大日本帝国の国家戦略

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  • 彩図社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883929290

感想・レビュー・書評

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  • 大日本帝国をプロジェクトとして捉え、プロジェクトの目標が西欧列強から占領されないこと。奇跡的な富国強兵策によってそれは成った。

    この間の国作りプロジェクトは驚嘆すべき速さと充実度。外交による領土獲得や軍事作戦も速戦即決、科学力も凄かった。

    太平洋戦争もボコスカに言われるが、内実はそこまで酷いわけではなかったが、責任の所在不明な権力構造、情報戦、外交戦の能力の欠如のほか、国民自体が戦争を望んでいたという空気感を指摘している。

  • 「大日本帝国」をひとつの壮大な国家戦略と捉え、その意味と成果を考察した良書。
    弱肉強食の植民地時代において、西欧列強の侵略を防ぐために、敢えて開国して列強に学び、しかし結果として帝国主義の道を進むこととなった経緯が良くわかる。

  • 文字通り、大日本の国家戦略について書いた一冊。

    太平洋戦争に負けたという一点において、とかく大日本帝国は批判的に見られがちだが、決してそんなことはなく、短期間で富国強兵を実現し、かつ当時の西欧諸国にも引けを取らない素晴らしい国であるということを、改めて認識した。

  • 歴史
    軍事

  • 一番驚いたのは国民の戦争に対する考え方(史上空前の好景気と経済成長)についてです。教科書にこんなこと書かれていないし、この本を読むまでまったく知りませんでした。この本を読んだ後、機会があったので山本五十六の映画を見たのですがびっくり。国民が戦争を望んでいる表現が多々ありました。きっとこの本を読んでいなければ気に留めなかったように思います。

  • 明治から第二次大戦までの日本の良かった点、間違った点を分かりやすく解説してあります。残念なのは5版まで出しているのに誤字が多い所です。

  • 好著。大日本帝國の歴史の優れた部分、大東亞戰爭に於て敗北した原因など、當時の日本の置かれた状況に鑑みながら、特定の立場に偏ること無く書かれてゐる。近現代史の副讀本として推薦したい。

  • 太平洋戦争は軍部が独走したとか、戦争を避けるべきだった、実力に差がありすぎたのに無謀な戦いだった等と言われていますが、この本を読んで私の思い込みが少し変わりました。

    戦争の前半では、当時世界最強と見做されていた英国を破って、最新鋭の戦艦や空母を壊滅させています。また、軍事技術や自動車等の生産も、アメリカに次いで世界で2位という実績を持っていたようですね。最も印象的だったのが、実は国民は戦争(及びそれによる好景気)を支持していたということでした。

    戦争が終わってはや60年が経過して、身近に戦争を語ってくれる人がいなくなりましたが、戦争に関する一種のタブーのようなものがなくなって、この本の著者である武田氏のような人が、日本の当時の様子を伝えられる時代になったのでしょう。

    武田氏が本の中で何度も強調しているように、日本のとった行動がベストであったとは私も思いませんが、過去の行動を議論するときには、現代の常識ではなく、当時の社会状況を理解してから行うべきだと思いました。

    以下は気になったポイントです

    ・アヘン戦争とは、清への貿易赤字に苦しんでいた英国が、その赤字解消のためにアヘンを密輸、それを清が禁止すると武力で攻め込んだ戦争である(p15)

    ・日本経済を劇的に変えた改革が「地租改正」、それまでは取れ高に応じて決めていたが、土地に応じて税金を納めさせた、これにより安定した税収を得られるようになった、土地調査により、3222→4684万石あったことが判明した、商業地にも地租をかけた(p23、24)

    ・明治政府が自前で鉄道を作ったことは、外国からの侵攻を防ぐという意味で大きなこと、兵力x輸送力が軍事力である(p42)

    ・通信網を自前で作ることは、鉄道同様に重要なこと、外国に通信設備を握られることは、自国の神経を他国に支配されるようなもの(p49)

    ・維新後の教育制度は、四民平等により身分制度がなくなり身分を越えて教育を受けれるようになった、これは世界に先駆けている(p56)

    ・タイは独立を守ったが、19世紀までの領土と比較して 97→51万km2まで減少した(p59)

    ・欧米の兵を一旦撃退することができたアジア国は、実は薩摩、長州だけでない。韓国やアフガニスタンも撃退している、しかしその後に欧米列強と関係を築く努力をしなかったので、結果として帝国主義の餌食となった(p62)

    ・1876年(明治9)に新政府は小笠原が日本領であることを世界に通知し認められた、これにより日本はイギリス(1827年に領有宣言をした)から領土を分捕ったことになった、南鳥島、沖ノ鳥島が認められたのも小笠原諸島の存在が大きい(p72、73)

    ・戦前は所得税を払ったのは高額納税者のみ、一般人の賃金に税金が課せられるようになったのは、大戦直前の臨時特別税(源泉徴収)から(p97)

    ・日清戦争前に、日本は清に2度敗北している、1882年の壬午事変と、甲申事変(1884)(p111)

    ・清は定遠、鎮遠の2つの戦艦をふくむ4隻の軍艦を、1886年に補修という名目で長崎に入港し、威容を見せつける砲艦外交をしている(p113)

    ・1888年に鎮台制が廃止されて師団という組織になった、鎮台は特定の地域の鎮圧を主な目的にしているが、師団は活動範囲を決めない独立した軍隊である(p115)

    ・日露戦争の奉天会戦は、日本24万、ロシア36万が参加した、死傷者は日本が7万、ロシア9万人、これは日本の勝利と言える(p124)

    ・日本海海戦の勝利の陰の主役は36式無線機(p127)

    ・ゼロ戦の燃費はもともと良かったが、燃料タンク満タンにして2222キロ、これに330リットルの増槽をつければ 3502キロで当時の欧米の戦闘機の倍以上の航続距離(p144)

    ・中島飛行機は、直接アメリカ本土を爆撃するという、超長距離爆撃機「富嶽」を開発していた、B29よりもはるかに大きい、爆弾積載量はB29の2倍以上(p152)

    ・硫黄島の戦いにおいて、ミサイル兵器である噴進砲が 1945.2-3において配備された、これによりアメリカの上陸が延期となった(p156)

    ・酸素魚雷は、イギリスやアメリカの魚雷よりも、速度・射程距離・炸薬量すべてで優れていた(p159)

    ・殺人光線の研究は続けられ、マイクロ波により低空飛行をするB29のエンジンをストップさせる実験も計画されていたが終戦となった、このマグネトロン技術を応用したのが電子レンジである(p173)

    ・1942.3.11にマッカーサーはフィリピンからオーストラリアに移動したので、パターン半島の主力部隊が降伏、フィリピン全土のアメリカ軍が全面降伏した、これは史上初(p185)

    ・作戦行動中のイギリスの戦艦(プリンスオブ・ウェールズ)が、航空機の攻撃によって沈められたのは1941.12が初めて、セイロン沖海戦では空母「ハーミーズ」も轟沈(p191,194)

    ・アメリカ軍を最初に本格的に苦しめたのは、ペリリュー島の戦い、これは硫黄島の戦いの前に行われている(p202)

    ・小野田少尉は、陸軍中野学校出身の陸軍工作員、なので降伏後30年もルバング島に潜伏した、そのように命令を受けていたから、帰国したのは、当時の上官だった少佐により任務解除が行われたから(p212)

    ・日本が開戦前から保有していた領土を奪われたのは、1944.1のクェゼリン島の陥落から、それまでは英米の領土を奪っていた(p228)

    2013年6月1日作成

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著者プロフィール

1967年生まれ、福岡県出身。出版社勤務などを経て、フリーライターとなる。歴史の秘密、経済の裏側を主なテーマとして執筆している。主な著書に『ナチスの発明』『戦前の日本』『大日本帝国の真実』『大日本帝国の発明』『福沢諭吉が見た150年前の世界』(ともに彩図社)、『ヒトラーの経済政策』『大日本帝国の経済戦略』(ともに祥伝社)等がある。

「2022年 『吉田松陰に学ぶ最強のリーダーシップ論【超訳】留魂録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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