- Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
- / ISBN・EAN: 9784946509117
感想・レビュー・書評
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図書館所蔵【114MA】
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実ははじめて読んでいろいろショックを受けている。そうなのか!内容はまあおだやかな内省的哲学エッセイ、っていっていいと思う。宗教色はそれほど濃くない。まあこれは「愛」の哲学の本だわ。1970年ぐらいってこういう試みがいろいろなされてたってことかなあ。
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背ラベル:114-メ
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<シラバス掲載参考図書一覧は、図書館HPから確認できます>https://libipu.iwate-pu.ac.jp/drupal/ja/node/190
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言いたいことは分かるんだけど、何故そう言えるのかという正当化?論理?がなくて、すっきりしない。裏を返せば、分かる人には分かるというやつかと。
ケアとは自己の成長を促進する行為でもある。
他者へのケアのためには自己へのケアが必要で、自己のケアのためには他者へのケアが必要、という相補的関係への言及が面白い。他者の自律を積極的に望むのだから、依存とは明確に違う。(現象学を勉強すれば、すんなり理解できるのかもね)
ケア労働をしている人なら実感としての理解はできると思う。
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本は脳を育てる:https://www.lib.hokudai.ac.jp/book/index_detail.php?SSID=620
推薦者 : 松田 康子 所属 : 教育学研究院
本書は、MILTON MAYEROFF著 On Caringの訳書です。対人援助職にとどまらず、すべてのケアの担い手にとって、ケアの営みにおいて常に立ち戻るべき本質が示されており、哲学書にしてはやさしい言葉で綴られている書物です。日本語も英語も一見すると、平易な言葉が並んでいるのですが、何度でも噛み締め味わうことができる論考です。高等教育機関において、「すべての学び手に」としてオススメしたい点は、メイヤロフが、ケアの対象を人のみならず、芸術、概念、理念というものにまで広げて考えているところです。メイヤロフは、ケアリングとは、ケアの受け手が他の誰かをケアできるようにすることである、と述べています。このことを、研究成果にあてはめていく想像力を、推薦者としては、すべての学び手に持ってほしいと思っています。自身の研究成果は他の誰かをケアしていくだろうか。他の誰かの成長や幸せの連鎖に寄与していくだろうか。研究者としての倫理観の醸成までをも、本書は視野に入れていると思います。 -
ケアの相互性、場の中にあること、副題でもある、生きることの意味
ケアはスキルじゃなくて、でも同時に深い知識や知恵などの能力を求めるものだということが丁寧に丁寧に書かれている -
請求記号 WY85-MAY
https://opac.iuhw.ac.jp/Otawara/opac/Holding_list/search?rgtn=018723
ケアとは何か、人が人をケアする意味は何か。少し難解な部分はあるが、それ以上に、対人援助職に就く私たちがケアすることを考えるための要素が詰まった思考のための一冊です。 -
ケアという言葉は看護や介護の業界のキーワードだ。しかし、この本のいうところの”ケア”は、解説にあるように「ケアの持つ意義を、単に医学と看護学の充実・進歩、治癒力の強化、あるいは学習の向上、福祉の拡大に求めるのではなく、ケアの動態と過程、すなわちケアそのものに見いだしている」(p228)として、それにとどまらない内容をもっており、看護や介護業界の人間以外にも意義深いものだと捉えられている。
しかし、私はむしろ看護師やヘルパー、相談員などの仕事でケアに関わる人間はこの本の内容を自分たちへ向けられたものだと思わないほうがいい。ましてや実行できるなどとは考えないほうがいいと思う。
実際、この本で看護師などが取り上げられることはまずない。あるとしても、ケアには専門的な知識が必要だと説く箇所くらいだ。取り上げられる多くの例は、人へのケアには親子、アイディアや作品に対するケアには哲学者(著者は哲学者だ)や芸術家が挙げられる。こういう人たちは長期間にわたって”ケア”に取り組める人たちだ。長い時間をかけて同一の対象をケアし続けるというのは、仕事でケアに携わる人には与えられ難い条件だ。また、著者はケアする相手に「ケアを受容する能力」(p75)が必要だと考えているが、看護師やヘルパーは、そのような能力がない人を相手にするのが往々として求められている。
それでもこの本を読む価値というのは、”ケア”という哲学的な概念が、人間や人生に対する洞察を深めてくれるからだ。この本を読もうと思う看護や介護の職業人は、一度自分の仕事と距離を置いて、より広い、一人の人間として視点から”ケア”の意味を取り出さないといけないのではないか。