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- / ISBN・EAN: 4934569636034
感想・レビュー・書評
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なかなか困った映画です。
ダッチワイフが心を持ってしまう、その繊細さや機微をペドゥナに切なく美しく表現させるために、例えば手足の線を消そうと努力させたり、タンポポや海に興味を持たせたりする。
上手な演出がポツポツと出てくる度、「あぁ、このまま終わってほしいなぁ」と、淡い期待を抱いた折、
ラスト30分がやってきて、ガーンと、打ちのめされました。
ここまで突き詰めなくても…というやるせなさがまず先行しました。
けれどこの徹底が無ければ色味の無い作品だっただろうとも思います。
あと上手いと感じたのは、一見関係性の無い登場人物の間に、微かな相互依存が垣間見えたこと。
中盤でペドゥナが放つ「人はたくさんの人と関わらなければ生きてはいけないのに、人はその人の存在に気付かない」といったような台詞ありましたけど、それをそのまま体現するかのような見せ方が好きでした。 -
人間、燃えるゴミ
人形、燃えないゴミ
中身がからっぽの人間、
中身がからっぽの人形、
心をもってしまった人形、
心をもたされてしまった人間、
空想?現実?
ファンタジーなのに、
観てるうちにリアルさが
際立ってくる映画。
じゅんいちは
自分が息を吹き込むことで
空気人形の命を救えた。
前、自分が救えなかった命を。
息を吹き込むことで満たされるキズ。
だから空気を抜いて、入れた。
空気人形もじゅんいちを
自分の息で満たそうとして、
同じことをした。
だって、わたしと同じでしょ?
純粋で残酷、
街のからっぽな人たちに
空気人形は綿毛を届けた
だれかの虻になりたいって、
だれかの風になりたいって、
衝撃だけど
あったかい映画。 -
空気人形は「性欲処理の代用品」
ということで、直接的なシーンも連想させるシーンもあったけど、
私はそこまでいやらしい印象は受けませんでした。
純一がセロハンテープを取りに走ったときと、
人形師さんが「おかえり」と言ったシーンでそれぞれの2人にときめきました。
私がセロハンテープを取りに走られることまずないんだけど(笑)
純一に空気人形が「なんでもするよ」って言うシーンは切なかった。
あと、「栓はどこ?」って尋ねる空気人形の純粋さは悲しかった…。
純一の空気人形へのお願いって、人を殺してみたかったってことなのかなーって思ったり…。
のぞみがお洋服合わせたり買ったりしてるシーンは、
女の子がわくわくするシーン!って感じでかわいかった。
ほとんどの人同士の関わりがほとんどないのに、
なんか関わってるような不思議な描き方でした。
俯瞰で見てた視聴者にさえわからない静かさで、誰かが誰かの風だったり虻だったりしてるのかも。 -
「21st Century Japan: Films From 2001-2020」と題されたJapan Societyでの映画祭、今回もオンライン開催であるため上映順は自分で選ぶ必要があり、トップバッターとして本作を選択することに。
毎度のことではあるが…。できればキャストに目を通さずに鑑賞開始したい派であるため主演女優さんのことはなんにも知らずに入っていったのだが、それがまさかのクランクイン時には通訳つきでやってきた韓国出身のペ・ドゥナという実力派女優さんだったとは鑑賞終了後にも想像及んでおらず…。いやはや、やられました…。
彼女の実力については最近継続している「是枝作品、観たら読む。」活動で手を伸ばすことにしている監督の著作「映画を撮りながら考えたこと」の中でも述べられており、彼女の凄まじいまでのプロフェッショナリズムを感じさせられたスタッフ陣の高揚ぶりが、併せて採用された国際スタッフとしてのリー・ピンビン撮影監督の実力と並べて熱く称賛されていた。なにせたった2回しかなかった彼女のNGの、そのうち1回は「人形役として泣いてはならない制約の中、自然と涙がこぼれてしまった」ということだったというのだから…。
本オンライン映画祭プラットフォームの仕組みである「最初に再生ボタンを押してから48時間後に期限切れ」というしくみを活用しての【おさらい上映会】の流れも板につき始め、一回目の鑑賞では感じ取れたり聞き取れていなかった部分を拾いつつ再鑑賞できることに改めてありがたみを感じている次第。奇しくもちょうど十年が経ってから公開された「ロマンスドール」(2019) を鑑賞したばかりで、それをもって実感した10年を隔てての業界の進化ぶりが「型遅れの安モンです……」という台詞の響き具合に大きく貢献。他に拾えて嬉しかったのは…
彼女の息づかい、
メーキャップの変化と併せ徐々に現れる彼女の柔らかな表情、
流暢な関西弁、
吉野弘による詩とその朗読、
そして上述のNG撮り直しの場面…
と、枚挙にいとまがない。
「からっぽの人間…」というような台詞が出てきたのはなんだっけと思いを巡らさせるとそれに近いものが「八日目の蝉」(2011) にあったことに気づいた。これまた本映画祭に含まれているラインナップ。本作を横に並べる形で鑑賞してみたい。
ペ・ドゥナが出ているポン・ジュノ監督作品も観なきゃだな…。 -
心理性・社会性、作品としての美しさ、
バランスのとれた名作だと思う。
現代社会は。
空気を満たすことに
価値を見出せない。
空気を抜くことで
かろうじて「生きる」を感じられる。
そんな時代。
それでも。
あなたの中に
ぽっかりあいた穴の中を
私の呼吸で満たしてあげたいと思う。
そうゆうことなんだと思う。
人はみな、誰の代用品でもない。
だから自分の力で、歩くこと。
そして、愛すべき人の満たされないこころの中に
生気を吹き込むこと。
人間より 人形がよくて
花より 造花がよくて
歳をとるより 若い方がよくて
ひとは誰もがみな
満たされない思いを抱えたり
むなしさを感じながら
生きている。
そのことを僕らの多くは
知らないふりをして 生きている
死んでると言ってもいいかもしれない。
でも
それを
虚しさの意味を
自分の力で 知ろうとするとき
その意味の向こう側に 飛んでいけたとき
僕たちは生きているんだと思う。
生まれてきたことに感謝できるんだと思う。
人は 絶対に
ゴミではないから。 -
きっと誰もが誰かを重ねて見ている、そんな小説が川端康成にあったような気がする。代用品という表現はすごく冷たいけど、その冷たさが人間らしいなと僕は思う。ひとはずっとひとりだけど、結局ひとりでは生きていけなくて、空っぽだ、なんて言いながら、その足りない何かを求めて、必死で毎日をもがいている。彼女が心を持って、その目に映った世界はどんなふうだっただろう、見終わったあともほんのりと残りつづける、大切な映画だった。
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「いやらしさ」をもうひとつ飛び越えたこの言葉のインパクトよりももっと強いやらしさ。胃袋に入ってたものが全部でてきそうないやらしさがある。でもよかったのは、人間の嫌らしい部分を持ちながら人間の美しい部分も描かれていたこと。心を持った空気人形を誰も邪険には扱わない。突き放したりいじめたりそういう人間を出さず、彼らの日常の闇に焦点をあてる方向にいくのがいい。
彼によって空気が抜かれて吹き込まれる。それはまったく官能的ではない。命がしぼんでく苦しさがある。彼女によって空気が吹き込まれる。でも彼は蘇生しない。この対比は見事だった。
住所を見ながら訪ねる場所が自分が製造されたところなんだろうなとわかってしまった。
残念ながら彼女の心に寄り添うことよりも「不自然」が上回ってしまった。空虚という言葉の響きが個人的にはとても好きだが、生きることはそんなに空虚だろうか。現代はそんなに空虚だろうか。若い人にとって。いつの時代だってそう思う人は一定数いるであろうし、現代がとりわけそうであるとも思わない。
(20130529) -
DVDの予告によく入ってて、ペ・ドゥナさんがかわいすぎてみたかった。予想を裏切らずきれいだった。メイド服もいいけど、中盤着てる緑のワンピース姿が人間ぽくてかわいい。
でも、仕草とかは男から見た女の子って印象が強かった。
きれいに描かれる世界、なのに誰も幸せじゃない、寂しいのが切ない。
後半は急展開。