取材型のエッセイ集、視力を失った友人、離婚したシングルファーザー、見習い女優などざまざまな人に話を聞き、悩みや不安にどう向き合って生きているのかを、鮮やかにまとめている。そこから浮かび上がるテーゼは「人は自分でつちかってきたやり方によってのみ、困難な時の自分を支えることができる」(P19)。と、言えるだろう。
 苦しんでいる人に寄り添うのは難しい、苦しいのは本人だけではない。それを見ている他人も目を背けたくなり、酷いことに、本人を怠惰だと責めてしまうことだってある。しかし、著者は結論を出すことに焦らず、一人ひとりの物語を包み込むようにして、教訓ではない作品に仕上げている。

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カテゴリ 文学

ニュースやネットなんかで世間の事件をみていると、言葉のいちいちが厳しかったり、流行の流れが早かったりして、こういうわかりやすい、誰にでも届く言葉でかかれた宗教家の話が読みたくなる。
「物質的な欲望が増大している現代、私たちのなかには、あれがない、これもない、と『ない、ない、ない』という気持ちばかりが先行しています。また、何かを受け取っても、それは受け取ることが法律で保証されている『権利』である。または、何かの代償としてもらうのが当然のことと思ってしまいがちです。それに伴い感謝に気づけない社会になってしまっているように思います。」(P212)
「日常の小さなことにも心配りができるということは、常に心が静かで、それが日常の些事であっても、自分自身の目標へ向かうときであっても、淡々と進め、実行することができるのです。」(PP275~276)

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カテゴリ 宗教

 思弁的実在論という哲学の潮流について、気になったので手にとってみた。ということで、これをまとめる能力はないのだが、強いていえば、これは反現象学と言えるのではないか。
私たちは、何かを意識に上らせることによって知る。逆に言えば、意識と関わることなしに何かを知ることはない、というのが現象学の立場だろう。それに4人の哲学者、ブラシエ、グラント、ハーマン、メイヤスーの4人が対抗して主張するのが、思弁的実在論だ。それは、意識を離れても何かがあるという主張だ。
 この4人の内の一人、ハーマンがこの本の著者だ。この4人はそれぞれ独自に反現象学の立場に立ち、活動している。しかし、それぞれの思想も対立している。ハーマンは対象志向存在論(OOO)という立場にいる。ただ、私はこの人の説明がよくわからない。組み合わせ使った解説で、これこれの関係が時間で、これは空間…と言われても想像ができない。これは今後の課題。思弁的唯物論について興味があった部分をひとつ。
「ここで指摘しておくと、最初の四人の思弁的実在論者は、ひとりとして共通のヒーロー哲学者を分かちもたなかったが、しかし全員がそれぞれにラブクラフトのファンであったことが判明した。その理由はそれぞれの場合で様々だが、私(ハーマン)自身の関心の由来は、ラブクラフトの怪奇小説がひとつの哲学ジャンル全体のための舞台をしつらえているとの見方にある。四月二十七日のトークで述べたところでは、「昨日のラブクラフト・カンファレンスの題が示していたように、実在論は常にある意味で怪奇的である。実在論とは、私達が実在に投影したのではない、実在のなかの奇妙さにかんするものだ。実在的存在によってすでにそこにある奇妙さであり、それゆえ、一種の、常識なき実在論なのだ」(P150 )

カテゴリ 哲学

登山はスポーツかレジャーか。この疑問の答を著者はためらいながら、レジャーとしての山登りの敷居の低さにも気を配りながらも、自然を相手にするのだから、スポーツのようなルールが必要だと答える。
近所に週末、ハイキングに行く程度の私には、この本は強化しすぎな感じもあるが、自然の中に入っていく時の大事な考え方を教えられた。その中で、特にひとつ印象に残ったのは、「山登りにおいてゴー(前進)は、ある意味前提ですからね。ゴーを選択したというのは、決断を先送りしたのと同義とも言えるわけですよ。」という言葉があった。前進は当然の前提、疲れや焦りの中で気づいていなかったなと反省した。

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カテゴリ 趣味

日本で一番有名な宣教師、フランシスコ・ザビエルの残存する書簡の中から46篇を選んで収録したもの。パリ大学時代から、インド宣教、そして日本への渡航、最後のシナ宣教への挫折、絶筆までがある。
私たちがザビエル書簡に興味を持つのは、戦国時代の日本人の考え方が記されているからだろう。例えば、「彼の答へる所に依ると、日本人は直ぐに信者になることはないであろうけれども、まづ始めに多数の質問をするだろう。それから私の答と、私にどれ程の智慧があるかを研究する。そして、何よりも私の生活が、私の教える所と一致しているかどうかを検討するであろう。つまり、討論に於て、私が、彼らの質問に満足な答を與へると共に、私の生活ぶりに非難する点がないというこの二つのことに及第すれば、恐らくこんな試験期が半年ほど続いて後、国王を始め、武士も思慮のある全ての人達も、キリストへの信仰を表明するようになるであろうといふ。アンヘロの言葉に依ると、日本人は、理性のみに導かれる国民だといふ。」(P267(上巻))流浪の日本人による、自民族の良いところを見せようとする側面も多々あると思うが、当時の日本人の自己認識という点でも面白かった。
 また、聖人の信仰を知る手がかりでもある。インドのイエズス会員に当てた手紙の一節。
「自己を放棄し、自分が何者であるかを識るために、神がお與へになった悉くの意志の力を動員して、内心に好まないやうなことに於ても、自己に克つ訓練に勉めて頂きたい。それによつて一層強く神への信頼、神への愛、隣人への愛に、成長するだろう。何となれば、自己に対する不信頼から、神への誠の信頼が生まれるからである。」(P31(下巻))自己への不信頼から神への信頼に対する結実、この心の動きにリアリティを持てるか、というのがザビエルの宣教への熱意を理解できるかにあると思う。

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カテゴリ 宗教

元官僚による、社会保障に関する出版社いわく憂国の書。社会保障についてよくまとめられていて、何冊もの教科書よりも勉強になるのではないだろうか。ビスマルクから始まる社会保障の哲学、そして財政面での記述は白眉だと思う。一面、給付についての記述はざっくりしていて、給付の申請とかに役立つということを狙った本ではない。
印象に残ったのは、社会保障と経済との結びつきの箇所は勉強になった。例えば、 「『ポジティブウェルフェア』という言葉があります。社会保障を負担からだけ見るのではなく、消費や雇用、産業振興など、経済との好循環、相互依存関係をよく考えてより積極的な観点から社会保障の姿を考えよう、保護と依存ではなく、社会への参加を保障する、つまりは自立を支援するという視点で社会保障を組み立て直そう、ということです。」(p83)など。
一方で、自分たちの改革の障害となった、民主党政権への意見は厳しい。政権交代時に、「年金が崩壊する」と煽ったことと、高齢者の生活不安からの貯蓄率の高さを結びつけるよう口吻はどうだろうか。高齢者の貯蓄率は政権交代前から、ずっと高かったのに。
また、年金は崩壊しないというが、「2000万円問題」に示されたように、国民が年金制度に思っていたのは、ただ制度を継続していくということだけではなかったはずだ。

カテゴリ 社会福祉

禁欲主義的生活の教科書みたいな本。神の子でありながら、十字架にかけられたキリストというものが、後世でどういう思想に成長していったかがよく分かる。気になったところ抜粋してみる。
「自身をまず平安に保て、そうすればはじめて他人に平和をもたらすことができよう。温厚な人は、学問を積んだ人よりむしろ益するところが多い。激情の人は善をさえ悪に転じさせ、またたやすく悪を信ずる。しかし、善良で温厚な人物は、すべてを善に転じさせる。(コリント一・一三の五)」(p73)
「(キリスト)わが子よ、もしお前が私と一緒に歩もうと願うならば、このような心構えをもたねばならない。お前は喜ぶのに対してと同様に、悩みを受けるおりにも、嬉々(いそいそ)としいなければならない。また満ち足りて裕福であるのと同様に、乏しく貧しくあることを喜びとしなければならない。」(p133)
「他の人は、世間からもてはやされようが、お前のことは誰一人口にのぼせず、世に聞こえない。他の人たちには、あれやこれやと、いろんなことが委任されるというのに、お前のほうはなんの役にも立たないものと判断される。こうしたことがおこれば、お前の天性は、ときに烈しい悲しみを覚えようが、もし何もいわずに黙々としてこれを忍びおおせるならば、それは立派な徳とされよう。」(pp195~196)

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