和解~インナーチャイルドを癒す~

  • サンガ
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  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865640502

作品紹介・あらすじ

『怒り』『怖れ』に続く、心(感情のエネルギー)を変容させるマインドフルネスの実践。内なる子ども(インナーチャイルド)を癒し、人と、そして自分自身と、真の友人となる。

感想・レビュー・書評

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  • 難しい。自分の内なる小さな子どものお世話をする。

    難しい、というのは、まだ自分自身に、自分を見つめる覚悟ができていないからだろう。
    見たくないものを直視する覚悟がまだない。
    ゆるしたくないものをゆるす準備がまだできていない。

    まだ早かったかもしれない。でも、今この本の存在を知ったことで、もしかしたら何か自分の中に変化が起きているかもしれない。気づかないところで。

  • 斜め読み。

  • 引用。

    第1部 癒しについての教え

    1 マインドフルネスのエネルギー > ロケーション 277

    悲しみや怒り、絶望といった「心のしこり」はいつでも、顕在意識というリビングルームに上がってきたがっています。抑圧された「心のしこり」は放っておくと大きくなっていき、私たちに注目されることを必要とするからです。一方、私たちのほうは見るのもつらいので、この〝招かれざる客〟に上がってきてほしくありません。そこで私たちは、上がってくる道をふさごうとします。地下室でそのまま眠っていてほしい、向き合いたくないと思い、習慣的にリビングルームを別の客人でいっぱいにしようとするのです。

    1 マインドフルネスのエネルギー > ロケーション 310

    傷ついた幼子を見つけたときに最初にすることは、ただその子に気づきながら、「こんにちは」とあいさつすること。それだけです。その子が寂しがっていることに気づいたら、呼吸に気づきを向けながら声をかけましょう。

    2 我は祖先なり、我は子孫なり > ロケーション 424

    母や父から教わった料理、家に代々伝わってきた料理を作っているときに、自分の両手を見つめ、微笑みましょう。その手は母の手であり、祖母の手です。その料理を作ってきた人は、今、あなたと一緒に料理をしています。台所で料理をしているときには、このようにして完全にマインドフルになることができます。何もわざわざ瞑想室や僧堂に行かなくてもよいのです。

    3 原初の恐怖、原初の欲望 > ロケーション 526

    自分の中に、今なお過去にとらわれた幼子がいると知ることはとても大切です。その子を救出しなくてはなりません。ゆるぎない姿勢で座り、今この瞬間に自分をしっかりと存在させ、こう話しかけましょう。「ねえ、大好きなかわいい弟、もうぼくらは大きくなったんだよ。自分で自分を守れるんだ。もう苦しむのも怖がるのもやめにしよう」

    3 原初の恐怖、原初の欲望 > ロケーション 534

    子どものころ虐待されると、ほとんど何を見ても聞いても虐待されていたころのイメージが浮かぶことがあります。こうした過去のイメージにあまりにもさらされ続けると、恐怖、怒り、絶望といった感覚が起こってきます。仏教ではこれを「非如理作意(ayoniso manaskara)」、適切でない注意喚起作用と呼びます。今このときから、古い苦しみの場へ連れ去るからです。自分の注意がその場へ、その種のイメージへ引き戻されたらいつでも、わき上がる悲しみや恐怖、苦痛に対処する方法を実践することが重要です。

    3 原初の恐怖、原初の欲望 > ロケーション 571

    ブッダは次の「心に留めておくべき五つの項目」と呼ばれる実践を教えています。1私は老いるものである。老いから逃れることはできない。2私は病むものである。病から逃れることはできない。3私はやがて死ぬものである。死から逃れることはできない。4私が大切にしているものも愛する人も、すべては移り変わりゆく。別離から逃れることはできない。何一つ、とどめておくことはできない。私はここに何も持たずに生まれ、何も持たずに去っていく。5私の唯一の持ちものは、自分の体、言葉、心による行為(業、カルマ)のみ。行為の結果からは逃れられない。自分の行為により私は成り立っている。毎日、呼吸に気づきを向けながら、一つひとつの項目について深く見つめる時間を持ちましょう。

    4 呼吸すること、歩むこと、手放すこと > ロケーション 603

    自分を傷つけた家族や友人と和解したい場合も、まず自分自身を大切に世話しましょう。自分の心の声を聴いてあげられずに、どうして人の話に耳を傾けられるでしょうか。自分自身の苦しみをあるがままに認め、抱擁する方法がわからなければ、人との関係に平和と調和をもたらすことなどできません。

    4 呼吸すること、歩むこと、手放すこと > ロケーション 739

    牛の話というと、ドイツで開催したリトリート(瞑想合宿)に参加されたドイツ人のビジネスマンを思い出します。私が法話で、この牛を手放した農夫の話をすると、彼は大笑いしていました。そこで、「また、いらっしゃい」と言うと、「いや、すごく忙しいから」と言います。そのときもこれから仕事でイタリアに行かねばならないし、することがいっぱいあるので、と言って帰っていきました。ところが翌日、人々に交じって彼が座って私の法話を聴いているのが目に入りました。聴くと、イタリアに向かって出発したのですが、途中でUターンしてドイツに帰ってきたと言います。彼は絶対に手放せないと思っていた牛を一つ、手放したのです。彼はとても幸せそうでした。

    5 苦しみを変容させるということ > ロケーション 907

    私たちもまた、人でも物事でも、対象と一つになるまでは、十全に理解することはできません。フランス語でcomprendre(理解する)という言葉は、文字通り、何かを取り上げ、それと一つになることを意味します。対象と分離している感覚があるかぎり、その対象を理解することは望めないのです。

    5 苦しみを変容させるということ > ロケーション 940

    私たちの体の細胞は、お互いに差別することなく、無分別智で協力し合っています。ある日、私の左手は釘を持ち、右手は金づちを持っていました。壁に絵を掛けようとしていたのですが、私があまりマインドフルではなかったのですね、釘の代わりに指を打ってしまいました。するとすぐに右手は金づちを置いて、左手の指をつつみ、自分のことのようにお世話し始めました。左手もまた無分別智をそなえていたので、右手に腹を立てるようなことはありませんでした。右手は「ぼくが世話してやってるんだ。左手さん、そのことを忘れないでよね」とは言いませんでしたし、左手も「右手さん、ずいぶんひどいことをしてくれたじゃないか。落とし前をつけてくれよ。ちょっとその金づちを貸しておくれ」とは言いませんでした。そこには「相手」も「自分」もなく、分け隔てもありません。

    6 内なる子どもを癒す > ロケーション 1031

    内なる五つの子どもは、思いやりと注目をたっぷり必要としています。毎日、数分でも座ってこの瞑想を実践する時間を見つけられるとよいでしょう。たいそう癒され、慰められ、心地よく感じます。それはその子があなたの中でまだ生きていて世話されることを必要としているからです。存在を認めてコミュニケーションを取ると、その子が確かに反応し、気分がよくなっていくのがわかります。その子の気分がよくなれば、私たちも気分がよくなり、大きな自由を感じ始めます。

    7 和解 > ロケーション 1312

    夫婦や家族が責め合ったり争ったりする状況から抜け出したい、もう苦しみたくないと思うなら、「和平協定」を結ぶとよいでしょう。「誰の中にもある怒りの種子が、あなたの中にもあって、私はときどき、そこに水をそそいでしまいます。そのたびにあなたは苦しみ、私のことも苦しめる。だから、約束します。これからは水をそそぐようなことを言ったり、したりしないようにするって。

    第3部 癒しの実践

    実践 客体を取り除く瞑想(トチノキ・サンガより) > ロケーション 2017

    九世紀の中国の偉大な禅僧であり、プラムヴィレッジの系譜の祖師でもある臨済禅師は、好んで「客体(境)を取り除け」という言葉を口にしました。客体とは、私たちが考えている対象である人や状況、話のことです。これは、そうした対象を取り除き、体と感覚に戻ってくる実践です。思考を手放し、エネルギーとともにあり続けましょう。体と感覚に戻ってくるエネルギーに従っていると、心のしこりが見つかり、優しく抱擁することができます。そのまま、しこりが自然にほぐれて解き放たれていくのに任せていれば、癒されていきます。この実践は、自転車の乗り方を覚えるときと少し似ています

    実践 十六のマインドフルな呼吸のエクササイズ > ロケーション 2104

    喜びをもたらすための最初の実践は、解放です。喜びは、手放すべきものを手放してこそ、可能になります。私たちは、「喜びとは、何か外側にあるもの。追い求め、獲得したときに感じるもの」と思いがちですが、そうではありません。自分の中の障害物(心のしこり、苦しみのかたまり)を見きわめ、手放すことができれば、喜びの感覚がおのずと訪れます。

  • 仏教といまどきのスピリチュアリズムの融合。

    インナーチャイルドを癒すために、仏教のさまざまな瞑想の技法が援用されます。

    ときどき、輪廻転生があるということを「前提」としてお話が進むので、ちょっとびっくりします。
    ベトナムではそういう信仰がまだリアルに生きているんでしょうか。

  •  私たちは、無意識に呼吸をしているわけですが、肺炎になんかなったら、嫌でも呼吸を意識せざるを得ないわけですよね。意識しないで呼吸できるって、ありがたいことですよね。

     和解といっても、他者との和解ではなく、自分自身との和解という話みたいですね。仏教哲学では、心には意識と呼ばれる表層部分と、蔵識(阿頼耶識)と呼ばれる深層部分があるとのことですが、それは精神分析の意識と無意識(エス)のような関係でしょうか。

     精神分析では、エスを意識化することによって心の絡まりが解れる?わけですが、仏教哲学でも阿頼耶識を意識化することによって、ものごとにこだわる気持ちや、不安に突き動かされ騒がしくなった心を鎮めることができ、避けて通れない運命を受け入れる力が手に入るということなのだと思います。

     新型コロナウイルスは、罹患していない人の心にまで暗い影を落としますね。こんな時だからこそ、何もかも上手くいかなくて当たり前と開き直って、先ず自分自身を許してあげたいものです。そうすることで、他の人にも優しくなれるはずです。

      無意識にしている呼吸を、意識的にすることによって、自分自身の心と体を意識する。そうすることで、生きていることのありがたさを実感し、生きていることの意味を考える時間を手に入れることができます。

  • 内なる子どもと対話。トラウマティック対策なのか。今の私には余り墜ちなかった。

  • 「人生で自分が幸福であるためには何が必要か」知る必要がある。

    菩提心は悟りの心、初心である。自分自身の苦しみを変容させ、真に自由な身となり、他の人々を助け、苦しみを変容させるお手伝いをしたい…こう在りたい。

    呼吸する、歩くを意識的にすると落ち着きある日々を過ごせると他の著書の読後に感じている。続けて幸せに生きます。

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著者プロフィール

釈一行。1926年ベトナムに生まれる。禅僧、詩人、学者、人権活動家。「行動する仏教(エンゲージド・ブッディズム)」を提唱し、ベトナム戦争中の南北ベトナムの和解に尽力、1967年にM.L. キング牧師によりノーベル平和賞候補に推挙された。100冊以上の著書を世に問い、仏教の教えとその実践をわかりやすく説くことで広く知られている。
現在は南フランスのプラム・ビレッジを本拠地として、アメリカ、ドイツなど各地にリトリートセンターを設け、仏教の教えに基づいた学びと実践の指導を続けている。

「2011年 『味わう生き方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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