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- / ISBN・EAN: 4988105064607
感想・レビュー・書評
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幾度となく映像化されてきた名作ですが、本作は高峰秀子主演(1954)のモノクロです。実は、「二十四の瞳」は読んだこともなく、観るのもこれが初めてでした。反戦映画ですね。それも、戦場ではなく、銃後であり、かわいい教え子や家族が戦争経済の悪化で生活が困窮したり、戦死していくのが淡々と叙述され、とても身につまされました。木下恵介のリリカルな美質もよく出ています。
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昭和3年から21年という時の流れが、汚れを知らない「二十四の瞳」と「女先生」の上にもたらしたものを描く、木下監督の代表作。
小さな島の岬の分校に、自転車にまたがってさっそうと登場するスーツ姿の高嶺秀子の姿が、ひたすらまぶしい。若々しい大石先生と、幼く無垢な子どもたちとが互いを愛しあう映画の前半部分は、まさに光り輝くような幸福感にみちあふれています。その一方、女子師範出のヨソモノの先生に対して、反発したり敬遠する島のおばちゃんたちや「男先生」の反応、決して生活に余裕があるわけではなく、分校に通うために月賦で自転車を購入したという大石先生と母親の家の事情なんかも細やかに描かれていて、背景となる島の暮らしをいっそう生き生きと見せています。
しかし映画の後半になると、大石先生はほとんど涙ぐむ姿ばかり。「反戦映画」の代表作のように言われる本作ですが、子どもたちの瞳が曇り始めるのは戦争が激化する前からです。
不況の波の中、まず女の子たちが真っ先に家庭の犠牲を強いられ、学校を離れていくことに。赤子を残して母親が死んでしまった家を訪れた高嶺秀子に、上の娘の学校を休ませている父親が「どうせこの赤ん坊もすぐに死ぬだろうから」と話すシーンは露骨すぎて衝撃的ですが、けっきょく女の子は学校に戻れないまま、奉公に出されてしまいます。他の貧しい家の娘たちも、どうにか卒業はできても、決して自分の夢を優先できる状況ではない。
そんな子どもたちに「将来の夢」という作文を書かせること自体、そもそも酷な話ですが、若い芽をつまれていくような女の子たちに対して、大石先生は同情はしても、何もしてやれない。学校の現場もしだいに息苦しくなっていき、「アカ」と噂をたてられるようになってしまった彼女は、受け持ちの子どもたちの卒業を機に、「もう嫌になっちゃった」と、すっぱりと教師を辞めてしまいます。そして時代は戦争へ。自身も夫と子を失った大石先生と、生き残った教え子たちとの再会シーンは、さぞかし多くの観客の涙を絞っただろうと思います。
勇ましさが称揚された時代の証言者として、「いっしょに泣いてあげる」ことしかできない、ひたすら無力な弱い存在として大石先生というキャラクターを創りあげた木下恵介の意図はよくわかる。わかるけれども、葛藤が欠如しすぎているのではないか、という気がやはりするのです。大石先生は、資本家と労働者について授業で話して「アカ」よばわりされる程度には進歩的だけど、学校やコミュニティと対立してまで自分の信念を確認することもないし、女の子ばかりが家族の犠牲を強いられる不条理な状況に対して、ひとりの女として、また比較的恵まれた階層として、怒りを感じたり深刻に悩むこともない(それにしても遊郭に売られる女の子が一人も出てこないというのは、やはり核心の問題を避けていると言わざるを得ない。もしあの女の子がうどん屋ではなく遊郭で働いていたとしたら、彼女は決して戦後の同窓会にも顔を出せなかったはずです)。さらに彼女はあまりに潔く教師を辞めてしまうため、教員として戦争に加担するかどうかという踏み絵さえも迫られずに済んでしまうのです。さんざん葛藤した末の退職ではないから、心ならずも愛国婦人会の一員として日の丸の旗を振って教え子を戦地に送り出してしまう場面でさえ、彼女は加害者というよりも被害者として描かれてしまう。それが時折、おどろくほどのデリカシーのなさとして現れてしまう(将来を自分で設計できるチャンスが限られている子に「将来の夢」を語らせるのもそうだし、病の床に伏して家族にもほとんど見放されているかつての教え子に「辛いのはあんただけじゃないのよ」と諭したり)という面は否めない。
実に魅力的で心優しいけれど、深い憤りにも葛藤にも欠けるこの女主人公と同様に、この映画もまた、あまりに弱すぎると言わざるを得ません。 -
木下惠介監督•脚本、壺井栄原作、1954年作。高峰秀子、天本英世、笠智衆、田村高広出演。
<コメント>から
•木下監督の作品は4作目の視聴。「喜びも悲しみも幾年月」同様の反戦映画。似てるのは、戦前の明るさ•戦中の荒廃•戦後の安堵感を対比して見せる点、戦場シーンなく戦争の悲惨さを描く点、戦死だけでなくひもじさからの死や社会の荒廃など生活の悲惨さを描く点。
それゆえに「お国の為」などという暗示にかかりやすい男、命を奪われ生活が壊されることに敏感な女という構図で主人公は女。「木下戦争ものの公式」と言えるかもしれない。
ただ、木下自身を描いた映画「はじまりのみち」のレビューでも書いたが、彼は戦争そのものに反対というより、戦時下の思想統制、表現活動への国家介入に反発していたようだけどね。
•高峰秀子扮する大石先生がハイカラで進歩的な女性として描かれている。世代的にはその親が大正デモクラシーの時代なのかな。舞台となった小豆島の閉鎖的慣習とのコントラストが際立つ。
•おそらく昭和20〜30年代に教員を目指した人の多くはこの映画に影響されたのではないか。経験上もその世代に反戦、生徒にフレンドリーな教師が多かった記憶がある。
•初代オロナイン軟膏のCMに出ていた浪花 千栄子(なにわ ちえこ)が、まっちゃんの働く食堂の女将役で出ていた。本名・南口 キクノ(なんこう きくの)が縁でのCM抜擢だと50年余りして初めて知る。映画には関係ないけど。
<あらすじ(ネタバレ)>
昭和3年、小豆島(しょうどしま)にある分教場の教員となった大石(高峰)は、当時でいえば進歩的な教師で12人の1年生から慕われる。生徒のいたずらで足に怪我をしたが、生徒たちは先生を慕って遠い道のりを先生に会いにくる。しかし、生徒の期待とは裏腹に、怪我も起因して先生は本校へ異動。
不況のため修学旅行にいけなかった生徒が、働かざるを得なくなって不登校になったこと、教員は思想統制に怯えるようになったことなどから、嫌気がさした大石は教員をやめる。
戦争が始まり、大石の夫(天本)は戦死、教え子の多くも戦死、末娘は空腹で柿の実をとろうと木から落ちて死ぬ。
終戦後、教員に復帰した大石は、かつての教え子の妹や子らの担任になる。教え子らが同窓会を開き、失明した磯吉(田村)もやって来て、当時の全体写真を、記憶をたどって写っている人を指差す(指している指は人からずれる)。大石は通勤に使っていた自転車と同じ自転車を贈られ、それを使って分教場に通い始める。 -
子供たちの姿を通して描いた反戦映画。そして名作。
原作にも忠実に描かれていたので敬意を持って映画化したのが伝わる。
完璧ではなく、たまに失敗もしながら生徒と共に成長していく大石先生の描きかた。そしてとてもキャラクターに富んだ12人の子供たちの愛らしさで、どんどんと彼らの世界に、お教室に引き込まれていく。
大石先生みたいに本当に一生懸命に生徒たちと生きていく教師って今いるのかな。
こんな先生がいたら、未来は少し明るいのにって思う。
戦争の悲惨さを押し付けがましくなく、でも確実に現代に生きる平和ボケすぎる私たちにも身に染みるように理解させてくれる素晴らしい作品。
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高嶺秀子さんのエッセイが好きで、映画もみてみようと手にとりました。美しいという言葉だけでは語りつくせない魅力、所作の美しさ。日本がめまぐるしく動き続けた時代と、大石先生の揺るがない優しいまなざしが、美しいってこういうことだなぁと改めて感じさせてくれました。
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反戦思想とか、教師のあり方とか、銃後の民衆(女)の戦争責任とか色々耳にしてきた映画だったけど、観てまずまっさきに唱歌・童謡のしらべと瀬戸内海の島々の風景が、すなおに心にしみた。
あと、なんというか、子供を思って笑って泣く先生が、すごく自然にいいなぁと思えた。
落とし穴に落とされ大怪我しても、不景気で生徒が学校を進学できなくとも、戦争へ行くのも、大石先生は何もできないし何も言えない。できることはただ、泣きたいときに一緒に泣いてあげることだけ。
へんに賢しいこというのではなく、なにかを約束をするでもなく、無責任に希望を与えるのではく、ただ泣くだけ。
ウソや上っ面をとりつくろうでない、ただそれだけの無力な姿なんだけど、それがとてもありがたく思える。
「あんたが苦しいのはあんたのせいじゃない。世の中のいろんなことからそうなったんでしょう。だから自分にがっかりしちゃだめ」
実の親子だと関係が一蓮托生なので、貧困やら労働力やら病気やら将来計画やらが介在して、親が子供の気持ちに寄り添える余裕がない分、こんな先生はほんとうにありがたいのだろうなぁ…、とか、まだまだあるけど、そんなことをつらつら思いながら見ていました。
ところで、歌のしらべをザ・日本(我が故郷)的なイメージで聞いていたのだけど、蛍の光とか埴生の宿とか洋画でちょくちょく耳にして、そういえばけっこう外国産が多いんだっけ、と思いだしたので以下ちょっとメモる。
ちょうちょう…ドイツ
蛍の光…スコットランド
ホーム・スイート・ホーム(埴生の宿)…イングランド
仰げば尊し…スコットランド?、アメリカ?
アニー・ローリー…スコットランド
いつくしみ深き(星の界)…アメリカ? 讃美歌
なんというか、「故郷」や「郷愁」というのは、一見すごくローカリティなもののはずなのに、つきつめると途端に国境とか人種とか意味がなくなるものなんだなぁ…と歌を通して思い起こさせられました…。 -
最近観た映画の備忘録。
この頃なぜだか、「二度目」の映画を立て続けに観ました。
記憶印象が薄れないうちに一本でも・・・。
「二十四の瞳」。1954年日本映画。156分。モノクロ。高峰秀子主演、木下恵介監督。
「七人の侍」と同年の公開です。当時権威のあった「キネマ旬報ベストテン」では、「二十四の瞳」が1位。同じ高峰秀子/木下恵介の「女の園」が2位。「七人の侍」は3位でした。
僕は、「七人の侍」よりも「二十四の瞳」の方が好みです。断然。
壺井栄さんの原作発表の翌年にもう映画化してるんですね。「二十四の瞳」と言えば小豆島なんですが、実は原作では小豆島、って書いてないんですね。
壺井栄さんが小豆島出身だったから、この映画で設定を小豆島にして、小豆島でロケをして、字幕でも小豆島、と出したんですね。
それだけ、実は「二十四の瞳」といえば、原作よりも、高峰秀子の映画のイメージだっていうことですね。
物語をメモっておくと、昭和3年から始まります。
瀬戸内海の田舎の小豆島。その岬の集落は、小学校から5キロ離れているので、1年から4年までは岬の分校に通うんですね。
で、5年生から5キロ歩いて本校に通う。
という設定を前提に、その岬の分校に、新人教師の高峰秀子が赴任してくるところから始まります。
田舎の集落に、颯爽と洋服と自転車で登場したから、岬の集落の人々はびっくり、はじめは反発するんですね。
でも実は別に金持ちでもハイカラでもなくて、母子家庭でお金がなく、母と一緒に住みたいから、月賦で自転車を買った。
端切れで洋服を自分で仕立てた。和服じゃ自転車に乗れないから。
地元の大人たちにちょっといじめられながらも、小学校1年生12人の受け持ちとなって、その純真な24の瞳を裏切るまいと、健気に教員生活。
で、この映画、長い年月の物語です。
春に勤め始めて、もう秋には、足の怪我が原因で、高峰秀子は遠距離通勤の分校から本校に転勤になっちゃう。24の瞳との別れ。
で、あっという間に5年後。1年生だった12名が5年生になって、本校に来る。
高峰秀子は船乗りの二枚目を婿に取って、本校で教えている。(その旦那さんがなんとなんと天本英世さんです!)。
当然12名とも再会。でも別に再会が劇的に描かれる訳じゃなくて。
全員小学校5年生か6年生時代には、だいぶ昭和恐慌を経て世相が暗いんですね。
田舎の漁村の子供たちを襲うのは貧しさですね。
奉公に出されたり。階層で生き方が別れます。
金比羅さんに遠足に行ったら、貧しいせいで学校やめた女の子が場末の定食屋で女給さんしてたりとか。
でもって、左翼的な思想の弾圧があったり、子供たちは兵隊に憧れたり。
くさくさした高峰秀子は、岬分校組の12名が小学校を卒業するのと同時に、先生辞めちゃう。専業主婦に。
で、時代はすぎて、あっという間に三人の子持ちの高峰秀子。
12名が二十歳くらいになって、出征していく。夫も出征して戦死。
戦後直後に、幼い娘も事故で死んじゃう。
でもって、初老になった大石先生、また岬の分校で教え始めます。
そして、風雪を経て生き残った、12名(の、うち生き残った7名だったかな)と同窓会的に集まったりする。
おしまい。
で、これが面白いんですね。
そりゃ文部省特選だし、お話は「いいこちゃん映画」だと思われるでしょうが。
もったいないから死ぬまでに一度は観てください。できれば劇場で。
改めて、二度目、観たんですけど、この「二十四の瞳」の映画的技法というか、手段というか、割り切りというか。
もっと語られてしかるべきだと思うんですけどね。ほんと。ヨーロッパやアメリカの作品を日本人がしゃしゃり出て語るよりかねー。
「二十四の瞳」がどういう演出意図で、こうなってるのか。
この大胆な長回しと、アップを使わない技法・・・。どっちの視点から撮るか。人物のサイズの意図は。
そういうこと、もっと語りたいなあ。日本人としてはさ。
色々映画観ましたけどね、世界映画史的に見てもかなり大胆、すごいと思いますよ。
ググったらね、1955年度ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞、だそうですね。まあ賞はあまり価値を表しませんが。
一見ね、「え?」っていうくらい、原始的なんですよ(笑)。
うーん、チャップリン時代?みたいな(笑)。映画的に。
単純に、広い画の長回しが多いんですね。
でもねー。これ、確信犯なんですよね。
その上で、大胆に細緻な技巧が使われてるんですよね。
こういう、「映画演出技術」への敬意っていうのがもっとあって良いと思うんですけどね。
こういうのに比べたら、というか・・・こういう地平線での比較で言うと、
ヴェンダースだってカラックスだってカーウァイだって、
ぐちゃぐちゃマスコミ受け/素人受けする言葉とスタイルを発信しているだけで、正直、アマチュア・・・素人芸が新鮮なだけで・・・上手くないじゃん。
と、感じてしまった・・・。
それで、2度目で気づきましたけど、この映画、高峰秀子が主役じゃないんですね。いや、主役なんですけど、なんていうか。語りの軸足は、12人の子供たちなんですよね。
ま、テロップも子供たちが先に出ますからね。
そういうこと、別に観念的なコトバではなくて、純粋に映像的に、確信犯でヤってるんですよね。
まあ細かくは書きませんが。ここまで書いておけば、何年後かの自分は思い出せるだろうから(笑)。
書くの面倒なんで(笑)。別にまあ、観れば、観るコトのクロウトさんには、すぐ分かるレベルのことですが。
でまあ、泣ける映画なんですけどね。なんで泣けるかって、泣かそうとしないからなんですよね。
映像的にも何しろ風景がすごいですね。でもねえ、これもなんていうか、「これみよがしはイヤだよね」っていう感じの含羞がありますね。
詩情溢れてるんだけど、感傷的じゃないんですね。
それにね、この映画1954年の公開ですよね。収録は前年だったそうですね。1953年。終戦、原爆から8年ですね。
つまり、どういうことかっていうと、今の、ニッポンの我々の感覚で言うと、この映画は、アフガニスタンとかイラクとかで作られた映画、っていうことなんですね。
世界の「先進国」たちから見れば、「あー、戦争、原爆でずたぼろになってビンボーな人々が、焼け跡でアメリカ人に支配されながらみっとなく泥水飲んで暮らしているんだろうね」という国だったんですね。
そんな国が、そんな状況で、女優も監督もスタッフもみんな戦争体験、戦時下体験があって、それで色んな思いでこの映画作ったんですね。
そんな情熱がありつつ、別に情熱だけだったら映画じゃなくて構わないんで(笑)、映画でどう語るか、かなり高度、大胆なコトやってますねえ。カメラの動き、説明の省略度合い。セリフの役割。
(この映画、この脚本。これは、監督が脚本書いてない限りは、ありえませんね・・・。凄い。だって、脚本にしてみてくださいよこの映画。なんていうかなあ。いいセリフ、なんて一個もないですから)
ホント凄いですよ。脱帽。
この映画、初回観たのは多分、10年以上前だったと思うんですね。名画座で。映画館で。どこだったかなあ・・・。文芸座・・・並木座・・・そのあたりか。
その時ね、とにかく泣いちゃって(笑)。衝撃を受けたんですけどね。今回自宅でDVDで再見して、語り口の技法に舌を巻きました。
僕だってこれだけ映画好きを長年やっていて、今更の思いなんで。偉そうに言えませんけど・・・ほんと、カサヴェテスだとかキアロスタミだとかゴダールだとかウェルズだとかって言ってるんだったらサ。
まず「二十四の瞳」の技法を検証して、研究して、敬意を払うべきですね。。。
だって、所詮外国映画なんてさ、言葉のニュアンスわかんないでしょ?日本人は。どこまで行ったって。だって、日本人向けになんか誰も作ってないもん。ゴダールだって誰だってさ。
わざわざそのために外国語勉強してってくらいだったら・・・。日本語でもって、少なくとも同じくらい敬意を払うに値する映画があって。それが国内も国外も意外に忘れられてて、見下されてて。
「どうせベタな文部省映画でしょ」とか思われてる訳だから。そこンとこ先に、切り込んで欲しいなあ・・・。
「野菊の如き君なりき」もかなりスゴい映画だと思うんですが、やっぱり高峰秀子さんが素晴らしいからなあ。
木下恵介さん、他の監督作もまだまだ未見が多いのでゆっくり楽しもうと思いますが、まあ、一本って言われると、「二十四の瞳」なんだろうなあ・・・。
まったくまとまりませんが、再見してこんなことを思った、という自分のメモですので。悪しからずです。
あ、最後に備忘録として、音楽ですね。木下恵介さんの弟さんがやってるんですどね。
ほとんどこの映画、ミュージカルみたいなもんですからね。踊りませんけど。でも歌うんで。
歌ですね。日本語っていいなって。でも劇伴で、アカペラっていうかハミングだけの唄もある。
いや、ほんと、計算尽くっていうか、大胆というか。素敵です。
でまあ、「自転車泥棒」と、並んでかなあ。いやあ、こっちが上かなあ。
<世界映画史上の自転車ベストワン>だと思うんですけどねえ・・・。うーん・・・「明日に向って撃て!」もあるから、難しい。
<世界映画史上の自転車、泣ける部門>だったら、1位なんじゃないかと・・・。
僕はこの映画見るの、二回目でしたけど、初回を映画館で見たときは、あまりに面白くて泣けてしまって、色んなことに気づきませんでした。
ただそのときにわかったのは、高峰秀子さんって素敵だなあ、ということですね。個人的には「浮雲」よりもこっちの方がそう思ったかなあ。
一回目は、自転車でいちばん泣きました。ボロ泣きでした。
二回目今回は、金比羅さんの海際で船を遠目に体を折って泣く少女、に涙しちゃいました。
ドコで涙したか、語り合いたい映画です。
桜の中を12人の一年生と電車ごっこして唄い進む高峰秀子さん・・・アソコでもちょっとうるっと・・・。でもそれは、ちょっとヘンかな。最近涙もろくて・・・。
デジタルリマスター版、いつか劇場で観てたみたいですねえ。 -
小学校一年生の生徒が大人になるまでのスパンで描いた
女教師の物語。二時間を超える大作。
はじめのうちは幼い子達と優しい先生の交流が微笑ましい
くらいの感じだったものが、やがて社会情勢の悪化に伴い、
物語はつらくかなしい方向にすすんでゆく。
のんきに学校へ通っていられない、まだ幼い生徒たち。
家計が貧しかったり、子供の労力が家族に必要だったり、
出征させられたり…。先生が胸を痛め、どんなに生徒に
寄り添い、言葉をかけようとも避けられない悲劇。
私はとりわけ、死の病に侵された少女が布団の上で、
「先生、わたし苦労しました。」というシーン。
まだまだ若い教え子のそんな言葉をきく先生の心境って
どんなにつらいだろう。
とてもいい映画だったけど、心の苦しくなる場面が多かった。 -
自分がまだ4歳の頃の公開ですから、劇場では見られなかったし、この有名な映画を名前だけは知っていながら、ついぞビデオ、DVDなどのある時代に育ったわけでもなかったので、ようやく今の鑑賞になった。
そして、ようやく同世代の大人たちが、何に感動し、何に心打たれて、噂していたかをようやく知った気がした。