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- / ISBN・EAN: 4582297250475
感想・レビュー・書評
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「酔いどれ天使」で悪女ぶりが印象的だった木暮実千代、実生活では弱者救済に熱心な素晴らしい人物だったとのことで、この作品は地に近いのかもしれない。若尾文子もさすがに可愛いがそれだけでなくアプレゲール感が光っていた。高価で勢を尽くした品物を身に付けることで京都の文化や工芸の昇華に貢献する役割と、それに矛盾するような割とお粗末で発展性のないお座敷芸(実際にはレベルの高いものもあると思われるが映画の中に登場するようなふざけた悪趣味なものも多い印象)のチグハグさ、逆に法外なお金を払わせているのだからと暗黙の了解のように営業外活動を強制する世界、この映画から半世紀以上経って今の祇園はどうなのだろう。10年以上前に外国人招待客の夫人と秘書の女性のアテンドで、皇族も案内したことがあると言うドライバーの手配で昼間にお茶屋に入ったが、舞妓は着飾ってはいるものの本人が綺麗でもないし間伸びした話し方が全く知的に見えず、正直どこがいいのかわからないと当惑されてしまって、舞踊の達者な芸妓さんに出て欲しかったと思ったことがある。
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舞妓、芸妓の世界を通して、戦後の花街の雰囲気が変わっていく様をえがきたしていていい。宮川一夫の撮影が素晴らしい。
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Museum of Moving Image(通称MoMI)での溝口映画祭に遅ればせながらはまったのはいつのことだったろうかと改めて検索してみると2014年の5月から6月にかけてのことだったらしい。会期に気づくのが遅れつつその後ペースを上げかなりの本数を鑑賞したつもりではあったが、逃した作品として本作はしっかりと頭にこびりついていた。
それがそれがである。
帰省の度に京都文博へ通う習慣を継続していたところとうとう鑑賞できる機会が巡ってきたのだ!これは飛びつかないわけにはいかないということで、前日からの東京往復の旅で疲れ切ってしまった足にムチを打ってそのまま乗り込んだ。
博物館が用意した解説文には「祇園の姉妹」(1936) と対をなす作品としても書かれていた。こちらも溝口作品であったことは忘れてしまっていたが山田五十鈴の印象はがっつりと残っており、なるほどとうなずいて読み解くことができた次第。この解説文を通して「アプレ舞妓」といったような表現についても理解を深められそうしたことに感謝したりも。
まだ二十歳になるかならないかのころの若尾文子の華やかさはもちろんながら、脂が乗った木暮実千代の艶やかさが光る。妖艶な彼女の印象は「千羽鶴」(1953) を鑑賞した際に受けたものだったと記憶していたが、どちらも53年の作品ということで時期が完全一致し合点がいった。これらよりも若い頃の彼女の作品もいつの日かきちんと味わわせてもらいたい。 -
日本映画専門ch。
若尾さん(20歳)はこの頃、性典女優(蔑称)と呼ばれていたらしい。
「最近の若いものは」と言うセリフも、こういうバックボーンを知ってると意味が違ってきます。
映画では耐え忍ぶしかない女性の悲哀(強さを兼ね備えた)で終わるんですが、若尾さん自身はこの映画で大映の看板女優になったというのは面白い構図だ。 -
こういう女性目線の作品を観ると、
溝口監督って女性についてどう思っていたんだろうって凄く気になる。
気高く逞しく美しくそして哀しい女性。
逆に男性達の身勝手さが目立つように映る。 -
0251
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『祇園の姉妹』に続いて観た。1953年の作品。木暮実千代さんの和服姿と所作が美しい。若尾文子さんはデビュー当時の堀ちえみに似てる。モノクロ映像と構図の巧みさが京都の路地の趣を美しく描写している。
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花街に身をおく女性達の性。
しかしこの悲哀の劇性は紛れもなく、男性が書き、男性が撮ったものと感じさせる。艶かしくて美しくて悲哀だらけ。