浜辺の誕生: 海と人間の系譜学

  • 藤原書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (752ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784938661618

作品紹介・あらすじ

怖れと嫌悪の淵源、怪物の棲みか、『聖書』解釈の場たる混沌の世界から、「浜辺」を奪還した。海と空と陸の狭間、自然の諸力の鬩ぎあう場浜辺はの歴史に何をもたらしたのか?自然神学・医学・生物学・地質学らの言説と、絵画・旅行・海岸保養の流行・社交界の卓越化の戦略等の複雑ないりくみあいの中から、浜辺での「魂の医術」、身体と海との新しいハーモニーを見いだしたの諸快楽が、「浜辺リゾート」の誕生へと収斂していく様を、壮大なスケールで描く。感性の歴史学、最高の到達点。

感想・レビュー・書評

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  • 1999年に『季刊地理学』に掲載した文章を転載。

    本書の日本語訳が出版され,評者は非常に興味を持っていたが,その価格の高さと頁数の多さに今まで手を出すことができなかった。年月を経て,ようやく本書を手にし読破したが,当初の期待を決して裏切ることのなかったこの書をここで紹介したい。
    著者は『においの歴史』や『娼婦』の日本語訳(ともに藤原書店刊)で知られる,フランスの歴史学者である。早速ここで,あまりに懲りすぎて本書の筋を分かり難くしている章構成を示してみよう。
    第?部 未生の経験とざわめく欲望
    第1章 恐れと嫌悪の淵源
    第2章 浮かびあがる讃歎のかたち
    第?部 あたらしい愉悦の輪郭
    第1章 身体と海の新しいハーモニー
    第2章 世界のはらむ謎を読み解く
    第3章 鮮烈なる驚き
    第4章 うつろう道筋
    第?部 錯綜する社会情景
    第1章 港見物
    第2章 砂浜の百科事典
    第3章 透視画のなかの登場人物たち
    第4章 海岸の悲壮美とその変容
    第5章 浜辺リゾートの創出
    むすび
    方法をめぐるノート
    附録「めくるめく輻輳」
    原著の表題を直訳すれば『空虚の領域――西欧と渚への欲望 1750-1840年』となる本書の内容を,日本語への序文から著者に語ってもらおう。「本書は西欧における感受性の歴史に踏み込んでいます。自然をめぐる表象システムと評価システムとを分析しようという試みです」(p.2)。近年,場所や風景をめぐる文化地理学の動向は目覚ましいが,今日では当然視されている浜辺に人々の足を運ばせるという行動様式を決定づけてきたいくつかの歴史的契機を丹念に辿る本書の作業から我々が学ぶところは大きい。
    著者は特に1750年から1840年のという時代に焦点を当てるわけだが,この時代に海に対する人々の感受性に何がおこったのだろうか。第?部では,古典主義時代における海に対する否定的な感情から始まり,風景への欲望や愉悦が生み出される啓蒙時代を通じ,徐々に海辺の風景にも目が向けられる様子が概観される。聖書や創世神話,地球理論における海の表象は,我々の住む大地を変形させるような力と動きをもった膨大な量の水として,あるいは数々の海獣の住処として恐れの形象として描かれた。医学的にも海の発散する有害物質などが報告された。しかし,この当時においても海に対する感情は否定的なものばかりではない。航海に対して海は時に脅威を振るうが,穏やかな時は神の力の感謝,というわけだ。海に生息する生物も神の創造物として賞賛される。こうした神学に基づく表象体系は18世紀半ばを境に消滅するが,海に対する肯定的な感情が勝ってくるのもこの頃である。オランダ派の海景画が海をではなく浜辺を美の対象と変化させたのと同時に,海と結びついたオランダという国への旅行が流行した。
    第?部では,こうした海や浜辺に対する感情の変化から生まれた海や浜辺での新しい行動様式の歴史が辿られる。ここで大きな原動力を与えるのが医学的言説であり,美的対象としての浜辺でのそぞろ歩きは海水浴へと変容する。運動,水温,塩分,空気といった浜辺のあらゆる要素が健康のために良いものとされた。オースティンの『エマ』などを読んでいると,その健康オタクぶりに嫌気がさすほどだ。一方,浜辺をめがけて人が押し寄せればそこで問題が生じる。性的なものや階級的なものだ。フィスク(1998)が分析したような「ビーチの記号論」がかつても成り立ったのだろうか。
    さて,浜辺を訪れるのは保養客や旅行者に限らない。科学者達も海と陸の境界である浜辺に地球を解明しようとやってくる。彼らによる観測を期に,自然誌=博物学が地質学や生物学,化学へと分岐していく。これはフーコー(1974)が描いたエピステーメーの変化であり,形態による分類から機能や過程への変化である。また,文筆家や画家もまた,その対象を求めて浜辺へやってくる。映画『アルテミシア』でも浜辺でデューラ流の画法を試すシーンが登場する。浜辺が美の崇高な対象として描写されるにつれて,浜辺への旅行は「観光ツアー化」(p.275)されるまでになる。
    そろそろ問題が起きてもよさそうだ。人々は海の力を借り,あるいは海で汚れを落とすことで活力を取り戻すのだが,その結果,海の方が活力を失い,人々の汚れで汚染されるようになる。ここでも科学的な言説の力を借りて海への嫌悪感を生む。しかし,様々な問題を抱えながらも,浜辺への欲望は耐えることなく現在まで続くのである。大衆のレクリエーションの場として,作家や風景画家の表象の対象として,(特に英国では)国家の領土を定める測量の場として,人類学者が研究対象とした沿岸地域の人々の生活の場として,人々は様々な形で海,そして浜辺という場をスペクタクル見世物として,そしてタブローとして描いたのだ。新聞や雑誌が普通に流通しているこの時代においては,海にまつわる全てが一つのまとまりある言説形成に一役買う。例えば,座礁事故は絵画の主題にも小説の一ジャンルにもなる。恐怖は人々を海から遠ざけるのではなく,より海に目をやらせるのだ。
    最終章「浜辺リゾートの創出」はいかにも地理学者の好きそうな主題だ。ここは是非読んでいただきたいが,一文だけ引用してみよう。「合理的な施設をほどこされた浜辺,上流階級のためのリゾートでは,岩あり,緑あり,砂ありの豪華絢爛たる劇場のただなかに観客を据え,手を変え品を変えては感動の誘導,統御,盛り上げが仕組まれる」(505-506)。1830年代の話だ。海を見渡す高級住宅が立ち並ぶ当時の風景画には驚かされる(26所収されている図版も楽しい)。
    本書は厚く確かに読むには労力が必要だ。しかし,その歴史記述の技術には感服せざるをえない。最後に,本書の方法についての著者の言葉を引用しよう。「風景というものはイメージの送風機であり,風景から送りだされるイメージ群を利用すれば,意識的な領域から無意識的な領域へと滑らかに移りゆくことができる。またトポ−アナリーズ場所−分析からは,感受性の反応をひき起こすさまざまなシンボルがうみだされる」(p.544)。
    最後に本書の作りについて一言。歴史書の訳本はとかく注の煩雑さにうんざりする。しかし本書においては門外の者にも丁寧で簡潔な訳注を当該頁に,原注は最後にまとめてあり,比較的読みやすい。また冗長な訳者あとがきではなく,附録としてコルバン自身のフランス歴史学内での位置を理解できる小文が掲載され,これまた門外漢には嬉しい。「訳者あとがき」からは,こうした丁寧な本作りをしていただいた訳者の人柄が感じられる。さて,コルバンの本は続いて『人喰いの村』,『音の風景』が翻訳され,さらなる風景・場所研究の深化が期待できる。またゆっくり読んでみたい。

    文 献
    フィスク, J.著,山本雄二訳 (1998):抵抗の快楽.世界思想社.
    フーコー, M.著,渡辺一民・佐々木 明訳(1974): 言葉と物――人文科学の考古学――.新潮社.

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著者プロフィール

●アラン・コルバン(Alain Corbin)
1936年フランス・オルヌ県生。カーン大学卒業後、歴史の教授資格取得(1959年)。リモージュのリセで教えた後、トゥールのフランソワ・ラブレー大学教授として現代史を担当(1972-1986)。1987年よりパリ第1(パンテオン=ソルボンヌ)大学教授として、モーリス・アギュロンの跡を継いで19世紀史の講座を担当。著書に『娼婦』『においの歴史』『浜辺の誕生』『時間・欲望・恐怖』『人喰いの村』『感性の歴史』(フェーヴル、デュビイ共著)『音の風景』『記録を残さなかった男の歴史』『感性の歴史家 アラン・コルバン』『風景と人間』『空と海』『快楽の歴史』(いずれも藤原書店刊)。叢書『身体の歴史』(全3巻)のうち第2巻『Ⅱ――19世紀 フランス革命から第1次世界大戦まで』を編集(藤原書店刊)。本叢書『男らしさの歴史』(全3巻)のうち第2巻『男らしさの勝利――19世紀』(2011年)を編集。


「2017年 『男らしさの歴史 Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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