遙かなノートル・ダム (1967年)

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感想・レビュー・書評

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  • (自サイトの「らるご書房」ではレビューより本を巡るあれこれが中心ですが、こちらでは枝葉を落として極力ドライな文にと思っています。 例外は「特別な1冊」カテゴリーで、これもそこに含まれるため、かなりウェットな文になっていると思います。 4月にノートルダム焼失。 その時書いた文を修正しました)


    ノートルダムには微妙な思い入れあり。
       
    高校の定期テスト、現代国語の長文問題にはまりました。 美についての思索文で、テストだということを忘れて引き込まれ、何度も何度も読み返し、あと10分の警告で我に返った。
    問題の殆どがその長文をめぐる記述問題で、えらいスピードで答えました。考えるまでもなく手が動いてた感じ。あんな体験も、信じられないような点を頂いたのも、他には覚えがない。
     
     
    その出典「遙かなノートルダム」を入手したのはたぶん数年後です。 問題の文章の舞台はノートルダムではないのですが、その本はノートルダムをめぐる思索が多く、「特別な場所」として気持ちに刻まれました。

    数年後、「ノートルダムへ行きたい」を第一目的にフランス旅行をしましたが、建物の実物にはそれほど強い印象はなく、結局は、著者の思索の中心として「描かれたノートルダム」が特別な場所だったと言うことなのでしょう。
       
    本を読んで、「行ってみたい」と思うことはまれにあります。 池澤夏樹さんの文章なんか、特に。そういう印象を非常に強く持った最初の場所であり、書物の中のドコカは、実は現実の場ではないと確認できた場所でもあり、そういう意味で、ノートルダムはやっぱり特別な場所なのでした。

    下の引用は「霧の朝」から。試験問題の中心部分でもあります。


     ━ p.13 ━
    (ひとつの彫像に惹かれ、著者は疲れ切るまでその理由を考え、かつて同じ経験を何度もしたことを思い出す)
    その瞬間に僕は、自分なりに、美というもののひとつの定義に到達したことを理解した。(中略)そういう数限りのない作品が、一つ一つ美の定義そのものを構成しているのだ、(中略)換言すれば一つ一つの作品が「美」という人間が古来伝承してきた「ことば」に対する究極の定義を構成しているという事実だった。作品はもうこれ以上説明する余地のないぎりぎりの姿でそこに立っているだけだ。ぼくがそれに限りなく惹かれるという現実がある以上、僕が作品を把握するのではなく、作品の方が僕を把握しているのだ。(中略)古代の人はこういう事態に美、イデア、フォルムなどの名を命じたに相違ない。

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