- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784903908595
作品紹介・あらすじ
「就職する」ことなく、武術研究家として35年。現在66歳。
柔道家は手すら払えず、アマレス選手は決して止められず、剣道家は籠手を打たれる一方…。
なぜ、こうしたことが現実に起きるのか?
その鍵を読み解くことはすなわち、「今までにない職業」を発想・実践することにほかならない。
長年の稽古を経て到達した甲野式発想法の真髄!
「自分自身の正直な実感を通して自分の道を切り拓く」方法!!
感想・レビュー・書評
-
生き方を変えねば…と思わされた。甲野先生のことは養老先生を通して知っていたけれど、最近あまりフォローしていなかったら、かなり進化していらっしゃるようだ。常に新しい技を考えている。介護に応用されているのは知っていたし、桑田選手にも影響を与えていることも何かで読んでいた。しかし、音楽家にまでアドバイスされているとは。日本の柔道についてもかなり辛らつな考えを述べていらっしゃる。体育教育についても。今までにない職業をつくっている人々の例は少しさみしい感じだけれど、探せば他にもたくさんいることだろう。新しい職業というか、新しい生き方を模索していかなければならない時期に来ているのだと思う。まずはやっぱり自分の頭でしっかり考えるということ。それから、しんどいけれどがまんしてというより、楽しく、好きだからやっているという方が結局良い結果になるのだろう。本書は京都駅八条口にあるふたば書房で購入した。最近、京都駅に用が無くなって、しばらくご無沙汰していたのだけれど、この書店、新刊の棚1つすべて買いあさりたいほど、自分の趣味にぴったりの本が並んでいる。一度、その本棚を作っている書店員さんと話がしてみたい。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
カッコいい人なのだが文章にするとやや平凡かな・・
[more]<blockquote>P15 ものを学ぶということは、意識を持つようになった人間にとっては、実は困難なことなのです。
P83 人間というのは、アザラシに泳ぎ方が本能的には組み込まれていないのと同じような立場なのだということです。【中略】本能に組み込まれるような単純な技術はほとんど持って生まれてはいないのだということです。
P100 蹴ってはいけないということは頭では十分すぎるほど理解しているにもかかわらず、いざ打ち込まれてくる刀を見ると、どうしても幼いころからしみついている「地面を蹴って逃げようとする」動きが反射的に起きてしまい、打たれてしまうのです。
P127 人間というのはすぐに楽なことに慣れてしまう生き物で、楽なもの、便利なことはすぐそれが当たり前になってしまい、感謝の念も忘れてしまうのだ、ということをに改めて気づかされました。
P164 武術とは対応術であり、さまざまな状況の中で、どう対応し、何を選択していくかを絶えず工夫研究していくジャンルだからです。
P165 「技は盗め」という教え方には、入門して来た弟子に失敗体験をさせないという意味があったように思うのです。【中略】この方法は、仕事の全体を感じ取るという教育も自然に行なわれると思います。
P173 その好きなものが見つからない人はどうするのか。方法の一つとしては一切何もしないことだと思います。例えば3ヶ月くらいひきこもると、いろいろなものが新鮮に感じられる。</blockquote> -
概ね、前と書いてあること同じだったけれど、さくさく面白く読めました
以下引用
ここ数年、「今までにない職業」で生きる人たちが少しずつ現われてきています
あらゆる分野で問題が山積する社会において、見栄や既得権益でがんじがらめにされて身動きができなくなるようなことにならず、あくまでも自分自身の正直な実感を通して自分の道を切り開く若者が独りでも多く出てきてもらうこと
産まれは入谷、育ちは上野、明治四十四年に出生、学歴皆無、ただ自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の脚で歩く
★幼いこどもが意識的努力を伴っているとはまったく思えないのにもかかわらず、いやむしろ、そういう意識的努力をしていないからこそ、驚くべき速さで言葉を習得していく
誰もが異口同音に、「なぜ、この武術の稽古はこんなに早く時間が経ってしまうのだろう」と名残惜しげに言う
日頃の稽古は、苦しい状態を我慢しつつやってこそ、なんとか身体が使えるようになると信じられていることは残念なことです
現在の柔道をはじめとする武道会のいわゆる猛稽古が、技のレベルを上げるようにするうえで、逆に障害になっている
学ぶことが義務化され、苦役になっている
教育とは、本来人が人として自らの生を全うするためにあるのですから、教育によって、「自分が生きているとは何か、人はどう生きるべきなのか」ということを、しっかりと考えなければ
現代は教育が、生きて行く上での見栄を助けるものになっている
とにかく人並みにということが求められ、自立した価値観で世の中を生きて行こうなどという志は育まれません
若き日に、あなたの造り主を覚えよ、悪しき日がきたり、年が寄って、「私にはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に
かつての信じがたいほどの鮮やかな技を求めようとする人が極めて少ないどころか、ほとんど皆無
現代武道のレベルが落ちてきてしまった大きな原因のひとつは、そうした本来、その分野の基盤にあった困難な課題を、見て見ぬ振りをしてしまったところにある
苦しくとも、数をこなしていくというような武道、スポーツ界の常識が、動きの質的転換を阻む根本的な原因となっている
明かに不利な状況を設定し、それに対していろいろな角度から検討し、身体の動きの質的な転換によって、そのことを可能にする
人間は環境に適応する生き物です。甘やかされた環境では、動きの質の向上を図ることはできません。自分にとって不利で不自由な状況設定をするということは、厳しい環境に身体を置くということです。そういう環境に身体を適応することで、はじめて常識を超えた身体の動き
が出現させる
職人の世界でも、今までの常識の枠に縛られない工夫をして、驚くべき道具を作ったりしている
新しい発見というものは、今までの常識の裏や隙間に隠れていることが多い
武道関係の人々には、師匠や先輩から伝えられた「何々はこういうものだ」という思い込みが非常に強くある
その後しばらくすると、果物やお菓子が食べられなくなりました
我慢はかえって生活をめちゃくちゃする
現在の学校制度では本気で物事を考えようという若者がきわめて育ちにくくなっている
武術の稽古はあくまで自発的に行わなければならない、義務化するという方針には不賛成
金メダルを目指したら、ある意味、大したレベルまではいかないと思うのです。そうではなくて、好きでやっていたら結果としてそうなったということでないと本当はおかしい
好きで好きで夢中になって取り組み、結果として抜群の選手になった
数学を専門としながら、どこの大学にも、組織にも属さず、独立研究者として今まで誰も行ったことがない数学の研究をしつつ、その数学という学問の魅力を多くに人に伝えるということをはじめた
既成の価値観にとらわれず、より斬新な切り口で、今までにはない新しい職業をつくりあげる
子ども育てるのも、手をかけることに喜びがあるのであって、子育てを面倒に感じるのか、そういう問いを出さないことにして、いろいろなことが進んでしまっている
大学の教授なんて云ったって、人間の生命の働きや大切なことは何もわかっていない
身分があると、かえってすみわけができていた
自立-いろいろな状況下で、それに対して自分の意見が言えるかどうかということ
→ほんとそうだ。ここから逃げていたらいかんし、ちゃんとそうなるには「感じ」ていないと。
自分はこれを選択するという場合、そのために生き方の技術という覚悟が必要
自分の生き方への矜持を持っているか、それは正しいか正しくないかではない
有力選手を集めて、強化合宿を行いますが、これもずいぶんとお金を無駄にしている
チャンピオンになるとか。餌で釣って、苦しい練習に耐えさせるべきではない
本来、その種目そのものに関心があり、そのスポーツを愛してゐれば、同好の士と、その技を競い、研究することで十分な喜びを得られるはず
→ほんとそうだな。アートもまさにそうだと思う。外とか職業になっている。アートは職業じゃなくて、生きる技法。
教育も人間が人間となる為に学ぶという本来の目的 -
うわー、ジャケ買いで失敗した。
矢萩多聞さん装丁で見かけええ感じなんですけど、これは完全に学生向けの本。具体的な実践の詳解はなくモチベーションアップの啓発本で、既知の内容が多く1時間で読めてしまった。
ミシマ社の本って結構そういう傾向あるな……
しかし、甲野さんのようにはばかられず正論を吐き続けるためには“世間の常識”に毒されずに身ぎれいでいることが必要で、これが諸々システム化された現代社会では異常に難度が高い。
常識にとらわれず、かといって非常識ではなく、「無常」識でいたいものだ……と思う。甲野さんの思想に初めてふれる人にはいいかもしれない。 -
「今までにない職業をつくる」最初はビジネス本かと思ったが、表紙を見た瞬間違う?と思い読んでみると、今までにない武術を既存の考えに縛られることなく、色々と勉強し研究することで新たな可能性と本質を発見し、考えや行動を教示する内容だった。とにかく、見栄や常識にとらわれることなく、興味や好奇心に従い何事も行いなさいと後押ししている。多少偏りはあったけど、一度この武術を習ってみたいと思わせる一冊。
-
新しい職業をつくるとか、そのためのヒントが本書にあるとは思えないけど、とりあえず甲野善紀さんは別格。とにかく得体が知れない。
-
異色の武道家、甲野善紀による書き下ろし。武道を学ぶ上で難しいのは「師は絶対である」とする考え方と「師の技をさらに改良する」とする考え方のバランスなのかもしれない。甲野氏の異能さは、固定観念をもたずに絶えず技を進化させていくアグレッシブな姿勢にあるのだと思う。ひとつの流派や武道の垣根に囚われず、全く自由に自分の身体の声だけを頼りに技を改良していく。自然の動きや動物などからも動きのヒントを掴むくだりは、中国拳法の五獣拳などにも通じる考え方なのかと思わせ、楽しい。武道のみならず、仕事や社会生活全般においても、この自由な考え方は通底するものがある。就職せず、組織に属さず、人と違った風体(常に和服を愛用)で、粗食を旨として飄々と生きるその人生は、ずいぶん軽やかなものなのではないだろうか。
-
帯表
常識の外へ!
見返し
「就職する」ことなく、武術研究者として35年。現在66歳。
柔道家は手すら払えず、アマレス選手は決して止められず、剣道家は籠手を打たれる一方・・・。
なぜ、こうしたことが現実に起きるのか?
その鍵を読み解くことはすなわち、「今までにない職業」を発想・実践することにほかならない。