- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784875022473
作品紹介・あらすじ
A・デューラー、G・アルチンボルド、勝川春章、加納光於、河原温、D・マック、A・キーファー、河口龍夫ほか、30余作品の図版を収録。
感想・レビュー・書評
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本作は聖書、デューラー、アルチンボルド、朝鮮の文房図、江戸の絵巻物に加え、加納光於、河原温、アンゼルム・キーファー、河口龍夫などの現代作家の作品などを通した「本の美術誌」となっている。
本書の第一に特筆すべき点は、目下電子書籍関連の文脈において巷で増殖中の「書物論」とはいささか異なったアプローチを取っていることであるが、これは「本のメタファー」・「本のシンボル」への問いということにある。
聖書、数々の西洋絵画、平安・江戸の絵巻・絵本、果ては李朝時代の文房図など、時空間を自由に横断して描かれる「書物の世界」には、非常に想像力を掻き立てられるし、後半以降展開される、現代美術作家による書物に対する省察的な取り組みへの考察はさらに興味深い。
これは「本とは何か」という書物の存在論への問い、書物の根源を鋭く照射しようという試みであるが、書物の持つ奥深い一面を改めて認識させるものとなっている。
つまり、書物というメディアが、我々人類の歴史においてどのように認識されてきたのか、書物が我々の世界認識においてどのような象徴的意味をもって立ち現れて来たのかというメタレベルへ問いかけである。
繰り返しになるが、電子書籍時代の到来(?!)を受け、産業的書物論、社会史・文化史的書物論、文明史的書物論、メディア論的書物論など「書物論」の百花繚乱という感のする昨今。本書のような「本のメタファー」への問いというアプローチは今もっても極めて魅力的である。
評者の驚きとしては、まず本書が出版されたのは九〇年代半ばであるが、すでにこれほど書物自体を直接に主題として取り扱った現代美術作品が蓄積されてきていたという事実に眼を開かされた。現在であれば、一層先鋭なアクチュアリティーをもった作品が世界中に存在するはずであるし、今後とも更に掘り下げて取り組まれるべきだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
書籍にも進むデジタル化。
その一番の課題は、電気がないと何もできないことだと思う。
今でも人間は…少なくともこの日本の人間は、電気がないとほとんどなにもできない。
電源を確保していないと心配で仕方がないというのでは、いろいろと不便だと思う。
デジタル書籍。
私はそれについて、肯定的でも否定的でもないが、やはり、
電気がないと読めないという点では、紙の書籍に比べ、気楽さが足りないと思う。
………
ボルヘスにとって、図書館は『バベルの図書館』に書かれたように、無限で無窮の空間である。
その存在は、下は底なしの淵に沈み、上は遥かな高みへと昇っている。
本を読まない人たちにとっては、図書館はただの建物で本はただの紙の連なりかもしれない。
しかし、本の世界をホメーロスのオデュッセイヤのようにさまよい歩いてきたボルヘスにとって、
本や図書館は人の精気を吸いとり、それでいて夢や記憶や想像力を
ひそやかに宇宙に放出している生命体でもある。
………
「思う」3連発。
そして、その内容がこの本の内容とホントに関連があるかというと…ちょっと微妙。
まあ、いつものことですが。 -
面白かったけど、期待と違って(何を期待してたんだか)真面目な本。
美術における、本の意味、役割について語られた本。
やっぱ、アルチンボルトはステキだよなぁ。
ヴァニタスについては、もうちょい読みたかったかなぁ。
魂が打ち震えたエピソードを一つ。
古代、まだパピルスの時代は本は巻物の体裁を取っていた。
そのため、内容を確認するのが面倒なので、ティトゥリと呼ばれる題名を書いた札が付けられていたそうだ。
そんな状況で、ローマの哲学者セネカは、
人間は読みもしない書物を本棚に詰め込み、
巻物の装丁とティトゥリだけを見て悦にひたっている、と皮肉ったそうだ。
書痴ってのは、2000年前から変わらねぇんだな(笑)