あなたの習った日本史はもう古い!

著者 :
  • 並木書房
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本棚登録 : 39
感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784890633128

作品紹介・あらすじ

学校で教わり、受験勉強で暗記した日本史がこの30年で大きく変わっている。昭和世代が習った「歴史」がことごとく覆されている。大人だけが知らない日本史の新常識32!

感想・レビュー・書評

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  • 2016.05.04 「はちま起稿」の「士農工商」は教科書から削除という曲解記事が拡散された。東京書籍小学生版では記述が削除され、山川出版高校生版では、ニュアンスを変え記述が残る。読み比べ検証が必要と痛感。東京書籍は、左寄りと指摘あり(プレジデント)。

  • まあまあかな

  •  平成の日本史教科書と、昭和の日本史教科書を比較し、変更が加わった表記、見直された学説や解釈を解説する本。
     タイトルが煽り系だったので、内容はもっとぺらぺらで、興味本位で本を手に取らせたいタイプの本かと思った。思った以上に情報量がありました。満足。

     聖徳太子の表記が変わったり、人物画像が変わったり、あと、言い回しや表現に気を使っていたり。教科書って、こんなに言い回しとか、言葉の使い方に注意を払ってるものだったのか。当時、あんまり気にしないで読み流していました。
     興味深かったのは、新資料が出てきて内容が一新されるもの以外にも、歴史の解釈が変わるパターンがあるっぽいこと。階級闘争史観とか、戦後の自虐気味な歴史観とか、そういう解釈する側の価値観の変化が影響を与えている(と、著者が主張している)部分は、おもしろかったです。

     日本史以外の教科書は、昭和と平成で、何か変わっているのかな。そういう本があったら、読んでみたいところ。

  • 「神の手」は歴史の大罪だな。
    縄文時代~古墳時代も謎が多いし、肖像画の問題もこれから更に論じられるでしょうね。

  • 数年前に出張で堺市に行った時、丁度時間が少しできたので仁徳天皇稜へ行くことができました。家に帰って興奮して娘たちに話したら、きょとんとした顔。世界一大きい古墳だよと言ったら、「あ~それ、大仙古墳群のことね」と言い返されて、今度は私が「きょとん」としてしまいました。

    あなたの習った日本史はもう古い!という、この本のタイトルを実感した瞬間でした。私が始めて日本史を習ったのは、もう40年ほど前の中学校に遡るのでしょうか、高校の日本史でテスト前に覚える内容量が増えたとしても、主だった事件や名称が変わることはありませんでした。

    しかし現在は異なるのですね。昭和と平成(現在)の教科書を読み比べると、かなり異なっていることがこの本に記されています。これらも数々の歴史研究の成果の賜物のようですが、昭和時代に勉強した私の頭の中もバージョンアップしなければならないようですね。

    以下は気になったポイントです。

    ・8世紀になって律令体制がほぼ整ってくると、東北地方の日本海側に住む人々を「狄(てき)」、太平洋側に暮らす人々を「夷(い)」といい始めた、これは中華思想の影響、北狄・南蛮・東夷・西戒と卑しめる言い方と同じ(p50)

    ・陸奥守は、8世紀には鎮兵を指揮する鎮守府将軍と兼務の官、多賀城は奥羽両国を統括する陸奥出羽守按祭使がおかれたので、出羽国も統括した(p55)

    ・9世紀の中ころには、桓武天皇は「徳政論争」といわれる議論を裁定して、蝦夷への制圧政策を放棄した(p56)

    ・富士川の合戦では平氏軍は敗走するが、これから3年近く都を守り続けていた理由は、平家物語の記述とは異なり、馬を駆けさせながら馬上で矢を射る「馳射(はせゆみ)」の技術は平氏軍のほうが上だったから(p63)

    ・軍隊の構成員の3-4割は乗馬していたが、そのほとんどは弓矢を主武器にしていた、実際は3-4騎がそれぞれに徒歩の護衛をつけてグループでの集団戦闘をおこなっていたのが実態(p78)

    ・当事のキリシタン宣教師たちの本国への通信に、日本人は戦うときには馬からおりる。我々は戦うときに馬に乗る、と書かれている。戦国武士たちは、馬とは移動手段と考えていた(p98)

    ・幕末になって、「庶民は刃渡り2尺以上の刀を差すな」という法令があった、大脇差を帯びて歩く者が多かったから(p106)

    ・実際の江戸時代は身分の流動性も高く、幕府では、御家人へ庶民から、御家人から旗本への登用は珍しくなかった、幕末には株売買により旗本までなれるようになった(p113)

    ・水野忠邦のとった防衛構想の1つとして、印旛沼の掘削工事がある、英国海軍が長江を封鎖したという情報から、江戸湾の封鎖を恐れた(p119)

    ・江戸時代の貨幣の換算率は、1両=60匆=4貫文(4000文)と決められたが実際は相場によって動いていた、19世紀はじめの文化文政のころは、すでに1両=6000文前後になっていたので、1両=20万円程度と考えられる(p134)

    ・戊辰戦争時の旧幕府軍の公称は1.5万人、西洋式訓練を受けた2個大隊のほか、歩兵9個大隊もいたのに対して、新政府軍は、1600人程度(薩摩)と1000人(長州)程度であった(p154)

    ・兵力に勝り、戦意も旺盛、装備も優秀だった幕府軍が負けた理由は、高級指揮官たちが戦争を知らなかったから(p157)

    ・普仏戦争でプロシアが圧勝しておりドイツ式が良いことがわかっていたが、フランス式を採用したのは、ドイツ語を話せる人材がひどく少なかったから(p164)

    ・歩兵隊大尉の朝廷での官位では、正七位(藩の職では正四等=中隊長、月給20両)、中尉は従七位=小隊長、少尉は正八位、朝廷官位最下級の大初位(だいそい)=伍長の月給は3両(60万円)であった(p165)

    ・ポツダム宣言の第五項は、「吾等の条件は左のごとし」と書かれていて、無条件どころか「条件付」を明示することが書かれている、無条件降伏を迫られているのは、日本国の軍隊のみ(p239)

    2014年2月16日作成

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著者プロフィール

1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。主な著書に『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか』(出窓社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『指揮官は語る』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『あなたの習った日本史はもう古い!』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』(並木書房)がある。

「2020年 『自衛隊警務隊逮捕術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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