サンカの歴史

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  • Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784878935695

感想・レビュー・書評

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  • 本書の内容以前に、作者が紡ぐ文体はプロとして文章を生業としているものの文章ではない。
    とても日本語として読みづらく、日本語を母国語としていない国の翻訳者が日本語に本屋したかのような文章である。
    お金を払って、こんなに読みづらい文章を目にしたのは初めてだ。

  • 県立図書館。

  • サンカの歴史を書くことはタブーだった。
    すべてのサンカはいじめの積み重ねの歴史だった。
    桃源郷のごとくすみついたのが、同じ発音である藤原京。
    散家、山家、参河はサンカ。
    サンカ信仰といえば、天神信仰と位パンでは思われているが、四国や九州のサンカの中には伊勢信心が多く、関東の日蔭にもかなりいた。

  • 今を去ること23年前の1987年4月28日、72歳で没した八切止夫は歴史小説家、もしくは「八切史観」とも呼ばれる独自の解釈の歴史認識を作り出した人。

    この本は、彼の主著とはいえないかもしれませんが、充分に歴史的に価値のある一冊として今でも読み継がれているそうです。

    サンカとは、一説には縄文人の末裔だともささやかれていますが、生活基盤を主に山間部に持ち、川魚を捕ったり竹細工で生計を営んで、地元の戸籍のある人たちとは生活習慣や信仰・生き方までまるで違う異民族のような体制外の人たちで、「山窩」という呼び方や文字をあてがったのは、明治維新のあとの国家権力=警察であって、元々は「散家」や「山稼」や「山家」などと表記したり、それからなんといっても各地でその呼び方が、「箕作」「箕直し」「おげ」「てんばもん」「やまもん」「かわらこじき」「のあい」「ぽん」などと異なっていたといいます。

    要するに、何百年ものあいだ定住せず、どこの組織にも属さず世間からは得体の知れない者として生きてきた人たちを、統治する明治政府にとって目障りだということで、それと富国強兵策による徴兵のためにも、住民登録させようとやっきになって政治的に乗り出してきたという訳です。

    そもそも、民俗学の首領・柳田國男やサンカ研究の第一人者と目される三角寛でさえ、最初にサンカのことを知ったのは警察からというのですから、学問の研究が民衆の中に入り込んだフィードワークをいかにおろそかにしていたか解るというものです。

    彼らとの出会いは、五木寛之の『風の王国』(1985年)を読んだときにがぜん興味を持った漂泊民=サンカについてどんどん深みにはまっていった高2の頃なのか、古い雑誌を集めていたときに手に入れた『マージュナル』誌の第一号(1988年)の「サンカ[三角寛]特集」でサンカのオルガナイザーたる三角寛に遭遇したときからなのか、それとも、もっと純粋に民俗学的な地平で、柳田國男の『イタカとサンカ』(1911年)や谷川健一の『サンカとマタギ』(1989年)を読んだからなのか、それがいつどこで誰だったかということは、もうほとんどはっきりしません。

    あっ、それとも、『孤島の野犬』や『マヤの一生』の椋鳩十の童話が好きだったからその延長で『山窩物語』(椋鳩十の本2・3)も読んだかも知れません。なんと児童文学の中でサンカを描いた人がいたのですから驚きです。

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著者プロフィール

歴史小説家。1914‐1987年。名古屋市生まれ。1939年頃から「新青年」などに冒険小説や推理小説を書き始める。1964年「寸法武者」が第3回小説現代新人賞を受賞。1960年代後半から、歴史小説家として本格的な文筆生活に入る。以後、「八切史観」とよばれる独自の歴史観に基づく膨大な作品を発表。本書の「織田信長を殺したのは光秀ではない」をはじめ、「上杉謙信は女だった」「徳川家康は二人いた」など、従来の「歴史学」では考え得ない大胆な異説の数々は多くの読者を驚かせた。

「2022年 『異端戦国史の最高傑作・完全復刻! 信長殺し、光秀ではない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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