- Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
- / ISBN・EAN: 9784874983799
感想・レビュー・書評
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図書館で借りてきた本。
うーん。この本は森達也と斉藤貴男の対談本なのだが、本人たちが満足している割には話している内容はあまり面白くなかった。それよりこの本のタイトルにもなっている「元戦艦武蔵乗組員の『遺書』を読んで考える」なんだけど、遺書じゃないじゃん!渡辺清という元武蔵の乗組員が戦後、あの戦争のこと、天皇のこと、自分が行なってきたこと、日本人のことについて書いたことがあって、それが「底」になって、その上で対談したってことじゃん。
ただ、あまりにもこの渡辺清って人が書いたことが強烈すぎて、正直2人の対談はあんまり印象ないんだよねえ。しかも、この二人は根本的に同じ路線の人なので言い合いにもならないし、まー、言い合いの対談の方が面白いとかそういうことは別にどうでもいいんだけど、なんというか共通認識の確認、みたいな感じであんまり面白くなかったんだよな。
それに「あとがき」で森達也が、この話を持って来たこの本の編集部の人の名前が「かおる」だったんで、美しい女性が編集者だったら、とか、もー、ヘテロバリバリなことを書いてて、それは冗談のつもりだったのかも知れないけど(実際は「むくつけき男」だったそうで)、こういうところにわたしは引っかかるんだよね、、、
いつの映画かは分からないけど「日本鬼子」って映画があって、そこで元日本兵が加害について語っていたらしいんだけど、それがわたしが去年観た「南京、引き裂かれた記憶」に出てくる加害者と態度がほとんど同じだったのでびっくりした。やはり「あれは仕方なかった」と考える加害者しかカメラの前では話せないのか。。
残念なのは、この渡辺清って人は50代でがんで亡くなってしまったこと。もっと生きてこの日本を、あの戦争のことを言い続けて欲しかった、と思う。しかし本人としては早くこの世からいなくなりたいと思っていたに違いないと思うが。。
メモ。
ナチスに逮捕され、収容所から生還した牧師のマルチン・ニーメラーの有名な証言。ボストンのホロコースト慰霊碑に刻まれている言葉。
ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分は社会主義者でなかった。そこでやはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行なわなかった。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった詳細をみるコメント0件をすべて表示