- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784908863042
作品紹介・あらすじ
この診察室で、人は生きやすくなる
臨床の職人・神田橋條治がたゆむことなく続けてきた治療への試行錯誤。
臨床経験の積み重ねで磨いた技術、治療者としてのふるまいを、自身の症例報告の形式で記録する。
感想・レビュー・書評
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臨床に生きずまった時に再読したい。個人的には愛着障害(本書では愛着の障害と記されている)の部分が特に感銘の残った。それは以下の一文である。
愛着障害というのはいかなる形で提供される愛情も、本人が、素直な形で受け取ることができない点にあるんのです
この受け取ることができない という部分は本当に腑に落ちた。これだけで本書を読んだ意義はあったと思う詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
>神田橋
まず「何番さんどうぞ」と呼ぶときには、カルテの住所欄だけは見ています。ああ、どこどこから来られた人か、と。で、患者さんが入ってこられたときにボクがいちばん先に見るのは、入ってきたときに向こうがどういうスタンスをとるか、なんです。いま思い描いているケースの場合は、入ってきたら、さささっと部屋の中の様子を観察されました。そしてそれを見たらボクは、この患者さんは脳に余裕がある、と思います。受動的な振る舞いでなく、能動的な・情報収集の振る舞いをしているから、余裕がある、という判断です。余裕があることを確認したら、次にするのは、もう一度、住所を見ながら、「兵庫からわざわざ来たん?」とか言う。
>白柳
そのかたは男性ですか、女性ですか?どんな人ですか?
>神田橋
男性です。年は三十代くらい。中肉中背。
>白柳
(人物像をイメージして)…はい。
>神田橋
それでボクは「兵庫のほうから来られたんですか、大変でしたね、新幹線ですか?」と言う。するとそれに対して患者さんは、「実は高校までは鹿児島で、○○高校なんです。大学が関西のほうで、そのまま関西で就職したからいまは兵庫ですが、実家はこちらですから」って。これは、こちらが出した<遠くから来て大変でしたね>という問いかけに対して、的確に、ボクが必要とするであろう情報を提供してくれているわけです。これは、忖度の能力です。忖度を多く含んだコミュニケーションをやり取りする能力。
>白柳
兵庫から来て大変と思われたでしょうが、実家はこちらですから、ちょいちょい移動している距離なんですよ、という話ですね。
>神田橋
入ってきたときに周りを見回して、そしてこういったやり取りのできる人であれば、まず、双極性障害圏の人である可能性が高いと判断します。6、7割の確率でそうだろう、と。それで次にするのは、○○高校と聞いたわけだから、「ボクは(鹿児島県の)加治木高校なんですよ」と言ってみる。これは同じ県内の高校ということで、親しみを投げかけているんです。
>白柳
はい。
>神田橋
そして投げかけた親しみがポジティブな機能としてはたらく―、はたらくというかそのように受け止める人であれば、これは<接近>に親和性がある、と考える。接近されることに警戒や抵抗感がないわけですから。そうするとこの人は、対象関係が良くて、愛着障害はあまり考えなくてもいいだろうな、と想定する。
>白柳
愛着障害に関連するのかもしれませんが、接近しすぎるか・接近がほどよいかは、親しみを投げかけた時点で現れますか?
>神田橋
現れます。
>白柳
接近しすぎる人だとどうなのですか?
>神田橋
接近しすぎる人だと、さっき言った、部屋に入ってきたときからの、全体を見回して忖度のある応答をして、という構成が壊れています。たとえば、空間を見回すことなく、こちらに心を寄せてこられたりとか。
>白柳
うつ病でのうつ状態と、双極性障害でのうつ状態とは、その状態だけ見て、見分けがつくものですか?
>神田橋
すぐわかる。うつ病のうつというのは、気分が憂鬱だとよく言われるけれど、そうではないんです。気分が下がる前に能力が下がるんです。
>白柳
気分はどうともないけれど、なんかうまく動けないなあという時期が先行するわけですか?動けない時期があって、それから気分の落ち込む時期が来る?
>神田橋
そうです。仕事ができないとか頭がはたらかないとか。ひらめかない。
>白柳
では頭がはたらかないなあと言っているときには、まだ、気分は落ちていないのですか?
>神田橋
落ちていない。でも仕事もうまくできないし、焦って、それでだんだんうつになるの。気分が先ではないのです。一方、双極性障害は、気分が先に落ち込みます。気分が憂鬱になるんです。
>白柳
じゃあ、双極性障害は、気が滅入ってなにもできないわ、で、うつ病は、なんでできないの、なんでできないの、と言っている間に気分が落ちてくる感じですか?
>神田橋
そうです。もっとがんばろう、とかね。
>白柳
はい。
>神田橋
だからうつ病の人では、診察室に入って、すぐに辺りを見回して状況を観察するような、そんな能力はすでに落ちている。だから入ってきた瞬間、そんな振る舞いをしていたら、おやっと思わなければならないのです。
>白柳
とぼとぼ入ってこられて、とぼとぼ椅子にたどり着いて、ぽしょんと座ったきり、お医者さんがなにか言うのを待っている、というような状態が、うつ病のうつ、ですか?
>神田橋
そうです。だから入ってきたときの様子だけで、五割くらいは判別できなきゃいかん。
>神田橋
「もし双極性障害であるなら、リチウムは6割の人が合うし、2割の人はバルプロ酸が効くし、1割の人はテグレトールが効く。これで合わせて9割で、残りの1割の人はラミクタールとかリボトールとかが効くんですよ」と説明する。このとき、相手が双極性障害の人なら、「ほう、ほう。初めて聞く」などといって聞いている。うつ病の人なら、そんなゴチャゴチャした説明を聞かされるのは、もうたまらん、という状態になる。
>神田橋
まず「あなたのそもそもの発端はいつなの?」と訊きます。「そのときになにかあったの?」と。すると「上司が変わった」と言われるから、「それはストレスですね」と受けて、「うつ病のうつは、仕事の量が増えてうまく回らないとかいうような、脳の疲労から来るものが多いんだけど、双極性障害のうつは、身動きが自由にできなくなったという窮屈感で出てくることがあるのよ」と話します。
>神田橋
双極性障害の治療をして落ち着いてくると、ああ、ADHDもあるんじゃないか、となることがある。その場合のADHDは軽いですけど。なんで見間違うかというと、双極性障害の人は、複数の作業を同時に平行してこなすことがいいの、ご飯食べながらテレビ見たり、とか。そうするとADHDに似ているんだよね。こうしたりああしたり、ああしたりこうしたり、の感じが。だからときどき間違う。そして両方とも、生活への助言は同じなんです。<ながら>の生き方をしなさいね、って。<ながら>の生き方が向くから、一点集中したらダメよ、って。
>神田橋
男の子が連れられてきて、「学校で<発達障害があるんじゃないか>と言われたので来ました」と、そんなことをお母さんが言っている。そのとき本人は、どのイスに座ろうかなという感じで、入ってくるなりキョロキョロして、あっちのイスに座ってみたけど落ち着かないかして、こっちのイスに座ってみたりしている。ボクは「自分でいちばん座りよいイスを選んだらいいよ」と言っておく。そうすると、あっち座ったり、こっち座ったり、座ってぐるぐる回ったりするわけです。
>白柳
はい。
>神田橋
入ってきたときと、回転イスをぐるぐる回したりしているときで、表情の緊張の程度を見ていると、ぐるぐる回しているときのほうが楽しそうな顔をしているから、これはもうADHDだな、と思う。診断がつく。
>神田橋
それはね、フラッシュバックといいます。本人は周りとうまくやろうと思っているんだけどできなくて、やりたくないんじゃなくてやりたいんだけどできなくて、それで、できないことに心が傷ついた。その体験がフラッシュバックとして出てきているんです。
(神田橋は、トラウマ体験によらないフラッシュバックを<なつかしさ>とし、また、精神分析で使われる<転移>をフラッシュバックの一つと考えている。
>神田橋
<問診表に書いてるでしょ?>というような反応を示す人は、どちらかというと、はっきりした外的な事情で落ち込んだりなんかしている人です。たとえばストーカーの被害者とか、会社でひどいいじめに遭った人とか。そういう、自分にとって有害な外界の、はっきりした被害者であると本人が意識している人は、そういう反応を示されます。わからんちんが世の中にいて、そのわからんちんが私をこんな目に遭わせたのだ、という考えがあるから、<ちゃんと書いてあることをまた訊くなんて、先生、あなたもわからんちんでうか>となる。
>神田橋
愛着障害というのは、<いかなる形で提供される愛情も、本人が、素直な形で受け取ることができない>点にあるのです。だから、ちょうど、甘いものが好きな糖尿病みたいな状態。
>白柳
…え?そのたとえはちょっと違う気がしますけど。
>神田橋
甘いものを食べると身体が悪くなるでしょ。愛着障害という状態になって来られるかたは、ボクのところに来られる前に、いろんな人から愛情をもらって、本人もそれにすがりついて。そして絶望して、来ているんです。
>白柳
私は、先生の考えられる愛着障害は、<安全間が欠如しているために危機意識をずっと持っている状態>なのだと理解していました。でもそうではなくて、<愛着状態が与えられても、それを愛着状態とは感じられない>なのですね。
>神田橋
つまり<そんなことは一人でやらなきゃ!>と言われたことによる傷つきを持っているであろう状況、<自分一人でやりなさい>と言われたことへのフラッシュバック。そういう、突き放されたことによるフラッシュバックは、愛着障害のある人には必発だとボクは思うんです。それがなければ愛着障害にはなりませんから。
>神田橋
それより少し重症の人だと、過去の物語が語れませんから、「あなたが幼稚園の頃にいちばん得意だったことはなんですか?」と訊く。「その人の生まれ持った特質は、幼稚園の頃に、よく現れているから。幼稚園の頃に得意だったことは、いまだって得意なんですよ。いま、それは眠っているにしても、得意なんですよ」と言う。そうすると、<本来の私とは何者か?>という問いかけができるでしょう。
>白柳
フラクタルって、大きい全体と小さい部分が同じ形、というあれでしょう?いまお聞きした話をフラクタルに当てはめて考えると、解離している<情報>は<私>に隠されているわけでしょう。<私>と<私に隠されている情報>との関係が、<先生>と<先生に対して情報を隠す私>との関係に相似している、ということですか?
>神田橋
そうです。<本人に意識できない>状態から、<知っていて、隠している>状態へと移行する。それが治療の大きな目標なんです。その小さい版を、まずはボクとの間でしていこう。
>白柳
治療に来たんだからすべて洗いざらい話してね、ということではなく、あなたが私に出す情報は、あなたが取捨選択してくださいね。そしてこの<取捨選択して話す>という関係が、いずれ社会に対しても起こっていくだろう、ということですか?
>神田橋
起こっていくだろうし、精神病理的にいうと、自分に対しても起こっていく。<解離して隠された情報>を自分は見ないようにしている、その状態が、意識できているか・できていないか。それはつまり解離の病識があるか・ないか、です。
>神田橋
社会との間で壁を作る。本人の自由意志で。社会との間には壁を作るけれど、情報と自分との間では連絡ができている。それがボクの、治療の最終目標なの。
>白柳
では最初は<情報>と<私>との間で解離があって、次は、<情報>と<私>の間はつながったけれど、<この情報について私は社会との間に壁を作る>という選択ができるかどうか、というこですか?
>神田橋
そうです。この考え方は、ボクの「自閉の利用」からの発展なんです。「自閉の利用」の場合は統合失調症の人の話ですけど、<意識なしに壁を作る>という複雑なメカニズムが壊れてしまって、ただただ全部筒抜けになっている。だから、社会に対して<閉ざす>ことをまず練習させるんです。<思っていることを言わない>ということを練習させる。これは行動でしょう?
>白柳
はい。
>神田橋
まず行動を練習させて、それから<言わないでいる>という意識を育てていく。そうすると、本人の中でおそらく解離していたであろう<私>と<情報>との関係が、意識できるようにあってきて、そうして、意識なしに<あるまとまりをもった、安定した自分がある>という状態になる。
>神田橋
ボクは解離というのは、外への情報提供を<私>―<社会>のレベルで遮断できないために、意識のレベルまで巻き込んで、<情報>―<私>のレベルで遮断して、認知できないようにしている―そうすることで、混乱を処理しているものなのだと思うのです。
>神田橋
解離が勝手に解けていくときには、必ず、自律神経症状が出てきます。やっぱり解離が解けてくるということは、生体の全体にとってストレスなんですよ。
>神田橋
大人の発達障害の場合は、治療が進んでいくと、必ず愛着障害の問題が出てきます。
>白柳
それは発達障害があると、ということですか?
>神田橋
はい。<発達障害があるけど愛着障害はない>例というのは、すばらしい母親がいないと成り立ちません。独特の<揺れ方>をする子どもにずーっと沿っていくわけですから、的確に沿い続けるのは難しいんです。だから、発達障害がある人の多くは、大人になったときには必ず、多少とも愛着障害があります。ですから最初に診察を引き受けたときから、どの時点で<地球におんぶ>を入れていくかを考えておきます。
>白柳
愛着障害の人は音声に飛びついて内容には飛びつかない、ということでしたが、うつの人であれば、「もう、長いの?」と言われたら内容に飛びつくのですか?
>神田橋
そうです。
>白柳
「長いです。もう5年です」とか?
>神田橋
はい。「もうずいぶん長いですわ」とか「いい時期もあったんですけど、どんどん悪くなっています」とか。そうして、<長い>とか<悪い>とかいうことに話が限定されていって、聞いているボクのほうも視野が広がらない感じになってきます。それで、本物のうつ病の人と話している場合は、<この人をなんとかよくしたい>気持ちと、<できるだろうか…>という気持ちとがこちら側に起こります。そういう、<重さ>の感じが沸いてきます。
>神田橋
ところで、うつ病については、ボクは近頃は、一種の発達障害かもしれないという気もしているんです。本物のうつ病はね。本物のうつ病は、直接には適応障害から起こってきているわけです。だからそこに、<適応力が弱い>という発達の問題があるんじゃないか、と。そしてうつ病はわりに家族性がありますから、そういう、天性の神経パターンの問題なんじゃないかと思うのです。
>神田橋
ところで、うつ病の人には忖度の感じがあるんです。
>白柳
え?発達障害の人は忖度ができないのじゃなかったですか?
>神田橋
そうです。それでボクも不思議に思っていたのですが、どうも、うつ病の人が見せる忖度の能力というのは、本当の忖度の能力ではないみたいなんです。というのも、息子さんや娘さんに話を聞くと、「うちの親父は頭が固くて、心のこととかはちっともわからないんです」と言われるんです。だから忖度の、いい感じの働きではないのかもしれない。自分勝手に、情緒を投げかけているだけなのかもしれない。ボクとの間では忖度が成立したりするんだけど。
>白柳
ふうー…ん。
>神田橋
うつ病の人は執着性格と言われるのですが、本質的に恨みがましいんです。
>白柳
は…、はあ。
>神田橋
恨みに、執着するんです。むかし、交通外傷の遷延例についての研究を、ボクは読んだことがあります。交通外傷が遷延する人というのは、疾病利得を期待して長引くのではないか。それを調べた研究です。でも結果は疾病利得ではなく、執着性格だった、というんです。その人は交通事故の被害者ですから、<俺はなんにも悪くない。向こうが全面的に悪いのに、誰もそうは言ってくれない。正義はいったいどこにあるんだ>と、それを恨みに思っている。
>神田橋
うつ病というのは、ともかく休息が大事なんです。休息は、快食・快眠・快便です。うつ病の薬はその後です。だからまずは睡眠薬を服むことと、抗うつ剤で便秘が起こっているなら、抗うつ剤を減らして、便通を良くする。
>白柳
患者さんが心療内科に行くときには、眠れませんとか食べれませんとかが主訴なのですか?
>神田橋
いや、大抵は、体調が悪いとか元気がないとか、疲れが取れません、という感じでしょうね。
>白柳
<体調が>とか<元気が>とか言っているときにはもう、睡眠とか食欲は実質的にダメになっていますか?
>神田橋
そうです、はい。
>白柳
だから、治療自体も<まずは眠れないことに対処しましょう>となる?
>神田橋
はい。
>白柳
では<眠れないことをきっかけに起こる気鬱>を抱えて受診されるけれど、<その元は眠れていないことですよ>という話ですか?
>神田橋
いや、そうでもないです。うつのために眠れないんだけど、回復には、まず眠れるようになることが必要なんです。結局、うつ病というのは、大きくいうと<疲れ>なんです。そして疲れを取っていく場合は、なんの病気でも、食欲と睡眠と便通の確保が大事です。これを確保すれば、身体は治っていこうとする準備を整えますから。
>白柳
これは双極性障害のところでお聞きしたことですけど、双極性障害のうつは気分が先に落ちて、うつ病のうつは機能が先に落ちる、ということだったでしょう。この場合、双極性障害の気分が落ちるのは、本来持っている気分の波が落ちるからですか?
>神田橋
そうです。
>白柳
とすると、それは内因性のうつ、といえますか?
>神田橋
はい。
>白柳
ではいま話題にしているうつ病のうつの場合は、<機能が落ちる>の機能が、食欲・睡眠・排便のことなのですか?
>神田橋
そうです。自律神経を中心とする身体機能、です。
>白柳
では外因的な理由があって食べられなくなった、となって起こる身体の不調が・・
>神田橋
少なくとも外見上はそういう感じになりますから、だから心療内科に行くんでしょうね。
>白柳
外見上はということは、うつ病の疲れは、実際に食欲や睡眠が低下したから始まるわけではない?それより先に、身体そのものの回復力が落ちている自体がすでにある、ということですか?
>神田橋
そうです。
>白柳
では身体の回復力が落ちたということそのものには、<眠れなかったから>とかいうような理由はないかもしれない、ということですか?
>神田橋
ない、とボクは思います。おそらく、脳の伝達物質かなにかの問題じゃないかと思います。生命体としての、機能の低下。だからたとえば「寒さに弱くなりましたか?」と訊いたりします。
>白柳
旧来型のうつ病の人は、休んでいる最中に気晴らしをする余裕がなかったのですか?
>神田橋
いや、<するべからず>です。
>白柳
では旧来型うつ病の人であっても、その<べからず>が弱まったなら、新型の人たちと同じようにふるまっていたかもしれない?
>神田橋
そうですよ。だから治療の助言だって同じです。仕事は生活のため、別に人生のための活動を作りましょうね、って。新型でも旧来型でも、根本方針は変わりません。
>神田橋
「アルコールは全面的にやめてしまわないとダメだという考え方が従来からあって、たしかにそういう患者さんもたくさんおられるのだけど、ボクは、<アルコールを飲む>から<酒を楽しむ>へ移行することが可能な人もずいぶんおられると考えていて、その方向で治療しようと考えているのだけど、この方法は、あなたはどうですか?」と訊く。すると、大抵みんな賛成します。
>白柳
ハハハ、はい。
>神田橋
そしてこの人は、ビールをしこたま飲む、といわれます。するとボクは「ビール以外のお酒は合いませんか?」。「いやあ、ビールがいちばんいいですね」って。「じゃあ、ビールを飲んでいくようにしまようね。それで、<どんなときに飲むのか、飲むとどんなふうになるのか>をチェックして、自分で研究して、教えてください」とお願いします。
>神田橋
<どういうときに飲んで、どうなるか>。それと<いちばん気持ちいいのは、どのお酒を飲んだときか>。この二つを並行してチェックしてもらうんです。だいたいは、どちらかから手をつけていくことになります。
>神田橋
本人の意思でおこなっていることは全部、対処行動であると考えます。パチンコ、リストカット、食行動異常…。ボクのこの考え方はわりに早く、初診の時点で患者さんに投げかけます。「これは対処行動であるとボクは考えていきますが、それでいいですか」「なにかの役に立っているからやめられないんだ、と思うようにボクはしているんだけどそういう考えでいいかな」。そう言うと、大抵、本人の雰囲気に、ぱっと明かりが点く感じがあります。
>白柳
ジャネが「われわれの心理的行為はすべてわれわれを力づけるだめのものである」と書いていますけど、この目線ですね。
>神田橋
「どうぞ」と言って、診察室に入ってくると、―診察室には、患者さんやご家族のためのイスが三つくらい置いてあるのですが、本人は、その中でも離れたイスに座られます。お父さんは入り口付近で立っておられる。こういう、ボクから近いイスや遠いイスがいくつかある中で、遠いイスを選ばれる、あるいは、どこに座ったらいいか戸惑われる場合は、発達障害でなくて統合失調症ではないかな、と考えます。
>白柳
なぜ<発達障害でなくて>なのですか?
>神田橋
発達障害は、場面の選択の能力までは失われないです。人間相手でない問題についての選択能力は保たれている。
>神田橋
そして統合失調症であれば、著しく強い対人緊張の感じがあります。―余談ですが、発達障害の人はハイ・タッチが好きです。統合失調症の人はハイ・タッチが嫌いです。
>神田橋
「酒飲んで寝てます」という人の場合、どのくらい飲んでいるのか、自分に合う酒はあるのかといったことを訊いて、それで「アルコールだったら何でも」というようなら、<アルコールを飲む文化>において貧しい、とわかります。この場合、貧しければ貧しいほど、より統合失調症に近い、と想像できます。統合失調症は、自分の内側の考えとか世界は豊かであっても、現実行動については貧しい場合が多いんです。<酒を飲む>というのは現実行動でしょう。
>神田橋
そうですね。定義っぽくいうと、<人間とは、他者に無理を求める動物だ>。人と付き合いさえしなければ、ほとんどの無理は求められることがありませんから。自然は優しいよ、たとえ台風でも優しいよ、って。
※地球におんぶ
①頭を南に向けて、布団あるいは床に、うつ伏せに寝転ぶ。顔は前を見る要領で、あごを床に着ける。両手足は、Xの字になるように開き伸ばす。
②ゆったりした呼吸でくつろぐ。地球におんぶされているようなイメージ。
③口の中で、声には出さずに「0、1、2、3…」と、自分の現在の年齢になるまで数を読む。
④数が読めたら起き上がって、周りあるいは遠く(窓の外など)を眺める。
★眺めた景色が、<地球におんぶ>をする前よりも、明るくすがすがしい感じに思えたら、この気功はあなたに適しています。一日に数回、とくに起床時と就寝時にはしてください。
★数を読んでいる最中の苦しさが軽くなってきたようなら、「0歳、1歳、2歳…」と<歳>をつけてしてみて下さい。 -
架空の事例を用いての、神田橋先生の診察を紐解いていく対談形式の事例本です。対談形式なので読みやすいですが、他の文献を読んでおくと、より読み解けると思います。私は、どことなく、神田橋先生的な気質論にも感じとれました。余談ですが、白柳先生とのやりとりは、なかなかほっこりするような間合いでした、
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2階書架 : WM400/KAN : https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410163039
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神田橋先生の臨床に惚れ込んだ整体師の方が5年間診察の陪席を行い、その真髄を記録として残したいとの思いから対談形式で、「双極性障害、発達障害、愛着障害、うつ病、依存症、統合失調症」の診断と治療について伝えられている。神田橋先生のこれまでもコツシリーズがギュッと凝縮された本で、一般的ではないが臨床的には有用なコツが詰まっている。先生が編み出された養生法には追いつけないが、経験的には理にかなっている方法なのだと思う。少しでも吸収していきたいものである。