劇場アニメーション『星を追う子ども』 [DVD]

監督 : 新海誠 
出演 : 金元寿子  入野自由  井上和彦 
  • メディアファクトリー
3.20
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4935228113583

感想・レビュー・書評

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  • 評判が芳しくないということで遠ざけていた作品を、新海誠マラソンということで見てみた。
    これにてアニメ映画8作品は一巡できたので、後は記憶の薄れたものを再鑑賞したり、短編などを見るターンに入る。

    で、評判にたがわず、なかなかの怪作。
    グーグルで検索すると関連キーワードに「ひどい」「ジブリ」「パクリ」「怖い」など出てくる。
    やむなし、と思うが、本気で嫌いなわけではなく、むしろ好意的にツッコミどころを楽しんでいきたい作品だなと感じた。
    個人的には関連キーワードに「ハウル」「ゲンドウ」「ムスカ」「足」「重火器」など追加したいところ。
    単にハウルっぽい青年に少女が跳躍で助けられる、というシーンだけでなく、筋が混迷しているというか、登場人物の動機が(はっきりしているのに)見る側に伝わらないままアッチ行ったりコッチ行ったりしている感じとか。

    あと新海誠はSF者らしく星野之宣の読者だという一方、諸星大二郎は通ってきていないと主張しているらしい。
    にしてはシンも森崎も稗田礼二郎っぽい風貌だなぁ。
    というか主張が正直だとしたら、パズー(や格好だけなら「ゲド戦記」のアレン)(シュン)にせよハウル(シン)にせよムスカ(森崎の笑い方)にせよトンボ(「雲のむこう、約束の場所」の少年)にせよ、諸星の影響下で宮崎駿が次々繰り出した青少年の像って、ある年代の日本人のキャラクター認識の土台になっているのかしらん。
    創る側も見る側も共通認識があるから了解しやすいし。

    で、主人公たる明日菜について。
    個人的にはこの子が前半で見せる元気さと、裏腹の暗さに、ズンと来た。
    富野由悠季がズンと来たと書いたらエロスを感じたという表現になるが、私はむしろ自分の中にある明日菜の孤独さに気づいたという意味で、ズンと来たと表現したい。
    が、同時に、岡田斗司夫が駿作品の少女像に対して、視聴者に罪悪感を刷り込むような描き方をしていると看破(シータのパンツが見えるか見えないか問題)していたが、本作でそれを自覚した。
    間違いなく新海誠は足フェチかつ脚フェチで、本作中、ミニスカの足、靴下を脱ぐだ脱がないだ、生足かどうかなど、こだわって作られている。
    後に「言の葉の庭」で結実する足描写の萌芽がここに。
    (……というか「君の名は。」の唾液とか「天気の子」の腋とか、特定部位ではなく全般なんだろうけれど。「すずめの戸締まり」では足リフレインにして、尻追加)
    罪悪感という点では、生徒が先生についていき野宿するというインモラルな展開も。

    閑話休題。
    本筋に戻して考えるに、森崎が碇ゲンドウっぽく話を進めることと、明日菜がファンタジー世界に入り込むこととが、同時に起こっているにもかかわらず喰い合わせが悪い、のが一番の問題点か。
    うまく表現しづらいが……、終盤、もしも森崎が本当に死者を蘇らせるために少女を生贄にすると決めたなら、もうこの人はエンドロールでほんわかと「帰り道を見送り自分は地下に残る」という描写をされているが、そんな描写してはいけないんじゃないか、と思う。
    ありうべき展開が、視聴後の感覚をよいものにするために隠蔽されている、というのは、それこそ「ナウシカ」エンドで、なんでクシャナと笑って別れとんねん、「もののけ姫」で、なんでよかった話ふうにまとめとんねん、「風立ちぬ」で、なんで爽やかに終わろうとしとんねん、というモヤモヤと同一。

    最後に付け足し。
    中盤の数シーンだけだが、ファンタジー世界に現実の重火器が持ち込まれたら、みたいな場面があって、この辺は再度新海誠と武器で考えてみたいところ。
    というのも宮崎駿の軍事オタクぶりは第二次世界大戦に留まっているのに対して、押井守や庵野秀明はそれこそ90年代からゼロ年代の感覚で、たぶん新海誠は人生捧げるなら武器より感傷というタイプだろうが、そうはいっても隠れ軍事オタクではないかと睨んでいるので、国民的に売れているかどうかという別視点からも追っていきたいから。

    あえて低く星2とする。
    多くの人もあまり考えなくつまらなかったと断罪しそうなもの。
    が、個人的には勿体なさを何度も反芻したくなるという意味でスルメ作品だと思った。見て損はない。
    小説や漫画を読んでもいいと思ったくらい。

  • いやぁ〜
    素直に感動!(ToT)


    初期ジブリを思わせる親しみやすい絵柄と、
    往年の宮崎駿作品にあった
    冒険活劇のスタイル。

    パクリ批判もあるけど、
    尊敬するが上のオマージュだし、
    逆に小さく纏まりすぎの最近のジブリの作品より、
    明らかに良くできた内容だったと
    個人的には思います。

    あと物語では
    すべての謎が解かれないなど、説明不足の感は否めないけど、
    あえて新境地に挑んだ
    その心意気を買いたいですね。



    見晴らしのいい
    山の上にある秘密の部屋、

    生活感ある台所、

    風鈴が揺れる縁側、

    木造の校舎、
    線路を渡るトラクター、

    風にそよぐ花々、
    鳥や虫たち。

    緑豊かな日本の田舎の情景を
    瑞々しく描いた
    夢見るように儚い絵は、

    今作でも変わらず
    息を呑むほどに美しくて、
    心にとどめたいシーンが
    いくつもありました。



    青空の下、父の形見の鉱石ラジオを聴きながら、
    シュンとアスナが
    手作りのサンドイッチを頬張るシーンや 、

    祝福のキスのシーンは
    誰もが甘酸っぱい気分に浸れます(笑)(≧∇≦)


    新境地の
    階段を駆け下り
    橋を飛び越え
    崖を降り
    水中に潜るなど、
    手に汗握る
    躍動感に満ちたアクションシーンも見所だけど、

    どんな時も凛としたジブリの主人公たちと違い、

    守れなかった亡き妻を蘇らせるために
    アガルタに向かうモリサキや、
    現実世界で自分の居場所を作れずに
    違う世界へ行ってみたいと望むアスナなど、

    みな喪失感を抱えた
    どこか陰のあるキャラクターなんですよね。


    そんな綺麗事でない人たちに
    まず共感したし、


    旅の中でやがて気付く
    生への渇望、

    死ぬということ、

    大切な人との別れや

    喪失を抱えて生きることの意味など

    旅の中で真理を知り
    少しずつ成長していく
    主人公の少女アスナに、

    学生時代の自分を重ねて
    光を見ることができました。


    人は失ったものについて幾度となく考え、
    嘆き、時に泣き、
    忘れたと思ってはまた思い出して、
    ゆっくりと喪失を受け入れていく。

    そして、
    悲しみをひとつ知るごとに
    人は思慮深くなっていく。

    大人になるということは、
    きっと哀しみを知ること。

    喪失を受け入れ
    自分と向き合っていくこと。


    より多くの層に届けたいと
    外に開かれた作品なので、
    先入観抜きで観て欲しいし、

    いろんなことを感じて
    考えて欲しい傑作です。

  • 公開されたのは東日本大震災から2か月後。果たして、この作品が震災で大切な人を亡くし傷ついた人の心を癒せたのか?かなわぬ死者との再会がテーマになってはいるが・・生贄と引き換えなんて。「生きている者が大事だ」という当たり前のメッセージを伝えるために、古代伝説を脚色。死んだ人に会うには、生きている人を巻き込むんじゃなくあなたが黄泉の国に行くしかない、そしてその前にこの世で喪失を抱えて生きるのが人の業。

    『星を追う子ども』は、新海誠監督のアニメーション映画。2011年5月7日公開。
    『秒速5センチメートル』から4年ぶりとなる新海の4作目の劇場用アニメーション映画。制作に2年をかけており、2010年11月に製作が発表された。ロンドン滞在中に脚本を書いており、幼い頃に読んだ児童書(『ピラミッド帽子よ、さようなら』乙骨淑子)がモチーフの一つとなっている。
    これまでの新海誠作品とはかなり異なる作風となっており、ファンタジー要素がより強く、アクションシーンもこれまでより増えている。声優も知名度の高い人物を多く起用している。また、新海曰く「今回の『星を追う子ども』ではジブリ作品を連想させる部分が確かにあると思うのですが、それはある程度自覚的にやっているという部分もあります」。今作では「日本のアニメの伝統的な作り方で完成させてみる」ことを個人的な目標にしていたという。
    現実世界の時代設定は1970年代。旅の舞台となる地下世界を「アガルタ」と呼称しているが、これは先述の『ピラミッド帽子よ、さようなら』からの引用である。また、この名称は『ほしのこえ』でも登場しており、そちらでは「シリウス星系第4惑星」となっていて全く別の場所である。
    第34回アヌシー国際アニメーション映画祭の長編コンペティション部門ラインナップ選出
    第8回中国国際動漫節「金猴賞」優秀賞受賞

    ストーリー:
    幼い頃に父を亡くした明日菜は、母と二人で暮らしている。仕事で家を空けがちな母に代わって家事をしながら、近くの山に自分で作った秘密基地で、父の形見である石を使った鉱石ラジオを聞いたり、猫のような動物のミミと遊んで日々を過ごしていた。ある日、秘密基地へ向かう途中、見たこともない怪獣に襲われたところを「アガルタ」から来たという少年・シュンに助けられる。翌日、秘密基地で再会し仲良くなった二人はまた会う約束をするが、後日シュンが遺体で発見される。
    シュンの死に実感が湧かない明日菜は、新任教師の森崎の授業で聞いた「死後の世界」に強い興味を抱く。世界各地には地下世界の伝承が残り、シュンが故郷であると語ったアガルタもその一つで、そこには莫大な富や死者の復活すら可能にする技術があるという。
    その日の帰り道、明日菜は秘密基地でシュンに瓜二つの少年・シンと出会う。彼は兄が持ち出したアガルタへの道の鍵となる石「クラヴィス(clavis)」を回収しに来ていた。するとそこに武装した兵隊と森崎が現れる。森崎はアガルタの秘密を狙う組織「アルカンジェリ」の一員だった。しかし、アガルタへの入り口を見つけた森崎は組織を裏切る。彼の目的はアガルタで亡妻・リサを蘇らせることであった。シュンが遺したクラヴィスを回収したシンはアガルタへと去り、残された明日菜も森崎についていくことを決め、ミミを加えた二人と一匹は、広大な地下世界を旅することとなる。
    アガルタには、地下とは思えぬ大自然と、神々が乗る船「シャクナ・ヴィマーナ」が空に浮かぶ幻想的な風景が広がっていた。しかし見つかる集落は廃墟ばかりで人影はない。アガルタは幾度となく侵攻してきた地上人の手によって荒廃し、衰退の一途を辿っていた。
    数日後、明日菜は闇に棲む「夷族(イゾク)」によって攫われる。地上人との交わりを嫌う彼らは明日菜と、地上人との混血である少女・マナを殺そうとしていたが、そこへシンが現れ二人を助け出す。シンは明日菜の父の形見「クラヴィスの欠片」を奪う使命を帯びていた。しかし逃げる途中、夷族によってシンが深手を負ってしまう。
    森崎と合流した明日菜らはアモロートの村に辿り着き、マナの祖父の計らいで一晩だけ休ませてもらう。世界の果て「フィニス・テラ」、その崖下にある「生死の門」まで行けば死者を甦らせることができると話したうえで、老人は死者の復活を過ちだと諭そうとするが、森崎は生きることに消極的になっているアガルタの現状を批判する。
    二人はマナやミミに別れを告げ、フィニス・テラへと旅立つが、程なくして村から追っ手が走り出る。彼らは夷族と同じく、アガルタ衰退の原因となった地上人を忌み嫌い、殺害しようとしていた。これまでの二人を見てきたシンは、アガルタは命の儚さを知りすぎているが故に滅ぼうとしているのではないかと老人に問い、追放を覚悟で明日菜達を助けに向かう。
    フィニス・テラに辿り着いた森崎は一人崖を降りていくが、明日菜は断崖絶壁を前にして引き返してしまう。これまでの出来事を反芻するうちに、アガルタに来たのは自分の寂しさを埋めるためだと気づく明日菜。夜の闇の中、夷族に追い詰められた彼女のもとにシンが再び駆けつける。森崎の後を追うことを決めた明日菜とシンは、フィニス・テラの下にある死地へ向かうケツァルトルの力を借りて崖の下へと到達した。
    先んじて生死の門にたどり着いた森崎は、クラヴィスの欠片を使い、シャクナ・ヴィマーナにリサの復活を請う。だが願いと引き換えにリサの依代となる生贄を求められ、森崎は後を追ってきた明日菜を選び、また自らの右目を奪われてしまう。明日菜を救うためにシンはクラヴィスを破壊するとリサは消え、シャクナ・ヴィマーナも去っていった。夢の中でシュンと別れを告げて目覚めた明日菜は、殺してくれと嘆く森崎を抱きしめた。その後、森崎はシンと共にアガルタに残ることを選び、明日菜は二人に別れを告げ、地上へと帰っていった。(ウィキペディア)

  • 他の新海作品に比べてジブリっぽい、ゲド戦記に比べてキャラクターの造形が云々、みたいな評価をされがちだけど、それは一面的な評価に過ぎないだろう。
    遺された生者がいかに形を失った死者を内在化していくのか、という普遍的な主題をさまざまな人物の喪失や別れを通してこれでもかと多面的に描き重ねた、骨太な作品。そしてそれはほぼ成功していると思う(そもそもそれは完全な成功が不可能なテーマなはずだ)。
    前作以上の映像美や青春ノスタルジーを求める人には期待はずれなのかもしれないけれど、小さな物語を丹念に折り重ねて大きな物語に挑む果敢な真摯さにグッときた。

  • 空気はきれい。「ほしのこえ」を越えられない。

  • さよならをいうための旅という言葉が、本当に全てを表しているように思える。誰もが救われたがってるけど、つらいことを受け入れていかなければもちろん生きていけない。生きてはいけても、つらいことをひきずることは望まれていることではない。

    今までの作品(宇宙やSF)とは違う雰囲気、でも人と人との距離感や、想いを描いているという面ではかわらないなぁ。すごく繊細な方なんだろう。本人が王道の冒険活劇をめざした、と仰ってました。でも冒険そのものの意味を女の子が見出す作品ってそれこそそんなにないんじゃないかな。いつのまにか始まる冒険は、どこかで何かを発見したがってたり、何かが足りていなかったり。女の子が主人公だったっていうのは自分にとって大きかったかな。ジブリを連想させるとよくききます。でも別にマイナスではないかも。あ、という既視感はある

    たまに、観たくなりそう。

  • 新海誠さんのアニメーションは絵が綺麗で好きです。
    人物の動きもすごく好き。説明できないけど。

    劇中でアスナが走るシーンがすごく多いんですけど
    観てるこっちも息が上がってしまうような
    そういうリアルさというか、引き込まれる感じがしました。

    ひとりひとりに細かいバックボーンがあって
    人間ってこうやって生きているんですよね。
    それぞれの抱えてる想いがまっすぐ伝わってきました。

    アスナとシンくんかわいい

  • 今まで見た新海作品の中では一番好き。
    「秒速~」も良いケド、ファンタジー要素が強いこの作品の方がより好きです。

  • 嫌いではないんだけれど、好きでもない。

    ジブリの”色々”を集めて創り上げた感じ。
    恐らく誰が見てもそうだと思いますが…

    似ているだけにどうしても比べてしまいます。
    人も世界も生きている、あの圧倒的な表現ができるのはやはりジブリだけかなと思いました。

    でも、ここで描かれている世界も人も、嫌いじゃなかったです。


    ストーリーがちょっと、どこにでもある感じだったのがとても残念。
    この監督なら、もっと何か創れたんじゃないかなと思います。
    全体的に「フツウ」にまとまっていました。


    次回作に期待します。

  • ザ・厨二病!!!!!

    ここまでくると清々しいくらいだ。
    ところどころ、ジブリの映画を重ねてしまうシーンもちらほらあった。

    ただし、次に予測されるシーンがグロテスクだったり、人や生き物の死を扱ったときの「目をそむけるような」カットは気に入らなかった。
    好みの問題だとは思いますが。

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著者プロフィール

1973年生まれ、長野県出身。
2002年、ほとんど個人で制作した短編作品『ほしのこえ』でデビュー。
2016年『君の名は。』、2019年『天気の子』、2022年『すずめの戸締まり』公開、監督として国内外で高い評価と支持を受けている。

「2023年 『すずめの戸締まり(1)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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