- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862485212
作品紹介・あらすじ
私たちは「食べる存在」であるから、「われ思う、ゆえにわれあり」ではなく、敢えて、こう言わなければならない。-近代哲学が意識の外においてきた、「食としての存在」が「私」という存在を根本で支えていることの意味を根源的に問う。いのちと「食」をめぐる問題に一石を投じる問題作。
感想・レビュー・書評
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これを読みたかった時から時間が経ってから読んでしまった。めんどくさいことを書いているなぁと思ってしまった。
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デカルトは「我考えるゆえに我あり」と言ったが、本当にそうか? 「我食べる故に我あり」ではなかろうか、から始まる「食べる」思想を説いた書。
面白かった! 人が食人する宗教的な理由として、まず食べる神の存在、食べる存在として人が神を生み出したとし、その究極の食べ物として人を供犠してしまったのだ、というのはなるほど、と唸った。
また親族の人食は彼の魂のためによくなるという風習の土地では、罪悪感を見いだせないそうだ。そうなのだろう、と納得し、受け入れてしまえる今現在において、食人を忌避するのは結局はグローバルな文化でしかない、とよく理解できる。
現在、尊ぶべき生き物が、しかし食物として我々の前に表れると「おいしそう」になる。この「一口サイズ」への食物化を疑問視するのはおかしいことで、そうでなくて、我々のその食人や食を粗末にすることを忌避するこの文化で、十分、生き物を尊び、食べ物を大切に食べる思想は植えられる。
ずっと感じていた食人への、なぜ自分がいけないと思っているのか、納得いかない気持ちがかなり整理されました。大事に読みたい一冊です。 -
人は食べ方で体型も考え方も変わる生き物である - 読んだものまとめブログ http://t.co/6iG0X6