境界の町で

著者 :
  • リトル・モア
3.85
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本棚登録 : 163
感想 : 30
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784898153864

作品紹介・あらすじ

2011‐2014福島県浜通り、検問のある町。たしかな描写で、風景が、土地が、人間が、立ち上がる。岡映里、衝撃のデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • 他人事でない、客観視していない
    (少なくともそれを狙っていない)
    原発のドキュメンタリー

    空き巣なんてない、
    そんな風に日本人を美化した報道があったけれど
    実際は荒らされまくっていた・・・
    やっぱり、というか。。。

    けれど、そんなことよりも
    自分の日常が汚染と切り離せない人たちがいて、
    むしろ汚染された環境が日常という現状を読んで
    考えれば容易にわかることなのに、
    考えていない、考えようとしない自分を
    突きつけられた感じ。
    苦しくなる。

    原発事故は終わったとか、
    原発を再稼働するとか、
    どうしてそんなことが言えるのだろう?!

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/568147

  • 著者のメンヘラかまってちゃんな感じに読んでいてハラハラさせられたが、
    興味深くてどんどん読み進めてしまった。

    登場人物のみなさんがあっけらかんとして、女々しくなくてカッコ良かった。

    今はどんな風に暮らされているのかな…

    元気でおられるといいな。

  • 記憶の伴走者。

    この人のこと、わかる、と思ったら、双極性障害だった。

  •  東日本大震災関連書の一つではあるが、どの類書とも異なる独創性をたたえた1冊だ。

     作家が被災地を取材して作品にする場合、自分語りを最小化して社会派ノンフィクションにするか、取材をふまえたうえで完全なフィクションにするか……という2つの方向性があるだろう。

     だが、著者はそのどちらも選ばなかった。原発の町に通いつめ、半ば住み着くようなディープな取材を重ねたあとで、福島での日々を私小説のようなテイストで濃密に振り返ったのである。
     著者は取材者の目線を超え、身近な友人たちを見る目線で福島の人々を見つめている。と同時に、禁欲することなく思いきり自分語りをしている。そのことが類書にない新鮮さを生んでいるのだ。

    《私は、やっぱり福島に行くことにする。
     その晩、肩まであった髪を浴室で切ってベリーショートにした。》

     3・11を扱った従来のノンフィクションでは、こんな一節にはお目にかかれなかった。1人の30代女性としての著者が、本書にはリアルに息づいているのだ。

     著者プロフィールの肩書きは、「ノンフィクション作家」ではなく、たんに「作家」となっている。そのことが象徴的だ。これはノンフィクションというより、むしろ私小説なのだ。
     私小説として描かれた3・11後の福島――ありそうでなかった、コロンブスの卵のような方向性であり、それが本書では十二分に奏功している。

     類書の中で本書のスタンスに最も近いのは、じつは鈴木智彦の『ヤクザと原発』ではないか。
     ただ、鈴木の荒削りな本よりも、本書のほうがはるかに文学的香気に満ちている。たとえば、次のような一節。これはもう、詩だと思う。

    《人の人生の稲妻のような一瞬に触れて、私の言葉も瓦礫になった。福島でそんな経験を何度もした。共感も、心配も、同意も、言葉にした瞬間すべて嘘になった。すべての言語を奪われてしまった。共感したい、同意したい、同化したい。でも言葉という道具は頼りにならなかった。》

  • 震災、原発のことを書いているんだけど、説教くさくないというか、本のもつ温度、距離感みたいなものがとても好きな本。言葉では何も伝わらないものもある、でもこの本の言葉から伝わるものがあるという矛盾。
    働いている人、住んでいる人、今まで遠かったけど、ぐんと想像しやすくなった。身近だった。

  • 2011年3月、東日本大震災と続く福島第一原子力発電所の爆発事故に見舞われた日本には「頑張ろう」「絆」といった言葉と対のように「不謹慎」の3文字が吹き荒れた。不謹慎=慎みに欠けていること、ふまじめ。では、当時求められていた慎みや真面目さとは一体なんだったのだろう。
    今思い返せば、それはもしかしたら「見たくない、考えたくない現実を無理矢理直視させられることに対する恐怖から目を逸らす“暗黙の協定”を守ること」だったのではないか、という気がする。岡映里氏の、ニュートラルにそこにある現実を抉っていく文章を読みながら、その思いを強くした。
    急速に拡散する放射能に対する本能的な恐怖と、その恐怖を克服せんが為の理性や知見とが激しくぶつかり合い侃々諤々の議論と罵詈雑言が飛び交う中央やネット界隈。一方で現地には、よそ者のどんな言葉をも無化する圧倒的な現実があるという当たり前の事実とのあまりの乖離に、岡氏は均衡を崩していく。
    背中に大きく猥語を落書きした防護服を着てふざけ合いながら1Fに向かう若者たち。自宅を根こそぎ流されながら土地に残り彼ら作業員を束ねる元やくざ。町会議員として踏みとどまり救援物資や遺体を黙々と運ぶその父。高齢の母を動かせないと避難区域に頑として根を下ろす町会議員と昔なじみの女性。
    彼らから大切なものを奪った震災は、同時に絶えて久しかった絆を呼び戻す契機ともなる。彼らの分厚い「生」が中央の薄っぺらい「不謹慎コード」をこともなげに粉砕する。「よそ者」の忸怩を抱きしめながら彼らとともに過ごす岡氏は、雑音を無化して進む彼らの圧倒的な強靭さをただ記し、伝えてくれた。

  • あっと言う間に読んでしまった。
    味わいながら読めば良いのに、俺はやはり下品だ。

    それは俺が何かに飢えているからかもしれないし、著者の丁寧で素直な語り口がそうさせるのかもしれない。

    こんな本が読みたかった。

  • 原発の取材を先陣を切って行った週刊誌の女性記者。
    いつのまにか、仕事の熱意からなのか、個人的な思いからなのか、福島を訪れる動機が分からなくなる。

    福島に住む人の感覚と、東京に住む人の感覚は全く異なる。その両者のあいだを行ったり来たりするなかで、同じ日本にいるはずなのに、どこか決定的に違う世界にいるようなそんな感覚に巻き込まれる。
    そうした両者の思いを一人の人間が受け止めることは難しい。次第に、著者の意識が壊れていく過程も、とてもリアルに伝わってくる。

  • ノンフィクションなのに小説のような。「福島県民」「原発推進派」「脱原発派」のような大枠ではなく、その土地で生きてきた一人一人の生活歴を聞く事で、単純には語れない事があるなと。分かりやすさに陥らないための一冊。

  • 半径20Km圏内のこと。
    こんなにリアルで身近な日常を描いてくれた、撮ってくれた筆者の方に感謝です。
    忘れちゃいけない。

  • 週刊誌記者の著者が震災直後、福島に派遣されたのを機に福島通いをはじめ、深入りしすぎたため、双極性障害を煩ってしまうという話が人物別のエピソードとして語られる。2012年12月の衆院選までが本編で、その後のことはエピローグに記されている、という大きな流れがあるものの、ところどころ、出来事が起こった後から始まってたりするので、そのたびに戻って読みかえす必要があり、すんなりとは読めなかったが、そうした技法ゆえなのか、彼女が見た風景が普遍的なものとして自分の中に立ち上がってくるような気がした。著者本人や取材されている人たちのプライバシーを吐露してしまうカタルシスも静かにだけどこの作品には存在している。その点からしてもこれは私小説と言える作品かも。取って出しではない、練りに練られて書かれた、味わい深い作品。僕もこのような作品を書けるようになりたい。

  • 名作です
    4.9点

  • <閲覧スタッフより>
    3.11の取材を機に福島県浜通り、検問のある町へ。原発労働者や寝たきりの母の介護のため警戒区域に住み続ける女性・・・様々な事情でそこに生きる人々の声をそのまま紙面に起こした一冊です。

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    所在記号:543.5||オカ
    資料番号:10225387
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  • 高輪Lib

  • 筆者の、全く飾らない素直な言葉に、好感が持てた。
    福島にすむ人たちや、原発作業員の人たちの生の声が書かれてある。
    東日本大震災から、3年半がたち、もう、あの日の事が過去のことになっているのだと、この本を読んで強く感じた。
    だからこそ、多くの人に読んでほしい内容だと思う。

  • 震災のときに自分を大切にしてくれるひとも大切にしたいひともいないということに気づいてしまった女性が居場所探しに行ったお話。

    未曾有の事態ってひとに忙しさとか都会だとなんだかんだ寄る場所とか、時間を潰す何かを見つけ易いから普段気づかないふりをしていたさみしさを突きつけるんだ。

    さみしいからきっとフラットに被災地のひとを見ることができて。そんな彼女だから本来大変とされる被災地のひとたちが逆に手を差し伸べてしまう。だからそこが彼女の居場所になっていく。

    そういう意味でひとが描かれていてこういう立ち位置であの場所のことを記したひとはいないんだろう。

    でもあたしはだめだった。それは自分もそうだからなんだろう。すごく傷ついたことがあるひとはその痛みを知ってる分優しい。

    だからほんとは使命感とか同情とか言いながらやってきた自分が癒されていく。
    それは果たしていいのかって海南島に行き始めてからずっと考えてるから。

  • この本の帯には、「興味本位。正直に言えば、私がはじめに福島へきたのは興味本位からだった」とあります。


    記者として働いていた著者の岡さんは、3.11が起こった後、そんな動機で福島を訪れ、そこでの実体験を記しています。


    3.11に限ったことではないですが、
    テレビで放送される内容は、どこか現実味がないと感じ、実際はどうなんだろうと思うことがありました。


    この本には、ただただ岡さんが出会った、福島で暮らす人たち、原発で働く人たちの姿が書かれています。
    それもきっと、多くの面のほんの一面にしか過ぎないけど、
    ありのままの現実の生活をほんの少し知ることができた気がします。




    私もこの本を手にとったのはおそらく興味本位でした。


    でも予想以上に3.11のときの不安感や孤独感を鮮明に思い出してしまうほど
    リアルで、直球な文章です。


    今、読んでよかったなと思います。

  • 記者あるいはひとりの人間が被災地とどう向き合うか、あるいは向き合わないのか、その心の振れが描かれていた

  • 震災を普遍的に捉えず、あくまで個人に拘る事で、福島原発の崩壊の様がより際立って、この本の中にある。写真もたくさんあって、これも強く訴えるものがあった。

  • なかなか強烈な本ではある。帰りの新幹線で一気に読んでしまった。こういううつ的な気分に共鳴するのは性格的なものなのかもしれないが。

  • 震災後、数々のテレビや雑誌の特集記事を目にすることでなんとなく知ったような気分になり、年月が経つたび、その記憶は表層にもなくなりかけている自分に最近気がついた。そんな中、この本を読み、本当にいろんなことを知らなすぎた自分に恥ずかしくなった。岡さんの生の感情とリアルな写真の数々に、全く違った観点から、震災も含めて生きることについて、人間関係についてじっくりと考え直す機会となった。素晴らしいルポルタージュだった。高校生とか若い人にこの本ぜひ読んで欲しいな。

  • 「小説」ではないだろう。個人的な記録、だと思う。
    被災地とそうでない地との境界、そして自分と他者との境界、についての。

    エピローグの中に
    「私ほど事故後の双葉郡を見てきた人間はいない。私はそう自負していた。
    そんな私の心を挫いたのは、ある難病を抱えた若い女性作家が私に言った言葉だ。
    『自分が今まで福島県のことを書かなかったのは、福島を消費したくなかったからです』
    彼女は福島県双葉郡の出身だ。
    私はこの言葉にやられた。」
    とあるが、福島のことを書くことが、「福島を消費」することとは思わない。
    思わないが、書くことを「消費」と言うならば、むしろ消費してくれと思う。
    まして「私ほど事故後の双葉郡を見てきた人間はいない」とまで自負するのならのであればなおのこと、書きたいと思ったことを書けるだけ書いてくれたらいいと思う。
    しょせんよそ者だという卑下は無意味ではないか。よそ者だろうが、その地の人を唸らせ共感させてくれるほどのものを書いてくれればいい。ただそれだけのことだと思う。

    福島の出身だろうとその時福島に住んでいようと、全てを見ることは出来ない。その場にいて見た人が、見たことを、見て思ったことを書いてくたらいいと思う。
    全てが記録だから。
    文学に、文章に出来るのは、記録すること。記録することで、忘れさせないこと。それだけだから。
    忘れられること、消費すらされない場所や事柄になること、そのことをこそ恐れる。

  • 一人称で書かれているが故に、非常に切実さが伝わる内容。

  • 非常に読みやすい…が、一気に読み終えられるかと言えばそうでは無い。背景に漂う何かに、心臓を軽く締め付けられているかのような、そんな気配を感じながら、途中途中で息継ぎをしつつ読み進める…。そして、その読後感はひと言「ひどく疲れた」。目の前に貼り付けられた私小説という名の現実に、窒息するかと思う程に…。
    これはいつまでも手元に残しておきたい一冊です。

  • プロローグを読んでいたら、胸の内にあらわれた黒い空洞。それはずっとあったのに、見ることを避けて過ごしてきただけだったのかもしれない。思いと言葉を繋げられず、ただ歩き回ることしかできなかった夜を思い出した。(←半分読了時の感想) (全編読了後の感想→)過去と現実と追憶と書籍の間に自分がいるような感覚。読み終えて、予感が確信に変わりました。同じ時代を生きる作家の作品を読むこと・読めることの醍醐味。心も体もたかぶっています。言葉が瓦礫になり、言葉を失った著者が、おそらく命がけで紡ぎだした言葉。その言葉と同等か、それ以上に見る者を捕らえて離さない多くの写真。尋常でない私小説に出逢えたことに、感謝、感謝。

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著者プロフィール

作家。1977年、埼玉県三郷市生まれ。ホテル宴会場の皿洗い、クラブ店員、パソコンショップ店員、歯科助手、家庭教師などの職を転々としながら、慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。のち、Web開発ユニット起業、会社員、編集者、週刊誌記者などの仕事を経る。2013年、双極性障害と診断される。仕事をやめ、離婚などの経験を経て、2年間の治療を経て2015年に症状が落ち着く。以後も続いたうつ状態を、行動療法、認知療法的な視点から改善。現在は認知療法や精神障害者の福祉政策を学びながら作家活動を行っている。

「2017年 『自分を好きになろう うつな私をごきげんに変えた7つのスイッチ 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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