族である。それは今日にいたっても払拭されていない。さらに、この不確かな領域を自身の幸福の確固たる礎とせよ、といわれ続けてきたのが女性である。その不確かさゆえに、女性が恋愛や結婚にかける情熱は、すさまじい/

  • 購入場所:紀伊國屋書店 新宿南店
    読書期間:2009年11月28日〜2009年11月30日

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著者プロフィール

成城大学文芸学部教授。1964年生まれ。京都大学文学部卒業、国際大学大学院修了

「2019年 『〈地域〉から見える天皇制』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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