- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784872901597
作品紹介・あらすじ
1994年中央アフリカの小国ルワンダで起きたフツ族によるツチ族への大量虐殺。いかに虐殺行為が計画され、いかに実行されたのか。突発的な虐殺ではなく、予告までされていた事実。国際社会は止めるチャンスがあったにもかかわらず、見逃した事実から、裏に隠された国際社会の対立構造まで、生き残りの人々の証言で詳細に綴った緊迫の一冊。全米書評家協会賞・ニューヨークタイムズ、ロサンジェルスタイムズブックアワード他で絶賛。
感想・レビュー・書評
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国連に加盟している主要国はそれぞれの利害に関係する理由からそれぞれの立場を守り結局は何もしていなかった。援助という莫大なお金の流れは誰のためのものだったのか。第2次世界大戦のあと、ユダヤ人に対するナチスのジェノサイドをあれほど非難し反省したはずの世界なのに。ここに書かれているその背景が私の頭には複雑でちっともわからないのだけれども。権力やお金持ちのジェノサイド実行者ジェノシダレはさっさと亡命し自分の罪に口をぬぐう。列強各国は彼らを犯罪者だと知りながら受け入れる。ルワンダ国内には悲惨な体験に心も体も傷ついたツチ族たちが残り多分次にもまた起こりそうな気配のジェノサイドを予感しながら希望もなく貧しい暮らしをしている。私は日本国憲法、特にその前文と憲法9条は素晴らしいものなのだと最初に教えられた。其の内容がどんなものだったのかは酷くあいまいでほとんど忘れてしまっているが、「恒久平和」と「武力放棄」だったと思う。私はその内容を正しく理解するよりも先に「それは素晴らしいもの」と教えられ受け入れた。それは私の祖父母が「天皇陛下のために戦争にいきお国のために死んでこい」とわが子を戦場に送り出したのと同じなのだと思う。そうインプットされたものが変えられない。難民キャンプのなかでフツ族の女たちはツチ族を抹殺するためのフツ族を産むように強制的に妊娠させられたとあった。そんな中で育った子どもたちは、其のこと事態の善悪を理解する以前にツチ族を殺すことをインプットされていく。1994年のジェノサイドはそうして育った人たちが手を下し、そして難民となった。中にはこの無意味さを、この状態の異常さを理解できるようになりながらも手を下した人もいるだろう。しかし本当に良くわかっている人たちはさっさと国を離れのうのうとしている。この国は13年たち、其の間も何回か小さなジェノサイドが繰り返されながら、ツチ族とフツ族が共存している。外務省のホームページから見ると今は平和が維持されているが渡航には充分注意または見合わせるようにとある。真実が見えない。私は結局ほとんどこの本の内容をわかっていないのかもしれない。作者の言うように「無視すること」を恐れただけかもしれない。ただ、どうしようもなく虚しい気がする。ルワンダという国にも、世界にも、自分自身にも。私は今まず身近な憲法問題を理解することからはじめようと思う。"
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/42950 -
(後で書きます)
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有象無象、玉石混交入り乱れる情報過多の現代を生きる私たち。その字面だけを見ると、どちらかというとネガティブな印象を受ける。でも、本作で描かれたジェノサイドの悲劇は、SNSも発達した今なら、もっと防げた気がする。国連っていう壮大な話になると、どうしても小回りが効かないんだろうし、大きな組織ならではの”責任を取りたくない個々人”問題も浮上してくることだろうし。それより、聞こえるか聞こえないかの小さい声が寄り集まった力の方が、こういう悲劇には強いと思えるのです。責任の在り処をいかにうやむやにするか、ってことにかなりの情熱を持っていかれた感があるこのジェノサイド。やるかたない気持ちの中、ネットワークのあり方をつらつら考えていた次第です。
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「政府とはつまりお医者さんと同じで、殺す時もある、助けられない時もある、助ける時もある。」
まずジェノサイド、次にその報復。それだけのことなら、国際社会に無視されたのも当然だったろう。
しかし、本当にそんなにも愚かしく単純なものだったのか?
植民地時代以前の不平等、以降の二極化、革命、経済崩壊、政治的混乱、戦争、極端な貧困、無知蒙昧と恐怖、外の世界の無関心。それだけの材料が揃えばジェノサイドはいつ起きてもおかしくなかった。同時に全くおこる必要などないものだった。そしてそれ以降、そのことについて考えることを選んだ人にとっては、世界はそれまでとは異なる場所となった。
ジェノサイド以降、地獄の辺土と化したルワンダの恐怖、不安、同情、憤怒。百万もの死者のかたわらで生きねばならない人々が、いかにしてそうするか。名もなき被害者と名もなき殺人者たちのその後。
これは物語ではなく現実で、戦いは今も続いている。単純に被害者と加害者を分別する事もできない。
たやすくハッピーエンドを迎えることなどできない。 -
ざっくり言って、上巻はそれまでの流れと虐殺の発生まで、下巻はその後、という感じか。
やっぱり翻訳が今一つだったけれど、上巻よりは、背景などややこしい部分が少なかったのでまだ読みやすかった。
結局、ルワンダの人々の不幸は、国際社会から見捨てられた不幸なのだ。隣人同士が政府のプロパガンダによって殺し合い復讐し合い、誰からの助けもろくに得られないまま、またその隣人同士が同じ社会で生きていかなければならないという不幸。
何故、こんな異常な事態が起きてしまったのか放置されているのか。
本当にもう同じ過ちは繰り返されないのだろうか。
虐殺は一応終わったことになっているけれど、彼らの苦しみが終わることは決してない。 -
上巻にて
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ルワンダはかつてベルギーの植民地だったのだけど、
支配者が植民地統治をする上で重要なことは
怒りの矛先が自分達にいかないように
一方の部族を優遇して、もう一方を虐げること
でもツチ族だって、フツ族だってもとからいがみ合ってたんじゃない
だったらとうの昔に決着がついてるはず
他からの不条理な圧力がなければ
その土地に住む人々同士で、ずっと生きてきたんだから
それは起きてしまったルワンダのことだけでなく
今も続いてる民族紛争にもいえることだと思う