アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション [DVD]

監督 : ミロス・フォアマン 
出演 : F・マーリー・エイブラハム  トム・ハルス  エリザベス・ベリッジ 
  • ワーナー・ホーム・ビデオ
4.08
  • (78)
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本棚登録 : 253
感想 : 52
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988135539625

感想・レビュー・書評

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  • モーツァルトと対立していたと言われているサリエリの視点から、モーツァルトの生涯を描いた作品。史実とは異なっている点もあるが、サリエリのモーツァルトの才能への嫉妬や、モーツァルトの才能ゆえ(?)の破綻ぶりなんかは、リアリティーを感じさせる。モーツァルトの変態っぷりが笑いを誘う部分もある。映画の中でモーツァルトの楽曲がしばしば使われているが、エピソードとリンクしているし、長々と演奏しているわけでもないので、あまり気にならない。むしろモーツァルトの曲ってなかなかいいかも、と思わせる効果があるように感じた。この映画を見てからウィーンやプラハに行っていたら、また違ったインパクトがあったかもしれない。クラシックに興味がなくても、1人の有名人の伝記として楽しく鑑賞できると思う。

  • <英語音声・日本語字幕>

    なんて緊張感のある映像だろう。

    一人で映画を観るときは時間の都合で
    何回かに分けることが多いのだが、
    この映画は途中から席を立てなかった。

    高校生のときに調べものをしていて行き当たり、
    以来ずっと観てみたいと思っていた作品。
    でもまさか、これで大泣きするとは思ってもみなかった。

    途中途中にもじわりとくるシーンはあったけれど、
    クライマックスにかけて全方向から
    一気に収束に向かう流れがヤb……もとい、心を持っていかれる。

    何がそんなに琴線に触れたのかは判らない。
    いや、分析すれば判りそうな気もするが、
    させないでください。恥ずかしいから。
    疲れていたということにしておこう。

    ***
    なお、通しで観るときは、あらかじめ
    後半に入ってから煽る酒を準備しておいたほうがいい。
    高級品ではだめだ。安物の白ワインをぜひ。

    少し甘ったるいくらいでいい。
    せめて、お酒くらいは。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「心を持っていかれる。」
      天才に心を奪われつつ、嫉妬する男の哀れさがたまらない。。。
      「心を持っていかれる。」
      天才に心を奪われつつ、嫉妬する男の哀れさがたまらない。。。
      2013/04/08
  • 小さい頃や若い頃に「見させられた」と感じてる人は、「大人になって」から、もう一度観ると良いと思う。

  • オリジナル版は2度ほど観ましたが、今回初めてディレクターズカット版をスクリーンで鑑賞。戯曲を翻案したよくできた筋立て、素晴らしい美術・衣装、そしてモーツァルトの名曲の数々に、180分惹き込まれました。贅沢に当時の様子を再現した中で聴く音楽に、ヨーロッパ文化の伝統の重み・力を感じさせられました。

  • 初めて観たのは小学生の頃だったか...中学生だったか。当時の印象としては、えらくサリエリに感情移入してモーツァルトは嫌いだった。ところが。27歳になって。このディレクターズカット版を観たら印象は180度変わってしまった。モーツァルトの最期はとても心に響きました。天才には天才の苦悩がある、それを他人に見せるか見せないか...。長時間の映画ですが、アマデウスの世界に引き込まれました。寝る前に観たのですが、音楽が頭から離れずしばらく鳴り響いていた。月日が経ってから再度観た作品の中でも、こんなに感想の変化があったものはなかった。本当に名作!!【2007/04】

  • 【勧められて観た映画】

    天才と凡人の対比、及びその理解の物語、と聞いて観てみたが、「凡人がついに天才を理解する」という感じ、和解に至る様子はあまり感じられなかった。
    サリエリは対比される存在や、モーツァルトのバディというよりは、あくまでモーツァルトを紹介するための語り部という印象。
    サリエリについてもう少し描いてほしかったかな。

    サリエリがモーツァルトの譜面を見て、その完全性に震える様子はよく描かれていた。
    しかし他の人が理解しなかったのか、そうではなくやはり天才性が理解されていたのか、よくわからなかった。おそらく前者だと思うが、そうであれば描写が弱い(とはいえ天才だったことは確かなので、そうあからさまにも描けなかったのだろうけど)。

    最後に別途でサリエリが筆記する様子は素晴らしかった。
    サリエリの煮え切らない感じ、妨害はするんだけどもしきれなくて結局力になってしまう感じ、嫌いではない。

    モーツァルトのことはよく知らなかったので、ああいうキャラクターとは知らず意外だったが、その後Wikipediaで調べたところ、それなりに描写されていたようだ。
    ステレオタイプの放蕩家ではなく、あくまで妻に愛情を注ぎつつも、無邪気な天才がゆえに身を滅ぼしてしまう様子は、見ていてスリリングでもあった。

    マリー・アントワネットの時代、18世紀の王侯貴族社会のディテールを観る上でも面白かった。
    クラシック音楽が好きだとさらに楽しめたのかもしれない。

    EOF

  • 請求記号:13D219(館内視聴のみ)

  • 手元に置いておきたDVDの一作。映画本編の他に、メーキングのDVDも収録されている。撮影地となった現在のチェコはプラハは、1984年当時、まだ共産圏のチェコスロバキア時代のこと。撮影秘話、当時の秘密警察や盗聴器の話なども、非常に興味深い。

  • あくまでもフィクションですが、実際にサリエリかモーツァルトを殺すとなると、動機としてはこの映画で描かれている理由以外に無いのではと思える程、納得してしまいます。

  •  神に愛されし破滅型芸術家VS涜神の使途たる凡人。
    『Fate/Grand Order』にキャスターとしてヴォルフガングが出てきたので、かねてから興味があった『アマデウス』を見てみた。
     ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。ファーストネームやミドルネームはともかく、ファミリーネームだけなら知らぬ者のいない伝説とも言える作曲家だ。アマデウスとは「神に愛される」の意。『怒りの日』や『トルコ行進曲』で有名な作曲家である。
     対してもう一人の主人公、アントニオ・サリエリはモーツァルトほど有名ではない。仮に音楽の教科書に載っていたとしても、よほどの音楽好きか勉強熱心な優等生以外記憶しない名前だろう。
     この映画はサリエリによるモーツァルトへの嫉妬の物語だ。
     サリエリは有名な宮廷音楽家であったが、ある日モーツァルトと接触。彼の才能を文字通り目の当たりにし、更に後日モーツァルトの妻によって持ち込まれた楽譜によって才能の真を知ることとなる。
     敬虔かつ禁欲的だったサリエルは、良く言えば「天才らしい奇行」、悪く言えば「品性の無い言動」を繰り返すモーツァルトに対し嫉妬し、神に失望する。敬虔かつ禁欲的な己ではなく、獣のような下劣な人間に、神の言葉を語る資格を与えたことをきっかけに、サリエルは涜神の道を歩み始める。
     物語のテーマは「天才への嫉妬」が根幹となっているが、「神に愛されることと人間に愛されることの違い」を描いているとも言える。最終的にモーツァルトは人類に愛されることになるも、周囲の人間に愛されることはなかった。歴史的な成功ならばともかく、現世的な成功をするためには、周囲の人間に愛されるしかない。現世の理を司るのは神ではなく人だからだ。宮廷の利権や国の法律、モーツァルトの振る舞いなど様々な事象がモーツァルトを雁字搦めに縛りつけ、自由を許さない。
     革新的な天才が糾弾されるのは、いつの世も同じことだ。純文学の世界で言えば、村上春樹はデビュー当時文壇にて酷評され、結果芥川賞を受賞できなかった。今、一人の小説家として生計を立てられるのは、運が良かったとも言える。
     モーツァルトはやがて、糊口を凌ぐため宮廷音楽家から大衆音楽家に堕し、大衆向けの下賎なオペラの世界に身を投ずる。サリエリはモーツァルトの凋落を眺めつつも、息の根を止めるため、モーツァルトにレクイエムを書かせることを画策する。モーツァルトの葬儀で流すためのレクイエムだ。
     モーツァルトは元来、浪費家かつ遊び人で湯水のように金を使っていたが、堕落するにつれ生活は困窮し、大酒を呷り酔っ払っては妻を困らせるようになった。神に愛された音楽の天才だと言うのに、破滅する様は有象無象のアルコール中毒者と大差ないのだから悲劇的だ。しかしそれでもモーツァルトは天才であり、ピアノを弾かずとも楽譜さえあれば作曲できる。テーブルの上、ビリヤード台の上で作曲できる。すぐ傍にピアノがある必要が無い。真の天才だ。真の天才であるが故に迫害された。
     モーツァルトは多量の報酬のため、レクイエムはサリエルと共に掻き続けたが、仕上げる前に絶命してしまう。墓地は豪華なものでもなんでもなく、むしろ赤の他人と共に葬られる共同墓地であり、アマデウスは凡人と共に十把一絡げに埋葬された。
     モーツァルトは環境や父、才能などに恵まれたが、共に生きる理解者には恵まれなかった。皇帝や宮廷音楽家はモーツァルトの音楽を認めなかった。サリエリもまたその一人だった。
     神にのみ愛された天才。神に認められた人間が非業の死を辿るのは、イエス・キリストやジャンヌ・ダルクなど枚挙に暇が無い。神が個人を愛するのは、人類への慈雨であり、人間への旱魃なのかも知れない。
     キャラクターに関しては、モーツァルトがかなり騒がしかった。肖像画からは大分イメージが違ったが、『トリビアの泉』で「モーツァルトは露出狂」というトリビアを見たことがあるので、「奇行の目立つ天才」としてはすんなり受け入れられた。女性の口説き方が下品なのには驚いた。ロマンチックに振舞っている部分もあるのに、なぜか下ネタを織り交ぜてくる。だが天才としての部分はしっかりと書かれており、サリエリの曲を即興でアレンジするなど、暴走気味の才能が窺える。
     サリエリは物語の語り部であり、モーツァルトに嫉妬する音楽家だったが、暗躍の末、精神病院で凡人の神を自称する。客観的に見えば妄執に取り付かれた悪役に他ならないが、一時的とは言え、才能に頼らず皇帝の好む音楽を傾向と対策を練って作り出し、国一番の音楽家として認められるなど、努力家としての一面を覗かせている。だがその末路は朽ちた名声であった。努力で到達できる名声は、所詮その程度でしかなかったのだ。
     どちらが勝利したとも言えない、天才と凡人の戦い。だが片や何も知らずに曲を書き続け、片や暗躍し蹴落としに躍起になった。その時点で勝負はついていた。否、勝負にすらなっていなかった。これは奇襲や空襲と同じだ。攻撃態勢の取れていない都市を爆撃し炎上させるようなものだ。ただひたすらモーツァルトが被害に気づかなかっただけの話なのだ。
     もし人生がただの一度きりだとしたら、神に愛された人間とただの凡人。その違いは何なのだろうか。神の気紛れなのか、遺伝子的な突然変異に過ぎないのか。どちらにしろ、大いなる意思に関係なく、人の人生は一度きりだろう。そこに幸不幸の差異があるとするならば、如何なる事象を縁とするものなのか。

    キャラクター:☆☆☆☆☆
    ストーリー :☆☆☆☆☆
    世界観   :☆☆☆☆☆
    テーマ   :☆☆☆☆☆
    映像    :☆☆☆☆☆
    台詞    :☆☆☆☆☆

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