ペブル選書 9

  • 増進会出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879154354

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  • 学生時代にフランスへ留学した著者は、フランス人に何か質問されるとほとんど機械的に「はい」(oui)と答えていたといいます。これについて著者は、なぜ「いいえ」ではなく「はい」と答えたのかというと、「いいえ」と答えて相手に「なぜだ」と聞き返されるのが面倒だという気持ちが働いたためではなかったかと述べています。一方フランス人のアランは、「考えるとは、「いいえ」(non)と言うことだ」ということばを残しています。こうした体験をふり返って著者は、「いいえ」ではなく「はい」とこたえたみずからの精神を規定しているのは、いったい何なのだろうかと問いかけます。

    本書では、日本思想の始まりは聖徳太子だとされています。聖徳太子は、宇宙の根源精神である「法身」を、動的な、生き生きとした「はたらき」だと考えました。これは、インドや中国には見られない、日本独特の発想であり、このことを丸山真男は「次々に成り行く勢い」と表現しました。「世間虚仮」という仏教の立場からは、現実の国家や社会を導く指針を提供してはくれません。太子は、仏教の中心に「行」をとらえ、身体を動かす「はたらき」において自分と世界が一つになると考えることで、仏教が社会的方面へと展開していくことを可能にしました。

    また、太子の制定した「十七条の憲法」では、人間の根本の問題には仏教、行政官吏の職務上の道徳にかんする問題には儒教、という使い分けがなされています。ここには、矛盾を矛盾としない、よくいえば融通無碍な、悪くいえば思想的対決を回避するような、日本思想史上に繰り返し見られる特徴が現われていると著者は述べています。

    本書では、これらの特徴が、日本における仏教の受容、江戸時代における朱子学、陽明学、国学の交流、明治以降の西洋文明の受容など、日本思想史に一貫して見られることがわかりやすく説明されています。

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