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- / ISBN・EAN: 4988126203535
感想・レビュー・書評
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先日おかまバーに行く機会があってからというもの、第三の人種の人たちのことを思うことが多い。
この世に男と女しかいなかった時代はもう遠い昔なのだ。
彼ら、彼女らはそこに確かに存在している。
しかしながら現実の世界では偏見や迫害は強い。ゲイの老人ホームだなんて!というのが普通の感覚だと思う。
でもそこでつつましくも明るく暮らす彼女(彼)らを見ていると、そういうことではなく、人としての温かさ、そういうことだよな、人間てって思えてくる。
ちゃんと向き合えば、いいんだよ。そんな気がする。
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ちょうど2年ぶりに改めて観た。
以前とは評価が変わった。アップした。
初めてオダギリジョーをかっこいいと思った。
今まで全く興味なかったけど、小顔と身長と線の細さや立ち居振舞いがすごく、そして誰よりも(女性の柴咲コウよりも)絵になっていることに気付いた。かっこいいー。あんなに白いパンツを穿きこなせる日本人の男はそうそういないよ。
視覚的には、開放感溢れる海辺に隣接しているメゾン・ド・ヒミコやそのリビング、サユリの父親(ヒミコ)をはじめとする住人たちの部屋の内装がどれも素敵だった。登場人物たちは別として、この場所に一時的に住んでみたい。
あと、何人かの人が言っている「温かい映画」っていうの、私もそう思った。ゲイの人たちが中心にいて、同性愛が軸にある映画ってことは差別や偏見のシーンとは切っても切り離せないんだけど、なぜだか映画のワンシーンとかを思いだすとじんわりと心が温くなる。薄いクリームイエローやベージュ、薄いオレンジ色の映像とともに。
それは、多分メインとなるメゾン・ド・ヒミコの人たちがみんな優しいからかなぁ?優しいと言うか人間愛に深いというか。むしろ、出てくる異性愛者(つまり普通の人たち)の方が人に対する許容範囲が狭くて冷たいのだ。ていうか、同性愛者というテーマに限らず他の事象も同じだが、「マイノリティ」が社会でうまく生きていこうとするならばマジョリティよりも受容的にならないとやっていけないかもしれない。そして、その結果が「他人に対して優しい」とか「あらゆる人に対する受容的態度」として表れやすくなるのかなぁと。
邦画はこうあってほしいと思った映画だった。
昨今、ドラマの続編や漫画原作の映画が頻発していてうんざりしているから。 -
生きていくためには強い欲望が必要で、それがないとなかなか生きていけない(気がする)。
上映当時、その時代に観たらもっと革新的に思えたのかもしれない。
オダギリジョーの美しさが見どころ。 -
観終わったけど、よく覚えていない。
オダギリジョーの白い服が、めちゃくちゃカッコ良くて惚れる。また観たい。 -
不思議なニンゲンの関係が、
メゾン・ド・ヒミコのなかで繰り広げられる。
ヒミコ/田中泯は、オカマで、妻子を捨てて、
メゾン・ド・ヒミコで生活している。
メゾン・ド・ヒミコは、ヒミコが
オカマの老人たちのためにつくった。
そして、ヒミコのがんの末期症状なのである。
その捨てられた子供が、柴咲コウなのである。
メゾン・ド・ヒミコから、柴咲コウに、オダギリジョーが、
アルバイトをしてくれと言う。
柴咲コウは、母親の病気で、借金をつくっていた。
それの返済のために、会社で働き、そしてアルバイトを捜していた。
メゾン・ド・ヒミコの仕事は、暖かい雰囲気に満ちあふれていた。
また、柴咲コウは、父親のことを許せないのだ。
柴咲コウは、オダギリジョーの魅力に惹かれていく。
しかし、オダギリジョーは、父親の愛人であり、
オカマなのだ。好きになっても、
それで、会社の西島秀俊とセックスをする。
オダギリジョーは、西島からその話を聞く。
父親は 死んでしまうのだ。
メゾン・ド・ヒミコは、閉鎖される。
柴咲コウが、なぜか、いつも不機嫌で、
怒っているばかりなんだね。 -
オダギリジョーの色気…。ため息。
田中泯もなんだかすごくてこの人は本物だって気持ちにさせられた。
ゲイ…。
大学の頃ゼミにいたけど、なんとなく仲良くなれなかった。
面白い子だと思ってたけど、一緒にいる自分がみんなにどう思われるかが気になってしまった。
これが偏見だよね。
仲良くなってたら楽しかったかも…。 -
295-20
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同性愛者が集う老人ホームが舞台。
その中にいる親を持つ主人公の葛藤が描かれている。
愛したいのに愛せない、性の壁の不思議を感じた。
でも、ハッピーエンド。