- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784885880957
作品紹介・あらすじ
ミラノ地下鉄の工事現場で見つかった地獄への扉。地獄界の調査に訪れたジャーナリストが見たものは、一見すると現実のミラノとなんら変わらないような町だったが……。美しくサディスティックな女悪魔が案内役をつとめ、ジャーナリストでもあるブッツァーティ自身が語り手兼主人公となる「現代の地獄への旅」、神々しい静寂と詩情に満ちた夜の庭でくり広げられる生き物たちの死の狂宴「甘美な夜」、小悪魔的な若い娘への愛の虜になった中年男の哀しく恐ろしい運命を描いた「キルケー」など、日常世界の裂け目から立ち現れる幻想領域へ読者をいざなう15篇。
感想・レビュー・書評
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現実と幻想の世界を上手く調和した、彼独特の世界観は今作でも健在です。今作では特に、彼の体験を元にしたような作品が多くみられ、ブッツァーティたる人間を少し知れたような気がします。
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ブッツァーティの中期〜後期作品を収録した本です。全3巻の2巻目となりますがこちらも素晴らしい出来。「キルケー」と「難問」の2作が強く印象に残りました。恐怖と幻想、皮肉、妄執がテーマの作品を読みたい人はぜひ。巻末の解説も丁寧です。
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「あんたのような人間は、子どものときから自分のうちに地獄を抱え込んでいるの・・・・・・」
前作よりも、より厭世的でユーモラスで内省的な短篇が集められているよう。にんげんの愚かさと愛おしさがちかちかと 夜 のしじまで瞬いた。世界は相も変わらずすこしづつ、壊れ、狂っていっている。というより、そのことが可視化され、われわれが認知できるようになっただけなのだろうけれど。
「甘美な夜」がすきだった。さいきん蛙がいろんな生き物を呑み込んでゆく動画を狂ったようにみているじぶんを想った。「自然の魔力」はわたしのおなじような夢をみたことがあった。ただそこに悔恨も愛もなく、英雄を夢みたからっぽの人間が、愉しそうに笑っていた。「空き缶娘」でGianni Mecciaの ll barattoloをかけたらいっきにイタリアの愛の情熱が吹きつけてきて、空き缶のころがるさびしい音が、空虚のなかで反響している。「ヴェネツィア・ビエンナーレの夜の戦い」は傑作。
さて、きょうもこの薄汚れた 地獄 をなんとか生きぬきましょ。まだどこかに遺されているはずの、清らかな光の射す庭 をさがしながら。
「相手は誰で、自分をひどく扱うのだとか、彼女なしでは生きていけないとか、そんな無意味でうんざりさせるような事柄を。それは、この浮き世出よく耳にる、どれも似たりよったりの、数多くの憂鬱な話のひとつだった。」
「もしかすると私は、このろくでもない性格のせいで、人気のない古ぼけた廊下の奥で、犬のようにひとりでしぬかもしれない。それでもその夜、誰かが庭に生えてきた瘤につまずくだろう。」
「それでも、町の人と接触を持つと、たとえば、ちょっとものをたずねるとか、タバコを買ったり、コーヒーを注文したりするときに、二言、三言言葉を交わすだけで、すぐに、無関心さやよそよそしさ、重苦しく取りつく島もない冷淡さに気づくのだ。」
「だが、誰も自由にはなれない。誰も生まれたときから閉じ込められている鉄の家から、人生という輝かしくも愚かしい箱の中から出ることはできなかった。」
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死、愛、人間の醜い本性がえがかれてる話が多かったように思う。
『難問』が一番好き。
『空き缶娘』、『庭の瘤』、『二人の運転手』も好きだなぁ。 -
ブッツァーティの短編集。こちらは面白く読んだ。表題の現代の地獄への旅のタイトル通り、現代の地獄へとつながる扉を開けるような作品集。
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今回は短編だけでなく中編も入っていて読み応えあり。解説を読むと、成程なと頷けるコトや作者自身の作風の変化なんかも分かってまた面白かったです。
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タイトルのとおり短篇集。短い時間で読めてそれでいて面白い。オチ?も好きなことが多い。星新一が好きだったので、そのあたりも魅力的。
「現代の地獄への旅」は全く今の世界と同じ世界が地獄と呼ばれ、その地獄に迷い込む話。自分の今いる場所が地獄のように錯覚してしまった。 -
『惨めな死へと向かう最後の命の脈動の中で、カタツムリは、憎らしい幼虫がタランチュラコモリグモによって銛を打ちこまれ、一瞬で八つ裂きにされたのを知ることができて、わずかな慰めを得た』―『甘美な夜』
「タタール人の砂漠」の虚無的な魅力、それに惹かれて時々手を伸ばしてしまうディーノ・ブッツァーティ。長篇のシリアスさに比べて短篇はもっと諧謔的。「髪を見た犬」を読んだ時にも書いているが、星新一を想起せずにはいられない。
しかしその諧謔趣味の背後にはジャーナリストとしての冷徹な目による世の中の観察がある。有り得そうもないことを描きながら、その実言わんとしていることはやはりどこまでもシリアス。そのことをより直截に判り易く書いたのが表題作である「現代の地獄への旅」ということになる。尤も地獄の扉からあちら側を覗いてみた者が描写する世界を聞いて、作家が何処へ向かおうとしているかにピンと来ないものはいないだろう。その意味では結末はやや蛇足的。もちろんブッツァーティが言おうとしたことは文字通りの意味での「現代」においても普遍的な事実であると言えるとは思うけれど。 -
「仮面ライダージオウ」で説明すると、ジオウがビルドのライドウォッチを装着することにより、仮面ライダービルドの能力が上乗せされたジオウビルドアーマーという設定で戦うことが可能となるのだが、この本の場合は、一度は死んだのだが自分が生まれ育った寺を守るために、仮面ライダーブッツァーティとして命を与えられたのち、グラビンスキのパーカーを装着した「ディーノグラビンスキダマシイ」となって戦う少年の物語であります。全部嘘です。今までは「ひい、こっから入ってくんの禁止しだから!」とガードが硬かった印象でした。今回は弛い。
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著者:Dino Buzzati
訳者:長野徹
発行:2018年12月13日
定価:2200円(税抜き)
仕様:四六判変形/並製/251頁
ISBN:978-4-88588-095-7
待望の未邦訳短編集 第二弾
中・後期の15作品を収録
ミラノ地下鉄の工事現場で見つかった地獄への扉。地獄界の調査に訪れたジャーナリストが見たものは、一見すると現実のミラノとなんら変わらないような町だったが……。美しくサディスティックな女悪魔が案内役をつとめ、ジャーナリストでもあるブッツァ-ティ自身が語り手兼主人公となる「現代の地獄への旅」、神々しい静寂と詩情に満ちた夜の庭でくり広げられる生き物たちの死の狂宴「甘美な夜」、小悪魔的な若い娘への愛の虜になった中年男の哀しく恐ろしい運命を描いた「キルケー」など、日常世界の裂け目から立ち現れる幻想領域へ読者をいざなう15篇。
後期の作品には、それまでになかった新しいテーマや傾向も見出される。そのひとつが、恋愛、より正確に言えば、愛の妄執をテーマにした作品群であるが、そこには作者の実体験が色濃く反映している。(中略)恋愛体験以外にも、彼の人生にとってはかりしれないほど大きな、そしてかけがえのない存在であった母親や、あるいは人生の苦楽を共にした友人や同僚たちとの死別といった実人生に関わる要素が作品に取り上げられるようになるのも特徴である。そして、そうした傾向と並行しながら、作者自身が語り手や主人公として作中に登場したり、物語の背後に老いや死の意識が顔をのぞかせたりするようになってゆく。——「訳者あとがき」より
〈http://tousen.co.jp/993〉
【収録作品】
卵
甘美な夜
目には目を
十八番ホール
自然の魔力
老人狩り
キルケー
難問
公園での自殺
ヴェネツィア・ビエンナーレの夜の戦い
空き缶娘
庭の瘤
神出鬼没
二人の運転手
現代の地獄への旅