ぼけと利他

  • ミシマ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784909394750

作品紹介・あらすじ

ぼけは、病気ではない。
自分と社会を開くトリガーだ――

ここを出発点に始まった、美学者と「宅老所よりあい」代表の往復書簡。その到着点は…?
二人の「タマシイのマジ」が響き合った、圧巻の36通。


自分のしたことが本当の意味で相手のためになる、というのは、おそらく私たちが思うよりもずっと不思議で、想定外に満ちた出来事なのでしょう。ほとんど、奇跡だと言ってもいい。――伊藤(はじめに)

お年寄りたちは、思想信条に依らないアナキズムと、人格や宗教に依らない許しを発揮し、場をつくり始めると言えるでしょう。そのように時折シンクロします。大方は揉めながらバラバラのままに一緒にいる。いるしかない。なんか、まじめで滑稽でしょ。好きなんです。――村瀨(3通目)

感想・レビュー・書評

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  • 伊藤亜紗さん×村瀨孝生さん「ぼけと利他」(1) | みんなのミシマガジン
    https://www.mishimaga.com/books/yomu-mslive/002497.html

    補 ヒントいっぱいのQ&A|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
    http://igs-kankan.com/article/2022/08/001419/

    ぼけと利他 | 書籍 | ミシマ社
    https://mishimasha.com/books/9784909394750/

  • 伊藤亜紗さんと村瀨孝生さんの往復書簡の書籍化。

    伊藤亜紗さんの本は「体はゆく」に続けて2冊目。「体はゆく」はとても興味深かったけれど、まだ伊藤亜紗さんが伝えようとしてくれていることをちゃんと理解していないと感じたんですよね。

    そして、この本も、とても興味深かったけれど、やっぱりちゃんと理解できていないというモヤモヤが残りました。


    往復書簡の相手の村瀬さんは、福祉大学を卒業した後に特別養護老人ホームに勤務し、その後「宅老所よりあい」を立ち上げたという方。この施設についても詳しいことは調べていないのだけれど、在宅を基本として、デイサービスという形で認知症のお年寄りの介護を担っている施設、ということなのかな?

    書名に「ぼけ」という言葉を使っているのは、「認知症」という名称を使ってしまうと、「疾病」として扱っていることになるからとのこと。ボケていくのは、年齢が高くなれば自然なこと。それを病気扱いするのは変なのではないか、ということらしい。

    そして「利他」。他人のためにする行為。

    この往復書簡は、利他に関するイベントで、利他とお年寄りの介護になんらかの関係があるんじゃないかというようなことを発言したことから企画が立ち上がったとか。


    この本を読み進めながら、私の「利他」に対する解像度が低すぎて、「ぼけ」と「利他」の関係性についてには至ることができないなーと思っていました。

    とはいえ、それぞれのエピソードでは、共感できるものや、新たな発見を得られるものがたくさんあって、読んでよかったな、と思っています。

    村瀬さんが関わっているお年寄りたちのケアの話や、伊藤さんが仕事で関わってきた身体障害者の方々の話。どれも考えさせられるものでした。

    「利他」の解像度は低いままだけれど、介護する側が、介護される側の利用者に対して「利他」を行っているだけではなく、その関係性の中で、ある意味、利用者(介護される側)が、介護する側に対して「利他」的な行動※をしていると考えられるのではないか、というような解釈をしているところがいくつかあって、それがとても興味深かった。
    (※身体的な行動でない場合もあるが)

    第三者から見える「利他的行動」と、当事者の間にある「利他的な動き」が違うのではないかという考察。実際に「介護」という現場を知っているわけではないけれど、普段の人間関係においても、一方的な「利他」というのはないのではないか、とか考えさせられました。



    読み始めてから気がついたんですが、私は「往復書簡」という形式の書籍が割と苦手かもしれません。「利他」という概念の解像度が低いことも相まって、私の中で「まとめ(結論?)」が作れませんでした。

    もう少し「利他」に対しての解像度を上げないと理解できないのかも。

    とはいえ、ここに書かれているさまざまなエピソードは心に響いたし、なにかわからないけれど、なんとなく心の中に降り積もった断片的な想いは蓄積された気がします。

  • 実は1回、読むのを挫折している。村瀨氏の本は好きなのに。

    NHKラジオの「著者からの手紙」で、伊藤氏のインタビューを聴いて改めて読むと、なぜか今度は2人の会話に乗っかることが出来た。

    なかなか言葉にしにくい(表現しにくい)ことが、次から次へと具体的な言葉となって繰り出されることにただただ感心する。

    こんなふうに、物事を解釈できる、感じられるようになりたいと思う。

    利他、最近方々で耳にするけれど、この本を以てしてもまだまだ理解するのは難しい。けれど、知って行こう。

  • 付箋をたくさん付けながら読んだ。おふたりの、ひとつのことに対する考えの深さ、言葉の尽くし方がすごすぎて戦慄を覚えるほど。しかも言葉の使われ方が、自分の考え(正当性)を主張するためではないのがよかった。

  • 利他とはどういうことかを、お年寄りの「ぼけ」をもとに考える。突飛なようで、実に哲学的で深い内容。意図的にやったこと、意図しないこと、何が人のためになるかはなってみないと分からない。
    ケアの教科書としても興味深く、出てくる実例に思わず笑ってしまう。

  • 手紙のやり取りという形式がとても新鮮でそれぞれの視点だけでなく、書き口調や目の付け所も異なっていた点が面白かった。

    また、ぼけとどう接するかというテーマに関してはなかなか答えはないし、自分自身の中ではまだ理解が深まった感じはしなかった。

  • 伊藤亜紗さんの書簡が肉声のようだ。タマシイを持って聞こえてくる。老人介護の話かと思っていたら全然違っていた。人間の、こころと身体の話だった。いくつかの文章を声に出して朗読してしまった。すばらしい本である。

  • ぼけについての認識が変わる。

  • 往復書簡というやりとりが面白い。それぞれのフィールドで独自の活動を続けるさすがのお二人なので、お互いの文章に対して「ここを拾って光をあてるのか!」という驚きがある。

    村瀨さんは本書の紹介文で「お年寄りがアナキズムを発揮する」と書いているけれど、村瀨さんの活動(宅老所よりあい)自体がアナキストとしての取り組みのように感じた。理性のはたらかないぼけた頭と、自分の思い通りにいかなくなる身体と付き合う中で、ほんとうの自由に近づくこころみ。
    理性を手放した身体の中にこそ、その人の「ほんとう」があらわれる。

  • 2人の手紙のやりとりが1冊の本になっている。僕の母は、それほどぼけることもなく亡くなった。父は、身体が思うように動かなくなって、先に入院してしまったので、僕はぼけている父をそれほど実感することはなかった。妻の母が、義父がぼけて困ると言っている。年末年始、合計1週間くらいしか一緒に過ごさないので、僕にはそれほど大したことには思えない。同じことを何度も聞いてしまうとか、自分が薬を飲んだかどうかを忘れてしまうとか。とりあえず、運転免許は返上したので、その点での心配はなくなっている。本書を読んでいると、レベルの違うぼけ方が登場する。汚れたオムツをベッドの柵に干しているという話。夜中のテレビでそれを乾かそうとしている。すごい発想だし、それに気づく方もすごい。徘徊する老人に付き添う職員の大変さ。そりゃ、トイレにも行きたくなるでしょう。老人が動かした商品を元の棚に戻す。店員にもあらかじめ断りを入れておく。まあ、大変な仕事なわけだ。しかし、考えてみると、そういう仕事をしている人は何だか「生きている」という実感がする。デスクワークで情報だけを動かしているのとはわけが違う。ケアする方も、ケアされる方から何かを得ている。生かされている。効率なんか考えずに、どろくさく、生のお付き合いができると良いのだろうな。これは、きっと教育でも同じことなんだろうと思う。ブロッコリーをどうしてもブッコロリーと言ってしまうというおばあさんが探偵ナイトスクープに出ていた。小さな子どもにも同じような間違いがある。脳は次第に生まれたころの状態にもどっていくのかもしれない。しかし、何十年と生きてきたその歴史の重みは忘れないでいたい。ところで、伊藤亜紗さんの手紙には探偵ナイトスクープ案件がいくつもあった。工場の駐車場らしきところに置かれた物体の数々。ときどき配置換えもある。なぜ、何のために置かれているのか。新聞紙で作った兜をかぶって、雨の中駅から出て行ったおじさん。そして、伊藤亜紗を伊藤亜砂と確信犯的に間違って手紙を書いてよこしたばあば。もう、伊藤亜紗まつりで、1日で3本まとめて解決してほしいですね。伊藤さん、依頼してみませんか? (それと、内田先生の「複雑化の教育論」(東洋館)のときにも書いたけれど、どうしてノンブル(ページ番号)がノド(本の内より)に入っているのだろう。見にくいと思うのだけどなあ。)

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著者プロフィール

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』『記憶する体』『手の倫理』など多数。

「2022年 『ぼけと利他』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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