- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784886790132
感想・レビュー・書評
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「<意識>とは何だろうか 下條信輔」の中からの引用
■[記憶]の章で記述されている下記の考察は自分の直観とも合致しており、考えを整理することができた。
神経もうの電気的シミュレーションも含め、具体化しているほとんどすべての技術において、記憶される情報は、計算機の外部の、計算を行う装置とはまったく異なる装置のなかに蓄えられることが多い。その理由は、(この書籍で神経の結合強度を訓練によって可変させることができる)ムネモトリクス線もエルゴトリクス線も商業的利用が不可能だからである。これらのモデルや他の多くのモデルはすべて、「連想」が環境についての情報を脳に取り込む最も重要な原理であるという考え方に基づいている。事物が同時に生起したとき、その生起を知らせる各ニューロンも何らかの形で脳内で連結しているだろうと考えるわけである。
ただし、個々のニューロンの働きについて生じてくる情報の複雑さを考えると、その仮定は恐らく単純すぎる。
■著者は複雑な情報を脳がどのように記憶しているのかについて、下記の考察を行っている。
ネットワークがどんな次元数の対称性をもっていたとしても、なおかつそのネットワークは、私たちを取り囲む三次元空間や絵画的な二次元空間にもうまく収められるということである。ある神経組織を精密に分析することによって、外見にはまったく現れていないような結合性、たとえば通常の三次元体に押し込められた真の四次元的ネットワークが見いだされるということは考えられる。
実際にあるのは、二次元以上の感覚的多様体が、私たちの知る限り本質的に二次元である通常の皮質におけるような神経網に投影されるというケースである。視覚に関する有名な実例がある。それぞれの眼は視覚環境の二次元の像をうけとっているにもかかわらず、ふたつの像の結合によって三次元的な視覚空間に関する情報が与えられる。
※ひとつ保留事項を述べておく、連続的な軌跡の発見が感覚空間の秩序的表象の目的のひとつだとすれば、その投影の際に一次元が失われることはそんなに問題ではない。もとの空間での連続的軌跡の像は、投影においても常に連続的な線となり、非連続的な線もたいていの場合非連続的な投影を生ずるからである。
□P191
カニッサは、提示される図中にはまったく含まれていない線が見えてしまうような例(錯視)を示した(図85)。そのような線は、どの観察者においてもほぼ同じ形で、一部は経験に、一部は生得の気候に由来する何らかの能動的活動によって構成されると思われる。このことからわかるのは、知覚過程と認識過程の間に明確な境界線を引くのはどこか人工的で不必要なことだということである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
構成論的なロボット設計の原点!この本は,素晴らしい!どうしてここまで,シンプルなモデルをベースに,ここまでわくわくする議論を繰り広げられるんだろう・・・.