エジプト人モーセ 〔ある記憶痕跡の解読〕

  • 藤原書店
4.00
  • (0)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 22
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865781045

作品紹介・あらすじ

モーセはなぜ「ヘブライ人」と記されるのか?!
イスラエルの民を「約束の地」へと導いた“ヘブライ人”モーセ。事実史ではなく“記憶史”の視点から、邪-異-偽のイメージを押しつけられた“エジプト人”としてのモーセ像を歴史のなかに丹念にたどり、排他性を特徴とする一神教の誕生の瞬間を解き明かす!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 噂通りかなり骨太な一冊で、読了まで時間がかかってしまったが、それだけの価値はあった。このアスマンの大著が日本語で読めるだけでもありがたい。

    本書は、エジプト学の世界的な泰斗ヤン・アスマンが、預言者モーセに記憶史の手法で迫る学術書である。通常の歴史学では、ある出来事の事実関係を考察する。それに対して記憶史が扱うのは、事実そのものではなく、想起される過去の事象である。そのイメージがどう形成され、どう変容したかを詳らかにしていく。故にアスマンは本書で歴史的事実を解明しようとはしていない。本書で扱うのは、モーセ像である。実際、モーセに関しては、その実在を示す考古学的証拠は一切ない。ラメセス朝期と目される聖書の「出エジプト」に関しても、当のエジプト側にそのような記録は残されていない。

    聖書に示されたエジプトは、多神教世界で偶像崇拝が蔓延した異端であり、いわばユダヤ=キリスト教の一神教の「真理」に敵対する「虚偽」の存在として描かれる。アスマンはこのように真の宗教と偽の宗教に分ける行為を「モーセの区別」と称する。ヘブライ人モーセの律法は、まさにこの「モーセの区別」を象徴するものだった。

    しかし一方、ヘレニズム時代には、聖書で「エジプトのあらゆる智慧に精通していた」とされるモーセがエジプト人、ないしエジプトにゆかりのあるヘブライ人だったとする言説が見えはじめる。それが17〜18世紀にヨーロッパの知識人たちによって掘り起こされたことで、エジプトこそがキリスト教世界の智慧のルーツと見なされるようになる。ここに来て、オカルト的な匂いも醸しつつ、エジプトの一大ブームが巻き起こるのである。現在に至るヨーロッパでのエジプト受容の下地が出来上がった。

    おそらく今でもそうだと思うが、ヒエログリフを学ぶ学生はその解読の歴史も同時に学ぶ。かつてヒエログリフという文字は、コミュニケーション手段というよりも、古代エジプトの崇高な智慧を隠した暗号のようなものだと考えられていた。しかし、実際のヒエログリフは文法もある実用的な文字体系である。ロゼッタストーンを手がかりにシャンポリオンが解読に成功することで、エジプト学の構築がなされ、エジプト観の脱魔術化が進む。

    そこで満を持して登場するのが、かの精神科医フロイトである。フロイトは先達たちが使えなかったアマルナの考古学的事実をふんだんに取り入れ、最後の大仕事として「モーセという男」に迫る。アスマンは、フロイトがこのテーマから反ユダヤ主義の根源を読み解こうとしたと考察する。

    本書には実に多彩な面々が登場する。スペンサー、ウォーバートン、ラインホルト、モーツァルト、ベートーヴェン……そしてシラー。彼らはモーセ=エジプト人問題に、それぞれの仕方で関与している。そして人類の記憶史の形成に一役を買ってきた。

    本書でアスマンは、エジプトがヨーロッパの文化的記憶の一端を担っていることを改めて示唆する。そして一神教が内在する他者否定や暴力性に思いをやる。発表当初、非常に話題となり、また(容易に想像できるが)強い反発もあったという。非常に読み応えがあり、知的好奇心も満たされる。記憶史という手法に興味がある方には最適の一冊だと思う。

全2件中 1 - 2件を表示

ヤン・アスマンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×