- Amazon.co.jp ・本 (321ページ)
- / ISBN・EAN: 9784863101579
感想・レビュー・書評
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東大教授就任前に、当時は慣例として留学が義務付けられていたが、西欧が必須のところをあつく説き伏せて東洋をメインにすることに。中国、インドからトルコへ。オスマン帝国好きとしては、当時のオスマン帝国内で何を見て、どう感じ、何を見なかった、といったところに興味。総じて、モスクなどにはあまり評価を与えず、シナンの最高傑作セリミエを見てないのは残念、というのは同感か。ただ、当時の情報の行き渡り方から致し方ない面もあったのでは、と。以下備忘録として。忠太のイスタンブル建築探訪には西欧の学問傾向のバイアスがかかっていた。オスマン帝国内の各県の知事にあてた国内旅行許可の文書は同時に忠太の行動を監視し、問題があれば報告するように告げる。日英同盟と日露戦争下のイスタンブル、国費留学中の伊藤博士に大英帝国の保護は当然のように与えられる。イスラム建築の追求が、ギリシアのエンタシスの東への伝播という発想から解放され、別次元に突入した、と。築地本願寺は忠太の代表作、ランドマークとなった。
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歴史
建築 -
2016-1-14
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architectureを建築と訳した、伊東忠太。
それまでは、造家と訳されていたらしい。
へえー。
設計した、築地本願寺を
見に行きたいな。 -
引用文献や注までチェック(その能力もない)したわけではないが、主人公に阿ることなく、しっかりとした作り(内容も製本も)の本で関心しました。本筋とはまったく関係ありませんが、最後の方で、たばこ事業の専売の話がでてきます。紙巻き煙草用のペーパーを国産化したのが山田寅次郎で、自動紙巻き煙草の機械(特許含む)を納めたのが、私が以前勤めていた会社の前身で、とても懐かしかった。
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築地本願寺を設計した人には濃密な海外生活があったんですね