わが青春に悔なし [DVD]

監督 : 黒澤明 
出演 : 原節子  藤田進  大河内傳次郎  杉村春子  志村喬 
  • 東宝
3.33
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988104021304

感想・レビュー・書評

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  • wikipediaであらすじを見ると、
    >GHQ占領下に民間情報教育局が民主主義啓蒙を目的に推奨したアイデア映画の一つである[1]。京大事件の滝川幸辰とゾルゲ事件の尾崎秀実を題材とし、ファシズムの時代に弾圧された教授と学生たちの師弟関係と、そんな時代に自我に目覚める女性の姿を描く[2]。
    とあって難しそうだと逡巡したが、なに、原節子を味わう映画よ。

    「白痴」の感想でも、失礼ながら原節子は「顔が恐い」と書いた。
    本作でも同様。
    導入部、その後メインとなる男2女1を中心に大学生らがピクニックへ繰り出すが、1946年当時、原26歳、藤田進34歳、河野秋武35歳。
    昔の映画を見ると、すげぇ老けた人が学生服を着込んで書生とか言ったりしていてうわっと思うが、その異様さもまた違和感の一助かもしれない。
    もちろん年齢だけでなく、その髪型どうやって作ってんのとか、その服のパツパツ具合って当時サービスったのかとか、見ていると気もそぞろ。
    が、実際原を通り一遍の貞淑さに押し籠めまいとする演出が、施されている。
    ピアノを弾いたあとに物憂げに母に応じる姿や、糸川が晩餐に来て父母と4人で野毛の話題になったときの真正面からの顔や。
    顔芸というと安いが、目力、とか、鬼気迫る顔。
    また、その一瞬後、糸川が去るのを見送るかどうか逡巡する際に、いったん自室に戻ってドアの前で迷う気持ちを表現するために、……その種の専門用語があるかどうか知らないが、同じアングルで同じ人物を、少しずつ時間が経っているのを表現する、……うーんいわば免許証のスピード写真の動画版のように表現するシーンがあるが、実に映画っぽいピクチャレスクな演出。
    この演出は本作の中で3,4回あって、……話としては、お嬢様→スパイ?の内縁?の妻?→農家へ、という転変を経て、農作業に固執するところでも、また。
    農村に受け入れられるまで、という時間経過を表現。
    また、よく考えたら、腹が手にするのは、ピアノ→都市の自立した職業婦人としてタイプライター→内縁?の夫?の本業に目を瞑って裁縫の針道具→農村で鍬、と移行する。
    真正面から感動したり、GHQの目論見の通りプロパガンダされたりはしないし、どうも総集編っぽいなという印象は拭えないが、原節子エキセントリックサイドを味わうには、よさそう。
    これにて黒澤ー原タッグ2作を見終えたが、惜しい。もっと見たい。他監督作品での原も見たい。できれば貞淑や理想から離れた、黒くて怖い原を。
    単に可愛いとか造作が好みとかではないのに、どうにも気になる。
    たぶん黒澤明作品群の中で評価は高くないのだろうが、原節子力だけでグンと。

    また、息子宮崎吾郎が「コクリコ坂から」でカルチェ・ラタンの運動を描いているときに、駿は本作を少し想起したんじゃないかしらんと、勝手に想像しちゃう。

  • 本作品は、黒澤明の戦後初めての作品であると同時に、「アイディア映画」として有名な作品。「アイディア映画」について既にご存知の方もいると思うが、簡単に説明すると、戦後の占領下の日本において、アメリカは自由と民主主義を説く一方で、映画界に対して極力隠蔽した上で、徹底的な検閲を行った。同時に戦前の作品においても、少しでも自国に不利益をもたらすと思われた映画の作品は容赦なく部分的にジャンク(原版フィルムを再現不能にまで刻むこと)を行った。それによって戦前のフィルムの多くは不完全なものとなり、現代では一部の作品が完全な形で見られないということは、映画を愛する人間にとって赦せない行為である。そして、アメリカは民主主義を礼讃する映画を撮るように映画界に要求した。
    それが「アイディア映画」と呼ばれるものであり、その代表的作品の一つが本作品である。
    黒澤監督は「相手が軍であれ、アメリカであれ、制約があれば、その中で良い映画を作り続けるしかない」と職業監督らしい発言をしている。確かに「そんなことで作家性が失われてなるものか」ということだろう。また現代においても「自主規制」というそれらよりも遥かに面倒くさい制約の中で映画が製作されているのを思えば、たいしたことないと考えられる。

    そこで本作品に関して、黒澤監督が唯一の不満を持ったのが、アメリカに対してではなく、当時の労働組合の圧力によって、最後に農村運動への参加を描かざるを得なかったことだと云われている。そしてそのエンディングは同じ原節子主演の「新しき土」に良く似ているらしい。
    たしかにとってつけたようなあのエンディングは作品そのものを大きく傷つけていると小生も感じた。
    では黒澤監督の考えていたラストとはどんなものであったのか?
    あえてネタバレになるが簡単にエンディングの物語を追いかけてみよう。

    スパイ容疑で獄死した夫の実家にあえて身を投げ、迫害の中で力強く百姓を続ける原節子演じる主人公の大学教授の娘・幸枝。
    そして敗戦。思想弾圧で大学を追われていた、父は大学の教壇に戻り、久しぶりに実家に戻っていた幸枝に母親は「このままこっちに戻ってこないか」と言うが、幸枝は「農村運動があるから帰らなければならない」と断る。
    そして夫たちとの学生時代の楽しい思い出を過ごした川原にやってくる幸枝。その原節子の表情がすばらしい。
    その悲しげな表情にオーバーラップして迎えに来たと思われるトラックが道をやってくると、そのトラックに幸枝が乗り込み去っていって物語は終わる。

    こう並べてみると、最後のトラックのシーンと、自宅での農村運動の会話は蛇足。幸枝は母の誘いに「私には待っている人がいるから」とだけ告げて家を出て、思い出の川原のその原節子のどこか悲しげな表情で終わるほうが、余韻が残るし「わが青春に悔いなし」のタイトルとの整合性もあると思いますが、黒澤監督はどんなエンディングを考えていたのだろう?みなさんはどう思います?

  • 「かえりみて悔いのない生活」を実現させた2人の男女の物語。

    原節子さんの美しさが『白痴』のときよりもいっそう際立っていると感じた。
    強い意志を貫く女性を見事に演じている。
    すばらしい女優さんである。

    「われわれのやっている仕事は10年後に真実が明らかになって、日本の国民に感謝される仕事だ」という野毛の言葉が心に響いた。

    内容的に難しいところもあったけれど、原さんがとにかくすばらしかったので☆5つ。

  • 黒澤明監督、久板栄二郎脚本、1946年作。原節子、藤田進、河野秋武、志村喬、杉村春子出演。

    <あらすじ(ネタバレ)>
    1933年の京大事件で、自由主義者の八木原教授は免職処分を受ける。その娘、幸枝(原)に想いを寄せる学生、糸川(河野)と野毛(藤田)は対照的な性格で、糸川は見切りをつけて学生運動を辞め、逆に野毛は学生運動で飽き足らずに左翼運動に走った。上流の暮らしに喪失感をもつ幸枝は、1人で東京暮らしを始め、ある日、野毛が活動する出版社を知り、通い詰める。程なく2人は一緒に住み始めるが、野毛が特高に検挙され、幸枝も連行される。
    野毛は獄死し、終戦、幸枝は野毛に嫁いだことから野毛の実家の貧乏農家に身を移す。野毛がスパイだという噂を信じる農民らは、野毛家にあらゆる嫌がらせをするが、幸枝はそれに負けずに必死で働き、野毛の嫁としての役目を果たしていく話。

    <コメント>
    •幸枝が野毛の貧乏農家に嫁ぐことができたのも、八木原家が裕福でなに不自由ない家庭だったからだね。映画中で、自由には責任が伴うみたいなことを野毛が言っていて、それがこの映画のテーマにもなっているのだけど、自由が裕福とともにあることもまた事実。
    •八木原のモデルが刑法学者の滝川幸辰(ゆきとき)なのは明らかだが、野毛は誰か?三木清か。
    •原節子の美しさは、八木原家で暮らしていた時よりも、泥まみれで野良仕事をしているときのほうが際立っている。
    •そうはいっても、農作業のシーンは長すぎないか?このしつこさは黒澤監督の作風かもしれないが。

  • これ良い映画!演出やストーリーにはメロドラマっぽいところもあるし、当時の世相が良くも悪くも反映された部分はあるのかもしれないけど、些細な事を吹き飛ばすような後半にかけての力強さがすごかった!俳優陣もとても良かったけど特に原節子、素晴らしかった!

  • 戦後すぐの作品ということに感慨を覚える。
    この作品そのものが戦中であれば製作すらもおぼつかなかっただろう。
    ただ・・・・、準備がされていたからこそただちに製作に取り掛かれたともいえる。
    原節子の熱演も好感が持てた。
    現代の美人像ではないが、当時は人気を博した美人だったのでしょう。その美人が苦労をして、顔や手を真っ黒にしている姿を見ることで、より衝撃だったのかもしれない。

  • 魂がある。

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著者プロフィール

(くろさわ あきら 1910−1998年)
日本を代表する映画監督。1943年『姿三四郎』で監督デビュー。生涯30本におよぶ名作を監督した。『七人の侍』(1954年ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞)など海外の映画祭での受賞が多く、映画監督として初めて文化勲章、国民栄誉賞を受賞し、1990年には米アカデミー名誉賞が贈られた。

「2012年 『黒澤明脚本集『七人の侍』』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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