- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784884185435
感想・レビュー・書評
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出不精の岸本さんが行きたい場所へ行ったり旅した時の見聞録。通っていた学校や住んでた街など思い出の場所から岸本さんの意外な姿を知れて楽しかった。今はもう無い場所・いない人の話も多く、ノスタルジーと喪失感とで日曜夕方の気分に合う本。
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郷土詩人になった身内の作品を、ふたつみっつ挙げる。
笑ってはいけないと思いながら、笑ってしまう。
漂ってくる滑稽さにあらがえない。
詩人という存在の「何者か感」と「何者でもない感」。
その際どい線引き。
越えてしまった読み手には罪悪感。
書き手は今日もどこかに線引きを見つけて踏み越える。 -
超がつくほどの、鬼がつくほどの出不精だと言う著者が、行った場所。
近くで思い出の詰まったところであったり、旅…
のような遠いところだったり。
全22篇にぎっしりと濃い思いが詰まっている。
確かに随分と前に行ったところだと、その時の自分の気持ちや想いまでもが、蘇ってくる。
特に子どもの頃だとその想いは、強く残っている。
夏のころの陽炎や蝉の声、砂埃、剥がれたトタン。
まるでタイムスリップしたように。
同世代だからこそ、共感できる思いもあった。
今日からGWスタート、合間に勤務日も2日あるがちょっと出かけてみたい気分だ。
とりあえずは、近くで。
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2013年10月~2020年10月までの、1年に3回発行される雑誌「MONKEY」に連載した22編のエッセイです。
まだ続いていますが、このペースだと次回単行本化されるのは6年後でしょうか?
昔の住居や学校や職場など久しぶりに行った場所、いつか行きたいと思っていて初めて行った場所、過去に行ったことがある場所、などについて綴っています。
大連みたいだ、と、大連に行ったことがないのに思ったり、
行ったことがないのに、スコットランドみたいだと思ったり、
伊豆シャボテン公園は、行ったことがないバナナワニ園とごっちゃになる。
など、自分勝手に頭の中で作り上げたイメージと実際に経験した現実の記憶とが入り混じるのが岸本さんらしいところ。
これまでのエッセイのように妄想が異次元の世界までぶっ飛んでいくことはないが、我々凡人が生きている現実世界を少しだけ飛び出している岸本ワールドは楽しめました。
海芝浦、とか、YRP野比、とか、世田谷代田、などには思わず行ってみたくなりました。
世間をボケーっと眺めている自分と違って、いろんなモノが見えてしまう岸本さんだからでしょうか、
「何でもかんでも明るく暴き立てる昼間の光よりも、いろんなことを飲み込んで見えなくしてくれる夜の暗さの方が優しく感じられる。」
という言葉が印象に残りました。 -
岸本さんのエッセイという事で、『気になる部分』や『なんらかの事情』のような感じを期待して読みましたが、おや?これは随分大人しめな普通のエッセイ⁇
と、思いながら読み進めると、やはりそこはキシモトワールド、途中からエッセイなのか幻想小説なのか、境目がわからなくなってきます。
岸本さんご本人撮影の写真も良かった。
『海芝浦』いつか行ってみたいです。 -
岸本さんはずるい。
“私はこの連載のために何か月に一度いろいろなところに出かけていき、見たまま聞いたままを書いた”と述べながら、描かれたものたちは“まま”からどこまでもずれていく。
タイトルからして、“死ぬまでに行きたい”とご本人が言ったはずの海がいったいどこなのか、そもそも言った記憶も覚えもない。
ここにあるのはスマホの地図では辿り着けない場所ばかりだ。
そして岸本さんは信頼できる。
足元に埋もれた街並みに、行き止まりの路地の消えた先の薄暗がりに、鼻腔をくすぐる空気に混じった何かに彼女が感じ取る記憶の風景は、確かな気配を持って胸に満ちてくる。
いつしか、僕がしまい込んまま忘れてしまった記憶を追いかけている気がしてくる。
僕にも死ぬまでに行きたかったどこかがあったはずで、僕はそこに辿り着けたのだろうか。 -
超がつくほどの出不精だという著者の旅エッセイです。
いつか暮らした街や通った街、行ってみたいと思っていた場所。
そんなところを訪れて綴られた文章に、著者自身がスマホで撮影した写真が添えられています。
岸本さんの目が、耳がキャッチするあれこれが、とても好きだなぁと思いました。
そしてその場所で思い出したことや、考えたことを、絶妙な温度感で伝えてくれる文章が好きだなぁと思いました。
ふとした瞬間に、岸本さんと五感がシンクロするようで。
結果、読了後に岸本さんのことがますます好きになったのでした。
ぐっと涙をこらえたのは「地表上のどこか一点」。
姿が見えなくなってしまった猫のMの死に場所に思いを馳せる1篇です。
これまで一緒に暮らした猫たちは最期を看取ることができましたが、ある日ふらりと姿を消してしまったら、きっと私も岸本さんみたいに気が気でなくて、猫の気持ちになって近所を徘徊するのではないかと思います。 -
岸本佐知子の『ねにもつタイプ』シリーズなどのエッセイは、予約して買うほど好きである。
この新刊エッセイは、『ねにもつタイプ』のような、奇天烈な笑いと妄想パワーで読ませるいつもの「キシモト・ワールド」とは、一味違う。
もっとリリカルで切ない、〝エッセイ然としたエッセイ〟なのだ。
文芸誌『MONKEY』(年3回刊)連載の同名エッセイの、過去7年間/22回分を収録。
毎回、これまでの半生から思い出の地を選び、時にはそこを再訪したうえで、その思い出を綴っている。
通っていた幼稚園・中学校・大学、勤めていた会社(名前は本書には出てこないが、サントリー)、かつて住んでいた街、旅した地など……。
(ちなみにカバーの写真は、1980年代後半に上海を旅したときに買ったという、「変な顔をした猫の形の陶器の枕」)
ただし、キシモトのことだから、凡庸な〝思い出エッセイ〟にはなっていない。一編一編にひねりがあるし、センスのよいユーモアがスパイスになっている。
メモしておきたいような名文、名フレーズも随所にある。たとえば――。
《事務仕事が絶望的に向いていなかった私は、穴だらけになった自尊心をパテで埋めるように、会社帰りにここで服を買った。カードにサインする一瞬だけ自尊心が蘇り、五分後には色あせて自己嫌悪に変わったが、それでも買うのをやめられなかった。》9ページ
《この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。》88ページ
また、最近亡くなったらしいお父さんの思い出を綴った一編や、消えてしまった愛猫の思い出を綴った一編は、それぞれ味わい深い名文だ。
《父のことで思い出すのは、脈絡のない断片ばかりだ。(中略)溺愛していた犬が死んでから、毎日犬の遺影に向かって般若心経を唱えていたこと。私が急須を投げつけて、シャツの胸が茶葉まみれになったこと。私が行き詰まっていたとき、なぜだか電話をかけてきて「そんなにいつもいつもうまくいかなくたっていいじゃないか」と言ったこと。》127ページ
《眠る前に、Mの最後はどんなだったのだろうとよく考えた。自分が死ぬことを知って、それで猫らしく死に場所を見つけに行ったのだろうか。その場所はどこだったのだろう。あたたかな濡れない場所だっただろうか。どこにあるかわからない、でも地表上にたしかにあるその一点のことを思った。》154ページ -
『死ぬまでに行きたい海』読了。
ジワジワくる面白さ。この方の否定的要素をユーモアにおもしろおかしく表現する文体が本当に好き。何度か笑い死にそうになった。でもちょっと切ない本音みたいなものもグッとくる。エッセイですが、とてもとてもとても面白かったです。
気分が沈みがちだったこの頃でしたが、そんな私を掬いあげるような内容でした。なんか大変だったり辛かったりしてもいつか笑い話になっちゃうんだろうな〜と思いながら。この方のエッセイもそんな感じだったので面白かったです笑
2023.3.9(1回目)
こんにちは☆
海が大好きで、旅話もすきなので、こちらも読みたい本に登録します。
日曜夕方の気分ってなんだかおセンチに...
こんにちは☆
海が大好きで、旅話もすきなので、こちらも読みたい本に登録します。
日曜夕方の気分ってなんだかおセンチになる感じでしょうか(^^♪
サザエさん症候群みたいな。
そうそう、サザエさん症候群ですね。
私自身がそれだったのかも‥。
でもこれまで読んだ岸本...
そうそう、サザエさん症候群ですね。
私自身がそれだったのかも‥。
でもこれまで読んだ岸本さんのクスッと笑える本と比べて、ちょっと寂しさを感じるトーン多めの内容でしたよ。
しみじみと人生を振り返る旅かな?あ、でも岸本さんらしくいい感じです。