思索紀行 ――ぼくはこんな旅をしてきた

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  • 書籍情報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (510ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784915999130

感想・レビュー・書評

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  • 立花隆はある時期を境に大きく変わったのだと思う。本多勝一と同じかもしれない。巨匠になりすぎて、他からの批判を受け入れることが出来ず、世界のすべてが自分が理解するように出来ていると勘違いし始めるのである。自分が理解出来ないことは、起こっていない事になる。この本を読んでいて、そんなことを思った。

    すべて雑誌に発表されたものの再録なのであるが、初期のルポは今にも通用する時代性を帯びているが、95年頃以降かなー、ひどいものである。パレスチナの報告は素晴らしいし、今の僕にとってもいくつもの発見があったのだが、2001年の自爆テロの研究はひどいものである。ある意味、「ユダヤの陰謀」と同程度にひどい。過去の知識による思い込みだけで、その場で現実に起こっていることへの理解がないし、受け入れることが出来ない。

    世界は立花隆の脳よりもずっと広いのである。80年代までの立花隆は確かにすごかったのだ。

  • この本を初めて手にとったときの第一印象は、
    かなり分厚いので、読み終えるには一ヶ月くらいかかってしまうかも。
    実際は1週間で読めてしまった。
    あっという間だった。

    第3章「ガルガンチュア風」暴飲暴食の旅を読み進めていくうちに、
    ワインが飲みたくなってたまらなくなった。
    しかも、禁酒中だけにつらかった。

    ワインの魅力や価値を100%味わうためには、
    ワインの知識をもっと深めないとダメということがよくわかった。

    ワインの知識はなくとも、
    飲んでみて美味いと思ったらそれでいいじゃんと思っていた。
    しかし、それだけではワインの魅力を百万分の一もわかったことにならない。
    ぜひフランスに行って、飲み比べして、
    同じ地方でも畑の土壌によって味がぜんぜん違ってくることを、
    自分の五感を駆使して実際に体験してみたいものだ。

    第13章の「ニューヨーク'81」も興味深かった。
    ワシが初めてこの地を尋ねたのは1986年だから、その5年前。
    もっとも治安の悪いころのニューヨークの実態に目が釘つけになった。
    確かに当時は絶対にここの地下鉄に乗ってはいけないとよく言われていたものだ。
    隔世の感があります。

    最後の第14章「AIDSの荒野を行く」で、
    最近自分のブログに書いてきたことと共通する証言を見つけてしまった。

    自分の命が残り僅かとわかったらというエントリーで、
    タイトル通り「もし、自分の命が残りわずかとわかったら、何をするだろうか?」を考えてみた。

    エイズにかかっていることを告げられたにもかかわらず、
    死の恐怖にうち勝ち最後の瞬間まで堂々と生きていく患者もいたそうだ。
    そんな患者のコトバに生きることの本質を見たような気がした。
    エイズにかかっても、かからなくても人はいずれ死ぬ。
    我々は皆、生まれた時から死は宣告されているのだ。

    >>>

    死というのは妙なもので、
    自分は本当のところ何者なんだろう、
    自分がしていることは何なのだろうということをいやでも考えさせるんです。
    そういう意識のもとに自分と自分の生活を見直すと、
    何もかもちがって見えてきたんです。
    そういう意味で、
    ぼくは、元気だったときより今のほうが本当の意味で人生を生きているという気がするんです。
    映画を見たり、人に会ったりしても、
    今のほうがずっとエンジョイできる。
    親しい人との人間関係もずっと深いものになっている。
    いまは人生の一瞬一瞬をすみずみまでフルにエンジョイしているという気持ちなんです。
    人が生きるとはどういうことなのかを新しい目で見直すことができたという点で、
    ぼくはエイズに感謝すらしているんです。

    <<<

    >>>

    自分に残された時間はそんなにないんだということがわかったとたん、
    生きているということがどんなに大切なことかわかってきた。
    日の出を見たり、ハドソン河の流れを見たり、通りを歩く人々を見たりするたびに、
    そういう一つ一つのことがなんて素晴らしいことなんだろうと思えてきた。
    自分がここに生きており、
    それを見ているということ自体が素晴らしいことなんだと思う。
    生きている者にとって、生きてるということ自体が素晴らしいことだ。
    そう思ってみると、これまで見慣れていたものがみんなちがって見えてきた。

    <<<

    自分の命が残りわずかとわかったら、
    いろんなものがちがって見えてくるし、
    自分にとって大切な物が何なのかがわかってくる。
    わしもいろいろ考えてみたことなので、
    それは確かであります。

  • 『田中角栄研究』などで有名な立花隆氏が書いた紀行本。
    紀行本とは言っても、いわゆる旅行記とは違い、立花氏が旅をしながら様々な事を思索した記録。
    旅行中に、イスラエルで岡本公三(日本赤軍メンバー)の裁判の取材するから取材費をくれ、と日本に連絡するあたりが、普通の旅とは違う。

    歴史好き、国際政治好きな人にはお勧め。気軽な旅行本と思って読むと重いかも。ボリュームもすごい。

  • 『ヨーロッパ反核無銭旅行』が面白かった。
    これを読んで『二十歳のころ』という本を作った理由がわかった。

  • ふむ

  • 2019年7月25日読了

  • 立花隆氏の未発表紀行文などを集めた本。冒頭の「世界の認識は「旅」から始まる」が圧巻。400p、全14章のうち、この序論だけで80p近くとっている。「この世界を本当に認識しようと思ったら、必ず生身の旅が必要になる」という思いを、自身のさまざまな旅の局面を切り取りながら、重厚に語っているためだ。
    とても引き込まれる。何度読んでも飽きない。
    それは僕が旅を欲しているためでもあるし、立花氏の論考が「今」を歴史、宗教、民族、思想などラディカルな点からスタートして数十年経った今でもたぶん今後十数年も色あせない力を持っているからだろう。

    例えば、P022にある出エジプト記(3・14)。シナイ山での啓示の箇所(これは知らなかった)。
    以下一部引用。
    燃え上がる柴の間から神の声を聞く。「ここに近づくな。汝の足のはきものを脱ぎ捨てよ。ここは聖なる場所である。わたしは、あなたの父の神である」「わたしはある。『わたしはある』というものだ」I AM THAT I AM.I AMがヘブライ語で「ヤフヴェー」であることから、神の名が「ヤハウェ」。
    西洋哲学の伝統において、「私は存在する」と断言できる者は神のみであるとする存在論の基本命題はここから生まれてくる。

    また立花氏が特に重視する、シナイ、パレスチナの旅。
    P294からのパレスチナ報告はもう30年以上も前のルポだが、いまでも参考になることが非常に多い。
    例えば、次のような論考。
    (当時の)若者のユダヤ教からの離反が起こっている。それはユダヤ人意識が希薄になったため。
    その理由はイスラエルがユダヤ人の国だから。
    ユダヤ人意識を構成していたのは、内からの宗教文化共同意識と外からの特別視・差別・迫害によってもたらされた集団的防衛意識の二つの意識。
    それがユダヤ人国家になったために後者がすっぽりなくなってしまった。
    パレスチナで生まれ育った若者は前者はわかるけれども後者は理解できない。
    パレスチナ以外にコミュニティを作っているユダヤ人、ディアスポラは前者も後者も理解できる。
    同じユダヤ人でも彼らの中で断絶が生まれている。
    という展開。

    P321から続くアラブ人が民族的に一つでないこと。
    ちゃんと整理してまとめておきたいほど。つか、すぐにでもまとめたい。
    いまのアラブ諸国のパワーバランスの根底にこれらの民族的背景があるという視点も必要。

    ただ、惜しむらくは「第5章 ヨーロッパ・チーズの旅」が未完で終わっていること。
    しかも旅の最初のほうをちらっと書いただけで終わっている。本書で40Pほど。
    きっと1000Pを超えるルポになっただろう。でも一気読みできるほど面白かっただろう。

  • 立花隆の感性を知ることができ、こんな風に思索に満ちた旅をしたいと思えるようになる。

  • 【内容】
    旅をして経験して思うあれこれ。
    投げやりに言えば世界中について。

    【類別】
    随筆、紀行、対談の要素。

    【着目】
    全6部、全14章。これらとは別に約80頁の序論部があります。序論はまさに旅のように連続性を持った、話題転換の目まぐるしい構成です。
    経験に基づき気ままに主張を述べる種の筆者ですので確かなものの摂取に重きを置く人にはお薦めせず、また、音楽の深い解釈を求める人にもお薦めしない、そして厳密な政治的中立でないと許せない人にもお薦めできない著書です。一方で、多くの土地を実際に歩いた人間の幅広い着目点に触れたい人へは強めにお薦めします。
    次に挙げるものは本文にて作品内容へ触れられています。フランクリン・J・シャフナー『猿の惑星』、スターン『センチメンタル・ジャーニー』、ローランド・ジョフィ『ミッション』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、他。
    頁316「イスラエルの若者たちとパレスチナ問題を議論していると、たいてい、「じゃオレたちにどうしろというんだ。オレたちはここで生まれ育ち生活してるんで、他にはどこにも行くところがないんだぞ。アラブが攻めてきたら、死ぬまで戦うほかないじゃないか」と興奮して叫びだして終りになる」により、"憤怒性錯乱"という語を着想。

    【備考】
    このレビューは第1版第1刷に拠っています。
    2009年に贈られていたものを繙読しました。

  • 立花隆さんの、旅から得た知識・認識・教訓が詰まっています。序論にある「世界の認識は旅から始まる」ということを私はまた十分体感できていませんが、この本は机上の学問だけでは決して得られないことがあるということを教えてくれます。
    フランスのワインを巡る旅や、NYの同性愛の現場を巡る旅など、スリリングな旅の裏側にある立花さんの好奇心がこちらにも伝染するようです。

    この本は、立花さんがこれまで雑誌などに執筆した原稿をまとめたものになっています。それぞれの章が執筆されたのはほとんどが1980年代で、2000年代のものは一つだけ。しかも、旅自体はそれよりも前に行われているため、2014年現在からは20年近くの隔たりがあります。

    立花さんが訪れた旅先の今の状況はどうなっているのか。この本の続きは自分自身で体感してみたいと感じました。

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著者プロフィール

評論家、ジャーナリスト、立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授

「2012年 『「こころ」とのつきあい方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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