わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 冒頭から女性の語りで展開されるのだけれど、どういう話か? ってのがなかなかつかめない。読み手にずっと不安感を抱かせるような書きぶりがうまいとは思う。ただ秘密の部分がわかってもすっきりした気分にはなれなかった。

  • 臓器を提供するクローン人間という設定で、重ためです。著者は、ノーベル文学賞受賞したカズオ・イシグロで、小難しい話かなと思ってなかなか手を出せずにいましたが、登場人物も少ないので読みやすいのですが、それ以上に話のテーマが難しかったです。私は約束のネバーランドが好きなので、ヘールシャムという施設でのびのびくらす少年少女が書かれ、定期的な健康診断や創作活動があり、マダムという女性が作品を持っていく、施設の外へは出れないなど、設定が通じるところが多くどんどん物語に引き込まれました。主人公キャシーが過去を振り返る形で、独特の語り口調進んでいきます。物語が進むにつれていくつかの伏線が回収されるのですが、話の軸は話の展開よりも、提供する側(弱者)に焦点が当てられていて、そこには希望も落胆もないことです。私たち(提供される側)が、何気なく服を着て、ご飯を食べて、病気になったら薬を飲んで、という日常が多くの犠牲の上に成り立っているということを知らずに過ごしているのだということを考えさせられます。この話の中で「私たち」人間については書かれていないのです。ノーベル文学賞受賞したのも納得です。深い話でした。

  • 自分が小学生の時のことを思い出す。子供の特権というのは、やはり何にでもなれる(事実とは反するにしても)という期待感を持てることであって、自分が提供者になることを約束されていると知ったら、生きるのが嫌になりそう。与えられた運命や環境の中で、楽しく生きようと努力することが大事なのかな。

    p410
    将来に何が待ち受けているかを知って、どうして一所懸命になれます?無意味だと言いはじめたでしょう

  • 元々ドラマを見たことがあって大まかな内容は知っていたが、小説で読んでみるとあの独特な雰囲気が蘇ってきた。生徒たちは悲しむわけでもなく、ショックを受けるわけでもなくなんとなく自分の将来を知っていて、彼らを同情するには違うと思った。先生が生徒に対して恐怖心を持っていながら育てるのも胸が痛んだ。

  • とても残酷な、でもこの先の未来、本当になりそうなお話。
    確かにこちら側の私達は、いざ自分の身に何かあると、「世間はなんとかあなた方のことを考えまいとしました。どうしても考えざるをえないときは、自分たちとは違うのだと思い込もうとしました。完全な人間ではない、だから問題にしなくていい…」と考えてしまう。
    でも、キャシー達にもなんら変わらない、心がある。友情も恋愛も未来への希望も。
    提供者、悲しい響きのある言葉だけれど、いざ自分の身内がそれを必要としたならば…と考えると…。

  • 作品内容の事前情報ほぼなしで読み始めたのだが、それがかなり功を奏した作品だと思う。できればこれから手に取る方も何も知らないまっさらな状態でこの本を読み進めて見てほしいと思う。その時の読書体験にこそこの本を読む価値があると感じるからだ。以下のレビューについてはネタバレを含むため、未読の方はここで引き返していただければと思う。

    物語は主人公であるキャシー・H-通称キャスの語りから始まる。『介護人』という仕事に着いていること、『提供者』なる人たちの世話をしていること、彼女自身は『ヘールシャム』という特別な施設出身だと言うこと…序盤はそれらの事柄が語られ、やがて彼女は自分の幼少期からの記憶を回想し始める。この物語は全編がキャスの語りで構成されており、以降はひたすらキャスが昔のことを思いつくままに語っていく構成となる。

    記憶を思い出して語る構成上、エピソードごとの時間軸は時折前後するし、回想の途中で脱線が入ることも珍しくない。中にはエピソードの中で更に違うエピソードが展開される、いわゆる入れ子構造になることもある。まさしく人の記憶そのものだ。キャスが一人称視点でひたすら語る構成も手伝って、さながら読者である自分自身がキャスになったかのような錯覚すら感じる。

    物語を読む時、多くの人は頭の中で文章を黙読するのではないだろうか?頭の中で文字による思考を行うように。キャスの一人称での語りを黙読するうち、私たちはそれを自分の思考と錯覚する。そうして私たちは、知らず知らずのうちにキャスと親密な間柄になっていく。いや、同化さえしていく。キャスの語るヘールシャムで過ごした日々、それを自分自身で回想しているかのような感覚に陥って、存在しない懐古の情を感じるようになる。

    キャスの目に映るヘールシャムの日々は眩く美しい。心許せる仲間たち、充実した日々、頼りになる保護官たち。世間から隔絶されたような箱庭の日々でも、それこそがキャスの当たり前だ。悲劇と嘆くこともなく、キャスは健やかに成長していく。もちろん中には腹立たしい思い出も、悲しい出来事も、友人相手に嫌な気持ちになることもある。キャスの一番の親友ともいえるルースは見栄っ張りのきらいがあり、また男子では一番信頼し合っているだろうトミーは癇癪もちでたびたび爆発を起こす。だがそんな摩擦やすれ違いもまた、輝かしい日々の一つなのだ。多くの仲間と一緒で一つだったあの頃を愛おしく感じていることが、痛いほどに伝わってくる。

    しかし、穏やかな日々の中に徐々に不穏の欠片が漂っているのも事実だ。ヘールシャムとは何なのか、提供とは何をするのか。彼ら彼女らは何のためにここにいるのか。物語が進むにつれて、その真相がわかってくる。彼らはクローンなのだ。臓器移植のために育てられているクローン人間であり、『提供』とは移植を必要とする人に臓器を差し出すことを指す。彼らはいずれも中年になるまで生きることはできないとされており、子供も産めないし結婚もできない。セックスや恋人は作れるけれども節度ある行動を求められる―臓器提供者としての節度を。当初はファンタジックであいまいな表現で抑えられていたはずの彼らの仕事が、突如として現実に即した生々しさ、残酷さを帯び始める。

    この作品が特異なのは、その運命自体にそれほど悲劇性を見出していない点だろう。もちろん彼らはその運命に対してささやかながら反抗を試みるようになっていくのだが、その目的ですら『数年提供を猶予してもらう』でしかない。『ヘールシャムから抜け出し、完全に自由になる』でも、『どうして自分が臓器提供をして死ななければならないのかと悩み、反抗する』でもないのだ。

    生まれついてから臓器を提供することだけを考えて作られたクローン児、いくらでも悲劇的に、センセーショナルに描写することはできたはずだ。しかしこの作品はそれをしなかった。提供の真実を告げられた後も淡々と話は進み、あくまで穏やかな筆勢が保たれている。『どんな形であれ、人生で起こることから逃れることはできないのだ』と言いたげに、大きな川の流れの一つであるかのように物語はそのまま進んでいく。

    むしろキャスにとっての悲劇はこちらの方だったのではないか、と感じることがある。周囲の変化だ。ヘールシャムにいたころから、そしてコテージに移ってから、その後介護人として生活を始めてから―年数に従いライフステージの変化に従い、キャスの周囲はどんどん変わっていく。景色や環境が、だけではなく、キャスの周囲にいる人たちがだ。トミーとルースはヘールシャム時代から付き合い始め、一度破局を迎えるも、その後また付き合い始める。コテージに行った時には今までのヘールシャムとの面々とは強制的に解散になる。コテージで一緒になったルースとトミーとも、ヘールシャムの時のような関係ではいられなくなってしまった。最終的にキャスと二人は半ば仲たがいしたような形になり、キャスは介護人としてコテージを去る。

    私たちはこの物語をキャスの視点で見ている。キャスと回想を共にしながら、さながら自分がキャスと一体化したかのような気持ちで、トミーを、ルースを見ている。だから周りだけがどんどん変わっていくように見えるのだ。自分自身であるキャスの変化は感じにくい。視点が固定され、更には同化を促すような語り口も手伝って、読者は自分の視点をキャスという根元に固定してしまう。キャスを支柱にくるくると回るメリーゴーランドを眺めているような、そんな気さえしてくる。自分自身の変化ほど気づきにくいものはない。この時読者である私たちはキャス自身の変化を知覚できぬまま、キャスの周囲の変化を体感させられることになる。変わっていく周囲、変わらない(と感じてしまう)自分、そんな景色を眺めながら、どうしても思ってしまうのだ。「ああ、置いて行かれた」と。

    この物語の一番恐ろしいところは、この寂寥感を否が応にもこちらに叩きこんでくるところにあるのではないか。何も知らないまっさらな状態からキャスの回想の片棒を担がされ、やがては自分自身がキャスであるかのように錯覚し、そして自分を置いて変化していく周囲への寂寥感を掘り起こされる。子供のころの思い出に戻りたいと思う自分。しかし変わってしまった周囲を見て戻れないと思い知ってしまう時。過ぎ去りし日を懐古して胸を潰した思い出。一度でもその体感をしたことがある人には同じ感情を掘り起こさせ、今まで感じたことない人にも同じだけの寂寥感を呼び起こす。この物語にはそれだけの力があると感じる。

    ここまでくればおのずとこの物語のタイトルの意味も分かるだろう。『わたしを離さないで』。わたしを離さないで、置いていかないで、皆一緒に居て。戻れないと知っているのに言わずにはいられない、懐かしいあの日に焦がれる気持ち。過ぎ去りし日の思い出に強制的に分離させられたキャスの悲鳴が、そうとは知らず聞こえてくるような気さえする。ただし、強調しておきたいのはこの物語はそのメロドラマティックな感傷を徹底的に排除している点だ。主題とその悲劇としてこの寂寥感を軸にはしているが、そのことに引っ張られすぎて感傷に堕してはいない。素晴らしいバランス感覚だと感じる。

    小説の主題がこの置き去りにされる感傷、寂寥感を一番の主題として置いているなら、臓器提供とは何だったのか?単に物語を引っ張っていくための軸と謎として配置されただけだったのか。私はこれも違うと感じている。臓器提供する彼らは、悲劇を背負った可哀想な子供たちではない。過去の思い出を切り離し、時には切り捨て、忘れ去って。そうやって大切なものを少しずつ失いつつも死に向かって生きていく、私たち自身のことだろう。大人になるにつれて失った大切なもの。子供らしい素直さや大胆さ、かつて大事にしていた宝物、忘れたくない思い出。そう言ったものを切り捨てながら成長し、『大人』になった私たち。そしていずれ死に向かう私たち。臓器を切り取りされる彼らの生きざまは、私たちの人生と重なる点があると、私はそう思わずにいられない。

    『わたしを離さないで』そう叫んでも結局のところ運命にたどり着く先は変わらない。大切な臓器を切り取られ、宝物を捨て、大切にしていたカセットテープは変わりの物をすぐに買うことが出来る。何もかもが代替品で済み、周囲はいつの間にか変化し進んでいて、懐かしいあの頃には戻れない。目いっぱいの寂寥感とやるせなさ、それを抱えて自分も生きていくしかない。そして最後に行きつく先は死。ありとあらゆる寂しさと諦観に満ちた、素晴らしい小説だったと思う。

  • 読んでいて居心地の悪さを感じるくらい生々しい人間関係や感情の描写に、ページを捲る手が進む。怒りや羞恥などの表現は鮮明なのに、主人公の回顧という語り口だからか、妙に淡々とした印象を受ける。それが、自分達の存在価値と行く末をただ受け入れるしかない、という諦観を覚えるラストに繋がっていて、やるせない。

  • 映画を見ておおよその流れは知っていて
    逆に映画で端折っている所を詳しく知りたいと思う所から
    読んでみた
    切なく暗い話なのは分かっていても、読み進めても進めても救われる面が出てこない

    どうも神風特攻隊として出撃する人たちと重ね合わせられてしまった、運命を受け入れないと仕方がない・・・

    心の中にずっしりと重いものが

  • 読了後に改めてタイトルを見ると、胸が苦しくなる。


    「わたしを離さないで」という哀願は、キャシーの心の奥底に眠る真実のひとつだったと思う。

    愛する人や、場所との別れを重ねていきながらも、孤独でありながらも、彼女の中に眠る記憶だけは、彼女を抱きしめ続けているのだということに少しだけ救いを感じる。

    それでも、やはり、「哀しい」と思わずにはいられない。

    2回目読むときは、初回よりもずっとすべてが切なく感じられるだろうな。

  • 少年少女のエピソード自体は自分の少女期にも心当たりがあるような他愛もない出来事が続く。しかし散りばめられた疑問がどういう意味なのか、どんな環境でどんな未来が待ち受けているのかドキドキしながら読む。途中、ああそういうことなのかという部分では悲しいような納得するような不思議な気持ちになる。

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著者プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

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