ノンフィクションにだまされるな! 百田尚樹『殉愛』上原善広『路地の子』のウソ (モナド)
- にんげん出版 (2019年12月26日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784931344501
感想・レビュー・書評
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ノンフィクションには明確な「対象」がある。人物・組織・事件・歴史・冒険・タブー等々。ライターは資料・文献を渉猟し、取材対象を絞り込む。高明なライターならスタッフも抱え、出版社の協力もあり分業も成り立つ。しかし、それは例外中の例外。大抵の取材は単独で行う。テーマが難題であればあるほど岩盤にぶち当たり暗礁に乗り上げる確率は高い。眼前に立ちはだかる壁にあの手この手を使って足場を見つけ、ハーケンを打ち込み、情報源にたどり着く。気の遠くなるような取材の積み重ねが事実誤認を減らし、真実が事実に近づき、テーマが浮き彫りとなる。と、読者側はそのようなプロセスを経てノンフィクションが編まれると思っている。
本書は、あにはからんや、そうではなくて「『なんちゃってノンフィクション本』がありますねん」と2冊を俎上に載せる。
ひとりは売れっ子作家 百田尚樹。もうひとりは大宅壮一ノンフィクション大賞受賞作家 上原善彦。
結論から言えば、上原善彦の方がはるかに悪質。百田尚樹の場合は、たかじん未亡人の献身的看護を詳細に記したノートを前に、時に涙ながらの告白にイチコロに籠絡され鵜呑みにし、裏付け取材はスルー。そこに持ち前のいちびりの性格と小説家としてのストーリーテリングが加わり、ツッコミ放題のノンフィクション本が生まれたと見る。
上原善彦の「路地の子」は上梓されて即読んだ。部落出身だからこそ描ける克明描写に圧倒され、一気に読了。その興奮醒めやらぬ状況で感想も綴った。
【著者の指摘】
ノンフィクションでありながら、主人公はおろか登場人物のほとんどが仮名というのはあり得ない。冒頭の所謂「ツカミ」に当たる屠場で主人公が牛刀で追いかけ回した相手の経歴は極道出身と記述。実際には暴力団に加入しておらず、虚実ない混ぜの箇所が多数。それどころか実在していない架空の人物が登場し、父親の凄さを語らせていたり、とにかく作り話が多数。
著者の視点は、出版社にも向けられる。新潮社の校正は厳しいと定評があるにもかかわらず、編集者も校正担当者も十分な裏付け確認をしたとは言えないお粗末ぶり。
タブーやアンタッチャブルなテーマを前にし、編集者が手をこまねいたのか、読者と変わらぬ同レベルの乏しい知識、リテラシーを有していない。むしろそれを恥じるどころかあくまでも売らんかなの出版社、作家に盲従する編集者、矜恃のないライター。この三者が連衡し、なんちゃってノンフィクション本が生まれた。
まぁ、とにかく呆れました。これが小説なら「大阪府南部 更池を舞台にした真実を凌駕する日本版『血と骨』。凄絶に生きた男の怒涛の半生」そんな惹句が踊ったんでしょうに。
あくまでもノンフィクションの体裁にこだわり、編まれた罪深き本。まさか耽読した本のダメっぷりの答え合わせをするような読書になるとは。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新聞の書評欄でその存在を知って、入手するに至ったもの。これはもう、タイトルからして読まないとって感じ。基本、ノンフを読むときには、『嘘がない』って大前提で取り組んでいるけど、まさかそれが怪しいとは…。百田に関しては、普段の言動からしてまるで出鱈目だから、そもそもその手になる作品を読もうという気が、もはや自分にはない。したがってここに書かれていることも、何とも情けない気持ちにはなるけど、まあむべなるかなっていう。でももう一人の上原に関しては、申し訳ないけど全く知らなかったので、もし先に絶賛書評を見てしまっていたら、うっかり手にして、そして信じてしまった可能性は高い。結局、最後の対談でも触れられているように、自分の専門以外の分野で、ノンフの嘘を見抜くのって、かなりハードルが高いと思える。実際、HONZメンバーですら、後者には騙されちゃってる訳だし。寧ろ、その分野に疎いからこそ、ノンフを手に取るっていうニュアンスもあるんだから、そこはもう、作り手の良識を信じるしかない気がする。各分野において、それを嘘と見抜ける本作者のような人が、出鱈目を出鱈目と告発していくしかないのかも。ノンフも好きで、いろいろ読みたくなるだけに、識者に頑張ってもらいたいという気持ちを強く抱きました。
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「ノンフィクション風味の三文小説」を2作紹介。
読者のリテラシーがいかに大事かよくわかる。
関西に住んだことがある私としては、「路地の子」に出てくる解放同盟と共産党とヤクザが互いに手を組んだり敵対したりというのはあり得ないというのを知ってる。
でもそれを知らなければ「部落の人間ならそれくらい金に汚いことをするだろう」という差別意識を煽られて「これはスゴい。タブーに切り込んだノンフィクションだ!」と激賞するのだろう。 -
●やしきたかじん、純愛。百田氏は後妻のさくらさんしか取材して無いにもかかわらず、周りの実在する人物を悪者の様に記載して訴えられた。ノンフィクションでは無い。
●たかじんさんの父は在日一世であり、彼の人生に大きな影響を与えている。
●さくらさんは今回が4度目の結婚。たかじんの死後、介護等の業務委託契約があったと主張。月500万2年の1億2000万。純愛?
●実はたかじんが最期を迎えるにあたって、最も頼りにしていたのは前妻であった。
●上原善広、路地の子。間違いが多い。架空の団体が登場するのにノンフィクションとはこれいかに。
●部落解放運動が、1部の利権を生んだのは事実である。しかし更池で部落解放運動が浸透していった大きな要因の1つは、劣悪な住宅事情を抱えていたからである。
●筆者は小学校1年生の時に部落から引っ越しているので、地元のことを知らなくても不思議ではない。
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20/02/01。
2/4読了。 -
今更、「売文屋」百田氏(これは誉め言葉)や「売名野郎」上原氏のノンフィクションに分類されてしまった書き物の揚げ足取りをやっても何の意味もないと思われるので、1・2章は読まなくてもよい。3章の西岡氏との対談はそれなりに面白かった。が、まあ当たり前のことしか書いてないな。
ノンフィクションと呼んではいけない書き物が登場するのは、やはり売上至上主義のバカ出版社と、意識レベルの低い編集者が増えたからだろう。本物のノンフィクション作品が質・量ともに減っていくのは大変寂しい限り。