- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894348356
感想・レビュー・書評
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『ルーズベルトの責任、日米戦争はなぜ始まったか(上)』
ほぼ日書評 Day305
先日来、関連する書籍を幾つか紹介してきたが、いよいよ本丸である。上巻だけで400頁を越える大著。解説本でも繰り返し述べられていたが、日米戦争終結の僅か3年後に、この本が上梓されたことに改めて驚きを感ずる。また、日本では長らく「無視」されてきた同書を2011年になって初めて翻訳刊行した藤原書店の決断にも強い意思を感じる。
さて、本書を通じて語られるテーマは、原題にもなっているAppearance(見た目)とReality(真実)の対比ないしは二面性である。
たとえば、ルーズベルト大統領が "1940年の選挙戦における民主党綱領(=公約)で「我々は外国の戦争に参加することは無い…攻撃を受けた場合を除いて」としていたが、翌年5月には「わが国の安全保障を脅かすようなどこかの基地のーそれが北の基地であれ、南の基地であれ、そのー制圧に始まる」可能性もあると語った" ことは確かに多様な意味を含み得る。米国本土でなくても「ちょっかい」を出してきたら容赦しないという恫喝にも読めるし、参戦の免罪符として基地攻撃を誘導すべく具体的な行動を始める(た)サインとも読めるものだ。
かくして真珠湾攻撃がおこなわれた1941年時点では、直前まで日米間で行われていた和平のための交渉を隠れ蓑に、裏で戦闘準備を進め、卑劣な奇襲攻撃を仕掛けてきた日本という、政府の公式見解(外観=アピアランスと呼ぶ)に目をくらまされたが、僅か2年後の1943年には、真珠湾での大敗をただ見守るしかなかった軍部高官の責任追求等に垣間見られる多くの矛盾から、ことの本質(現実=リアリティと呼ぶ)が明るみに出るに至っていたのだという。
さらに翌1944年には、ワシントンは真珠湾攻撃を少なくとも48時間前には知っていたという告発がなされている。
選挙というきっかけがあったとは言え、まだ対日戦争中に時の政権の責任を問うことができた米国、その一方で、すべからく言論の自由を封じられていた日本、この差を、当時の国力の差から来る余裕と片付けてしまうのは非常に危険と感じる次第だ。
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